第4話 教職員組合による選挙協力

部活で顔を合わせなくて良くなったからといって、楓の身体はすぐに元通りには戻るほど無雑ではなかった。相変わらず子宮はへそを曲げていたし、顧問を外された腹いせか、徳永からの罵倒はエスカレートするばかりだった。いつしか楓は徳永の前で、何も話せなくなっていた。

「おまえ、何とか言えよ。私はこうしたかったんだとか、こういう意味でやったんだとか。こういう趣旨で書いたんだとか。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「おい!緘黙か?おまえは不登校や引きこもりの連中と同じなのか?ものが言えないのなら、家で引きこもっちまえ!」

何を言っても無駄だという心理から来る言語喪失だったのか、威圧感で心が圧迫され言葉が出なくなったのか、楓も分からなかった。

冬休みに通った心療内科では、環境を変えろ、と言われたが、勤め始めたら五年は異動できないのが教員の世界である。

「あなた環境を変えなかったら、そのうち他の人間の前でも話せなくなりますよ。」

そうは言われたものの、楓には為す術がなかった。

         

座席に戻ってから、徳永良子と番場清太郎の後援会入会申込書を眺めていた。楓にはあと三十年くらい、教員生活が残されている。本当に後援会に入るだけで、気分よく生活できるようになるのだろうか。そこまでの権力が本当に奴らにあるのだろうか。

「楓ちゃん、騙されたと思って入会してみたら?意外にすぐ効果が現れるかも。」

隣の席に座っていた、英語教諭の絵美ちゃんが小声で話かけてきた。

「そりゃ、ずっといびられてきた徳永のおっさんの嫁の後援会に入るのは嫌だよね。でもさ、ここは一つ、あなたより四年長くこの中学校で働いていて、あなたよりも長く徳永のおっさんを観察してきた、あたしの言葉を信用してみない?別に後援会に入るって、金がかかるわけじゃない。でも面白い光景が見られて、また一つ賢くなるから。ちょっと、あたしにだまされたと思って書いてみたら?」

絵美ちゃんは楓にミルクキャラメルをよこしながら、耳元で囁く。

面白い効果?

また一つ賢くなる?

いつも辛かったとき飲みに誘ってくれたり、愚痴を聞いてくれた絵美ちゃん。他学年所属なのに誰よりも親切にしてくれた。


絵美ちゃんになら、騙されてもいいかな。


楓はペンを取り出して、個人情報を記入し印鑑を押した。そして大川に渡した。


「お~、ありがとう。書いてくれると思っていたよ。きっと森川さんの力になってくれるよ。」

大川は専用の封筒に入れ、後は自分の方で処理をしておくよ、と言って鞄に収めた。

楓は座席に戻る途中、徳永の座席を見た。もう帰宅したのだろう。机上は綺麗に整頓されており、つんと済ましたような表情を見せていた。

          

 入会したことも忘れかけていたある日、楓は期末テストの丸付けを社会科準備室で行なっていた。全て終えて職員室に戻ってくると、机上に大きな箱菓子が置かれていた。

「なんです?これ。」

「早速現れた、効果よ。」

隣の席でテストの丸付けをしていた絵美ちゃんが、楓の方を向かずにつぶやく。

「効果?」

「差出人見たら分かるべ。」

楓は箱をひっくり返した。一瞬、目を疑い、鬼胎を覚えた。


~テストの丸付け、ご苦労さん。徳永~


「楓ちゃん、捨てるなら学校はNGよ。家で捨てなよ。まぁ中身は何にもされていないと思うから食べてもいいけど、胃は受け付けないでしょ。なお身体を壊されても、組織としては困るし。」

絵美ちゃんは肩で笑っていた。楓は続いて嘔吐の気配を感じたので、すぐに鞄に入れた。そして帰宅途中に、自宅近くのコンビニのゴミ箱に投げ入れた。

 次の日、あのお菓子はどうしたのかと絵美ちゃんに聞かれた。

「コンビニで捨てた。」

「まぁ、捨てられるもんで良かったね。効果はこれだけじゃない。まだまだ続くよ。」

「気持ち悪いんだけど。」

「仕方ないじゃん。」

「何がですか。」

「だって、そろそろ選挙だもん。でもあの人、単純だから、選挙後も効果は継続するだろうなぁ。」

「え~。」

「今日は水曜日でしょ。指導を受ける日じゃん。前回、ぼろっかすに言われた指導案、訂正せずに渡してみ。で、その後コメントを聞いてみ。その後の給食、食べられなくなるかもよ。」

絵美ちゃんはげらげら笑いながら、クラスの朝礼に向かった。楓も胃をさすりながら、のろのろと立ち上がった。

 絵美ちゃんの“効果”の読みは当たった。

「最近の授業はいいね。生徒の顔が上がってきている。生徒の発言も活発になってきたし。今度行う、研究授業の指導案もよかった。腕を上げたね。」

楓はただ呆けたように、ぽかーんと徳永の顔を眺めた。褒めてもらったらお礼くらいは口にした方が良いのだろうけど、まだ身体が強烈な拒否反応を示しているのか、何一つ発することが出来ず、会釈すら忘れていた。

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