第5話 票集め

「指導案、なんか文句つけられた?」

「いや。」

昼休み、絵美ちゃんは効果のほどを聞きたがった。

「入会前に指導案を出したときは・・・・・・。」

「殺すぞ、ぼけ!と言われた。」

「さて、私の言ったとおり、手直ししないで今日、前回と同じ指導案を出しました。いかがでしたか?」

「褒められました。」

「すばらしい効果が現れていますね。」

絵美ちゃんはコーヒーを啜りながら、徳永の背中を見つめた。徳永は、臨時講師の山河君を掴まえて、自ら徳永良子の後援会に入るよう、熱心に勧誘をかけていた。

「そこまでしても票が欲しいんだよ。堂々としたもんでしょ、職員室で自ら信者獲得に乗り出している。教育公務員は政治活動禁止なのにさ。組合がらみは大目に見てもらえるとでも思っているんじゃないの?」

と低い声で語り始めた。

「政治家なんて、落選したらただの人でしょ。あの人は奥さんが県議会議員のおかげで、結構いい思いもしているんだよ。もちろんストレスも多いから、楓ちゃんに当たり散らしていたんだろうけどさ。そのストレスと差し引いても、政治家が受ける特権はおいしいんだよ。ここだけの話、あの人の奥さんさ、今度の選挙でやばいかもしれないんだって。」

「やばいとは?」

「ほら、嫁さんはさ、所属政党が小さいでしょ。で、立候補者の顔ぶれの噂を聞いていたら、追い風が強く吹いている自民党から、たくさん出馬するらしいんだわ。現職で再選を狙うとしても、このままじゃ自民党に風で飛ばされる可能性が高いんだよ。だから、あの人も必死なんだ。大変なんだよ、きっと。」


 県議会議員選挙の候補者の顔ぶれがそろったのは、大塚中学校の卒業式当日だった。確かに噂通り、自民党所属の候補者ばかりが目立つ顔ぶれで、徳永良子の名前は明らかに埋もれていた。

徳永は午前中の卒業式典が終わった後、職員室で各座席に、

「今までいろいろ支えてくれてありがとう!」

と述べながら、超高級チョコレートを配り歩いていた。入会後の度重なる”効果“を受けて、違う意味で身体機能が凍結していた楓は、絵美ちゃんと共に、その光景を給湯室から眺めていた。

「良かったじゃない、この間は服装まで褒めてくれて。」

「良くないですよ。気持ち悪くて、気持ち悪くて。もうあの服、着ません。」

「今日はその礼服についている、ブローチまで褒められていたよね。」

絵美ちゃんは手をたたいて笑っている。楓は絵美ちゃんの尻を叩き、抵抗した。

「楓ちゃん、何でもいいんだよ。何でもいいから、こっちに振り向かせておきたいんだよ。すべては選挙のため。」

 何度も言うようだが、徳永の態度が百八十度変わったからと言って、楓の体調が目に見えて良くなってきたわけではなかった。むしろ入会してからの一ヶ月で、なお薬の数は増えていた。度重なる気色悪い出来事に、さらに心が動揺してしまっていたのかもしれない。最近では薬がないと、眠れなくなっていた。

「今夜の卒業打ち上げ、行かないの?」

絵美ちゃんは熱いお茶を勧めてきた。

「ありがとうございます。ちょっと体調も芳しくないので、遠慮しました。一年目なのに申し訳ない気持ちでいっぱい。」

「楓ちゃんが来なくても、誰も文句言わないって。日頃大変な思いをしていること、みんな知っているんだから。」

 絵美ちゃんは背中を撫でてくれた。今夜は『卒業を祝う会』と称して、三年の先生方をねぎらう会があった。とてもじゃないが酒を飲めるような体調ではなかったので、楓は最初から欠席にしていた。


「それでは、最後の戸締まり、森川先生お願いしますね。」

「了解しました。」

楓は日番の先生から鍵を預かった。このようなイベントがった日は、校外巡視と言う名目で、定時よりも早く帰宅が許される。この業界独特の習慣かもしれない。

まだ、通知表の評定入力が終わっていなかった楓は、土日に学校に来るのは嫌だったので、今日中に済ませてしまおうと、鍵を預かることにした。

 十七時過ぎには、職員室は楓だけになっていた。

黙々と通知表に数字を打ち込む。

三学期は一年を通しての、総合判定を含めた五段階評定をつけなければならなかった。たとえ三クラス、百人未満の生徒数であっても、クラスによって評定の偏りが出ないようになど考えて入力していたら、二十一時を回っていた。

「これじゃ、いつもと帰宅時間が変わんないわ。」

 入力を終えて、大きくのびをしたとき、突然職員室の電話が鳴った。

「誰だ?こんな時間に。」

楓は電話機に近づいた。よく見たら電話ではなく、ファックスだった。

「面倒だなぁ。」

身内の不幸案内等、重要な内容のものならば、管理職に電話をしなければならない。楓は送信先を見た。送信先は非表示だった。

「嫌がらせかな。」

送られてきたファックスを見た。


      

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