第2話 教員いじめ

楓は二十九歳でようやく正規職員になれた。それまでの七年間は、非常勤講師や臨時的任用講師をしながら教員採用試験の勉強をしていた。

「社会科はどの学部でも取得できる免許だから採用は体育教師同様、難しいよ。」

と教育実習の際、教頭に言われたが単位の取得状況からして“時すでに遅し”という状態だったので、楓はそのまま中学と高等学校の社会科の免許を取得して、大学を卒業した。

ある程度覚悟して講師生活を始めたが、こんなに正規採用になるまで時間を要するとは思っていなかった。楓の経歴に部活動指導において、生かせるような煌びやかな実績がなかったのも、正式採用に時間がかかった要因の1つだろう。ソフトボールを小中高と続けてきたものの、国体出場など華々しさとは無縁の球技人生だった。

 何とか八年目で正式採用の切符を手に入れ、昨年の四月に、市立大塚中学校に赴任することになった。楓は1年目にして、1年二組の担任を任された。そして各学年三クラスしかない学校のため、1年生の社会はすべて楓が指導することになった。

 授業と学活、総合、道徳指導以外にも、毎週木曜日の午後から初任者研修があり、空き時間には初任研拠点校指導教員から指導を受けたり、指導教諭から教科指導があったりしたため、授業準備は、いつも部活指導を終えた一八時以降しかできなかった。赴任してから今日までで、楓は五kg近く体重を落としてしまった。

「先生、もっと食べなきゃだめだよ。」

担任をしているクラスの女子生徒が、風船が萎むように痩せていった楓を心配して、いつも給食を多めに盛り付けた。

「いいって。みんなもっと食べなきゃ。成長期だよ。」

「先生、四月に比べたら、すっごく癒せたじゃん。おっぱいぺったんこだよ。」

生徒たちが、どっと笑う。

「こら!今のはセクハラ発言だよ!」

一年目ということで、学年の先輩職員の配慮で、比較的に落ち着いたクラスを任された楓は、生徒との関係は良好だった。生徒たちと年齢も近いせいか、授業もやりやすかったし、落ち着いた校区内にある学校だったから、生徒指導上で頭を痛めるようなことは少なかった。

生徒が心配するほど、楓を急激にやつれさせたのは、教員を取り巻く激務と言うよりは、指導教諭を務めていた徳永謙治の存在が大きな要因だった。Vシネマで敵の骨を食べているような悪役顔の徳永は、三年所属の職員だった。クラス担任も受け持っていたが、一学年三クラスしかない小規模校のため、楓の指導教諭も任されていた。毎週水曜日の四限目が、徳永から教科について助言を受けたり、指導を受けたりする時間だった。

徳永は嫌々、指導教諭を押しつけられたのだろう。四月当初から楓に対して、容赦ない威圧的な態度を崩さなかった。

「おまえのこの間の時差計算の授業を見たけどさ、あんなんで生徒が本当に理解できると思ってんの?今度、小テストしてごらんよ。ほぼみんな0点だぞ。嘘だと思ったら、来週の頭すぐやるんだね。イギリスと日本の時差が九時間だということも、分かっていない奴ばっかり、うじゃうじゃ出てくるよ。」

「だからさ、あの板書が駄目なんだって。何あの色使い。色は決まっているんだよ。黄色は覚える語句、赤は注意とかね。青やら緑は要らないの。そんなのも知らないでよく教員採用試験受かったよね。そんなんも理解できないおつむだから、七回も教員採用試験に落ちんだよ。俺なんか一発合格だよ。てめえの時と倍率なんか全然違う。お前なんか二〇数人は採用してもらえる年の合格だろ。俺は二人だよ。二人。頭の脳内構造が違うから、いくらあんたに説明しても理解できんかもしれないけどね。」

 徳永は職員室であろうが、生徒がその場にたむろしていようが、容赦なく楓に罵声を浴びせた。文句は言うが、こうしろ、と言う方法論を指導しない徳永に対して、

「もっと彼女が実践で使えるような、助言やテクニックを指導してあげてほしい。」

と管理職は徳永に言ってくれたりもしたが、

「そんなの、こいつが自分で勉強することだ。俺らの時代は、こんな指導教諭に指導を受けるなんて、こんな過保護な育て方なんてされなかったよ。見て覚えろ、だよ。こんなシステムなんか作っちまったから、ろくな教師が出ないんだよ。不祥事ばっかり起こすような阿保教師ばっかり生まれてさ。委員会も馬鹿ばっかりなんだよ。」

徳永の姿勢は変わることはなかった。むしろ管理職の注意が入ってから、さらに罵声や威圧的な行動がエスカレートしていった。

ある日、楓が三組で世界の気候区分の授業をしていたら突然、徳永が入ってきて、

「こんな授業じゃ、子どもが分かんねぇって言ってるだろっ。こいつらの面をよく見てみろ。理解しているような顔か?おまえ、こいつらは二年後、高校入試があるんだよ。こんなんじゃ合格させられないよっ。」

と怒鳴り散らし、楓からチョークを奪い取ると突然授業を始めた。子どもたちも初めは、何が勃発したのか分からないといった表情を浮かべていたが、楓に対する叱責風景を見て、縮み上がってしまい誰も何もものを言わずノートを取っていた。こんな蚕食光景は、管理職が徳永に刺激を与える度に起こった。

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