第10話
「今日は使い魔との実戦演習をするので、屋外の演習場に行くように」
アルスたちが学院に出ていたある日、教壇に手を突いたモリアーティー教授がそう言った。
隣で幸せそうに寝ているナツメの頬に指を差し、アルスは起こそうと試みる。
「おーい」
「んん……なに?」
「今日は使い魔との実戦演習だってさ。ナツメも戦うことになるから覚悟しておけよ」
「はあ⁉」
驚いたナツメの素っ頓狂な裏返った声が部屋中に響く。あまりにも大きな声量は、教室中の注目を集めるには十分だった。
全生徒の注目の視線がアルスたちに注がれ、モリアーティー教授は切れ長の目をさらに細める。
「アルス君、ナツメ君。君たちが慌てる事情もある程度は察せるが、今は私が話しているんだ。少し静かにしてくれないか」
「すみません……」
「すみません」
頭を下げたナツメに続き、アルスも体を縮めて謝罪する。
「僕は何もしてないのに……」
アルスはナツメに話しかけて、実際に声を上げたのはナツメなのだ。
完全にとばっちりであることには間違いないのだが、不要なことを言って教授に怒られると嫌なので黙っておくことにする。
二人が静かになったことを確認すると、モリアーティー教授は咳払いをして話をつづけた。
「実戦演習に魔法使いは参加しない。今回の講義は使い魔をいかに上手く操るかに焦点を当てて行うつもりだ。そういうことだから、基本的には生徒の使い魔同士が戦うことになるな」
教授の話に、アルスはそっと耳打ちする。
「教授の話だと僕はアドバイスしかできないみたい。だから、最低限のサポートしかできないから、ナツメの思った通りに動いて」
「そういわれても、ドラゴンとかどうやって倒せばいいのよ。まだ魔法もうまく使えないのに、戦えるわけないじゃない!」
「みんながドラゴンを使い魔にしているわけじゃないから、きっと何とかなるよ」
「……なんとかなるの?」
二人して小声で話し合っていると、モリアーティー教授はわざとらしく大きな咳払いをした。
アルスが教壇に顔を向けると、教授は目だけでなく、表情までもが険しくなっている。どうやら話していたのが聞こえてしまっていたらしい。
ナツメも剣呑な空気を察したらしく、そっとアルスから顔を背ける。
何事も無かったかのようにモリアーティー教授は話を再開した。
「これが使い魔との初の実戦ということで、緊張する者もいるだろう。しかし心配することはない。召喚したばかりの使い魔など殺傷能力は低いからな。私ぐらいの使い魔とならなければ、致命傷を負わせるのは難しいだろう」
モリアーティー教授は異様な笑いを浮かべた。端正な顔で口の端を緩めるその姿は、美しいと同時にどこか冷酷な心が宿っているように見える。
おそらく生徒全員が同じことを思ったのだろう。誰もが目を見開いて教壇に立つ人物へと目を向けている。
「とまあ、脅しはこのくらいにして、使い魔というのは一歩間違えれば危険な存在となることは覚えておいて欲しい。それでは、講義に遅れないように」
アルスにはただの脅しとは思えなかったが、本人が言っている以上信じる他なかった。
モリアーティー教授は手元の紙を整理すると、生徒を顧みることなく講義室を後にした。
教授の消えた教室は一気に騒々しくなる。
新しい講義を楽しみにする生徒、不安に思う生徒など、反応は千差万別だ。
アルスがそんなことを考えていると、ふと誰かに肩を叩かれる。
「さっきの話に戻るけど、アルス、私はどうすればいいの?」
「大人しく頑張ってもらうしかないよ。僕には何もできないんだし」
「そうだけど、何かないの? ほら、戦術とか策略とか」
「万年学院最下位という不名誉な称号を持つ僕にそれを期待する?」
ナツメは目に見えて落胆した。
自分でも言っていても恥ずかしいのだが、これは疑いようのない事実なのだ。ナツメに下手なことを教えては逆効果、何も言わないというのが得策だと思う。
机に突っ伏して落ち込んでいるナツメの肩に、アルスは優しく手を乗せる。
「……頑張って」
「無理」
二人とも同じことを思っていた。
二人の憂いなど時間は知る由もない。ナツメの立ち振る舞いを考え終わらないうちに演習の時間が来てしまった。
アルスたちは演習場に出立ち尽くし、審判を待つ罪人のように天を仰ぎ見ている。もはや諦めの境地にたどり着いていた。
「さて、私からの説明は以上だ。二人一組を作って互いに戦ってみること。ただし、致命的な一撃は狙わないように」
説明を終えたモリアーティー教授が手を叩くと、生徒たちは思い思いに動き出す。
アルスが呆然としていると、ナツメはその肩を思いっきり揺さぶった。
「相談なしに来ちゃったけど、これからどうすんのよ!」
「実戦を避けるのは無理そうだから、せめて弱そうな使い魔の生徒と組むようにすれば、最低限の被害で済むと思うよ」
「最低限……」
どうあがいても傷を負うという事実に、ナツメは瞳の光を失った。アルスがいくら知恵を絞り出したところで、学院の授業を葬り去ることはできないのだ。
アルスは周囲を見渡して相手にして良さそうな生徒を探す。
「ガロンはドラゴンだったし、ヤードもポンドも良くないな……誰か都合の良さそうな人は……」
使い魔がなにであれ、あの三人組だけには関わりたくなかった。
時間は刻一刻と過ぎていく。生徒たちは適当な生徒と組み始め、余っている生徒が徐々に数を減らしている。
「ナツメ、ニホンゴでいうところの……犬の相手ならできる?」
一人の生徒に注目しながら、焦る気持ちを抑えてナツメに尋ねる。
「この世界にも犬がいるの?」
「厳密には犬じゃないけど、それに似てる魔物だよ。多分動きも同じだと思う」
何を考えているのかわからないが、ナツメは下を向いて唸る。しかし、なぜかその顔を明るく咲かせてアルスに向き直った。
何かがおかしい。そう感じつつもアルスは話に耳を傾ける。
「犬の相手を出来るならやるわ!」
「よくわからないけど、乗り気だね」
「当り前よ、久しぶりの癒しだもの!」
アルスは脳裏に犬の姿を追い描く。あれのどこに癒しがあるのか、アルスにはさっぱり理解できない。
だが、ここで揉めていては無駄に時間を失うだけだ。
ナツメの手を取り、アルスは犬の使い魔を連れた生徒の下へと走った。
「あの……実践を一緒にやりませんか?」
「構いませんけど……」
アルスが声を掛けたのは、黒縁の丸眼鏡が印象的な女生徒だった。声を掛けてきたアルスを見るなり彼女は目を細める。
どうして自分に声を掛けてきたのか、その点に対する警戒がありありと透けて見えた。
アルスは頬を緩めて両絵を少し上げる。
「そんなに警戒しないで、ナツメが君の使い魔に興味があるみたいだから、一緒に出来ないかな、と思っただけ」
「アルスの言う通りよ。私はあなたの使い魔が犬に似てるって聞いて、一度見てみたいと思ったの」
女生徒は無言で二人を見やる。二人の言葉に嘘が無いことを確認すると、足元にいた生物に手を添えた。
彼女は命令を呟き、アルスたちの前にでるよう促す。
「グルル……」
「これが犬⁉」
出てきたのは、少なくともアルスからすれば犬に似た生物だった。
双頭から白い牙を覗かせ、目は生まれたばかりながらも血走っている。獲物を見極めるような目でナツメの様子を窺っていた。
この使い魔ならばナツメも相手をする気になるだろう。そう思っていたが、当の本人はあまり乗り気ではないようだった。
「アルス、この犬の相手をしろっていうの?」
「うん。この使い魔なら犬に似てるからちょうどいいでしょ。それに、見た目は強そうだけどまだ子供だから、噛まれても痛いぐらいで済むよ」
「痛いのね……」
「痛いだけならまだましだよ。ドラゴンだったら、丸焦げで体が壊死するし、腐食して取り返しのつかない人だっているんだから」
教科書に載っていた使い魔の知識を披露しただけだが、ナツメを恐怖させてしまったらしい。
顔から血の気が引いていき、もともと白かった肌が更に青白くなる。
放置されていた女生徒は業を煮やしたらしく、怒りで頬を赤くして顔を顰めた。
「あの、用がないのなら私も相手を探さないといけないんですけど」
「ごめんごめん。僕は君とやりたいんだけど、ナツメはどう? この人が相手でも問題ないよね?」
「私は……」
「それじゃよろしくお願いします!」
不満げに口を開きかけたナツメの口を塞ぎ、アルスは女生徒に作り笑いを浮かべる。このままでは埒が明かない。話を強引に進める他にないと思った。
女生徒は眉を下げると、演習場の端、あたりに人がいない場所へと歩いていく。どうやら向こうで演習をするつもりらしい。
彼女の使い魔も主人を追って向こうに行ってしまった。
アルスは口を塞いでいた手を放すと、ナツメは真っ赤な顔で久しぶりの空気を肺に送り込む。
「色々大変かもしれないけど、頑張ろうね!」
「あなたねぇ……」
すでに話を付けてしまったのだ。今更ナツメが断ることなどできるはずもない。
満開の苦笑を浮かべるアルスに、ナツメは大きな青筋を額に浮かべるのだった。
使い魔はニホンジン 天音鈴 @amanesuzu
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