大家さんと作家の立ち話
朝霧が立ち込めるごみ捨て場に、ぼんやりとした二人の人の姿があった。
「あら、おはよう」
「ああ大家さん、おはようございます」
40代後半の男、本姓は川畑だが川端と名乗る作家だ。但し売れている訳ではない。髪はサイドバックで古風な髭を生やしている。
「新しく引っ越して来た人がいるらしいじゃないですか?どんな人なんです?」
「ああ、なかなか苦労した娘だよ。幼い頃に両親を失くして、親戚の家で育てられたのよ」
「へぇ、それじゃあ中卒か高卒かで働き始めたんですか?」
「いや大学まで出てるよ。将来を期待されていたらしいんだがね、就職が上手くいかなくて、結局その家の仕事を手伝っているそうだ」
「ええ!それなら出てくる理由なんてないじゃないですか!?どうしちゃったんです?」
「きっと肩身の狭い思いをしてたんだよ。勝手に期待されて上手くいかなかったら、また厄介者にされてたんだからね」
「そうは言っても、働く当てはあるですか?」
それだけは立派な髭をいじりながら川端は話を続けた。
「まだ探してるってよ」
「じゃあ思い付きで飛び出して来ちゃったんじゃあないですか!なんか思慮が足りないというか、忍耐力がないというか、その…なんて言ったらいいんだ?…」
川端はまだ髭をいじりながら俯き、考えこんでしまった。
「まったくもう、あなたも作家ならそれくらいの表現、パッと出しなさいよ」
大家さんは朗らかに笑いながら言ったが、川端の重々しく決めていたはずの表情はぐらついた。さらに大家さんが続けた。
「あなただって同じようなもんじゃないですか。いきなり会社辞めて、作家になったものの売れる当てはない。そりゃ勿論私は応援しますが多華子さんのことを悪くいうのは違いますね」
「いや私は…これでも40までは会社に勤めましたし、それなりに貯金だってあるんですし…」
必死に言い繕うが言葉が上手く出てこない。
「…いやでも、彼女は引っ越し蕎麦も持ってこないし…何か挨拶の品の一つでも…」
「まあやっぱり、結局食べ物が貰えなかったことを悔しがってるだけね」
川端は諦めたような顔をした。
「はあ~、やっぱり勝てねぇ。大家さん、ありがとうございました」
川端は頭を下げた。
「ええ、またいつでもどうぞ」
川端は鬱陶しい程豊富な髪を左右に分け、頭を掻きながら部屋に戻っていった。こんな会話がいつの間にか朝の習慣になっていた。
「全く、頼まれたから毎日やっているけどこれが文章力アップに繋がるのかしら?」
まあでも彼には彼のやり方があるのだろう。
大家さんは人のやり方を否定するのが苦手だ。本当に肯定するだけでいいのか?もっと自分のやり方を言うべきではないのか?…。
それでもやはり自分がするべきことは、その人を肯定し、応援することだ、と帰結してしまう。それは優しさと言えるかもしれないが、一方でそれしか出来ない自分の甘えであることも頭では理解していた。
まだ朝霧に包まれたぼんやりとした住宅街をいつも通りに歩き始めた。
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