大家さんと江戸っ娘

「あら、香ちゃん。おはよう」

「おはようございます!大家さん」

「ふふふ、相変わらず良い挨拶ね」

「当たり前よ、江戸っ娘はどんな人にも挨拶はしっかりするんだい!」

そう言いながらドンッ!と胸を叩いた。相変わらず前髪を上で結んでいる。

「ふふ、ねぇ香ちゃん。あなた、最近部屋の居心地はどう?」

「え?どうしていきなり?」

「二階に住みたい、とか無いわよね?」

「てやんでい!江戸っ娘は長屋暮らしだ!一階が性に合うってもんよ!」

急にスイッチが入ってしまった。相変わらず分からない子だ、面白いけど。

「全くもう、「てやんでい」は男しか使わないものなのよ。はははは」

「へへへ、すみません。おじいちゃん子なもんで」

「ふふふ、まあそれは良いとして。隣の佐藤さん、前からギターやってるでしょう。うるさくはないかな?と思ってね」

「そんなに聞こえてはこないから大丈夫だ。それに独り暮らしにはむしろ楽しいくらいだ!」

「そう、それなら良いわ。私は羨ましいくらいよ。耳が遠くてどうしても聞こえないんだから」

さっきまでは溌剌としていた香の顔が急に心配そうな顔に変わった。

「まあ、そんな顔をしないで。今まで良い音はたくさん聞いてきたんだから、そんなに悲しむことは無いわ」

「大家さん…」

「大丈夫よっ!」

ドンッ!と自分の胸を叩いた。香は小さく笑った。

「もう元気出しなさいよ!あなたらしくないわ」

「……そうですね。分かりました」

「てやんでい!」

「うわぁ!大家さんたらいきなりどうしたんですか?!」

香はとても驚いたが、その顔は嬉しそうだった。

「もうあなたったら、普通の話し方になっちゃって!どうしちゃったのよぉ、もう~」

そう言いながら大家さんはわざと泣きそうな表情を浮かべた。

「分かったよぉ大家さん。あたいが悪かったよ。勘弁しておくれよ」

「まだまだ!」

「…はいよ!生まれは神田、名は香、生粋の江戸っ娘、おじいちゃん娘だい!」

二人声をあげて笑った。

「はっはっはっは!はっはっは…ってなーに?!そろそろ大工の時間じゃないか!」

香は垂直に跳びはねたかと思うと急いで部屋に戻っていった。

「大丈夫かしらね…うん」

だだだだ!と足音を立てて香が戻ってきた。

「ところで大家さん、あいつ、佐藤。あいつ吉本にでも入るつもりかね?…まあいいや!それじゃあ大家さん!行ってきますっ!」

「はいよ、いってらっしゃい!」

大家さんは大きく手を振った。瞬足の香の姿はすぐに見えなくなっていた。

「大丈夫そうね…それにしても香ちゃんまで吉本って?」

その意味を考えたものいまいち分からなかった。耳が聞こえないのもそうだが、今の香ちゃんとの会話も…。


「私も歳をとったのね」

やはり大家さんはとぼとぼ歩いて、部屋に戻っていった。


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