第6話

「眠い……」


 翌日の魔法工学の講義が終わると、アルスは唸るように呟いた。


 徹夜でナツメの話に付き合っていたアルスは、翌日の講義をまともに聞くことができなかった。夜更かしに慣れてないこともあって起きていることすらままならい状態。


 眠気にあくびで対抗しながら、アルスは真横で机に突っ伏すナツメに目をやる。


 あくまで使い魔のナツメは生徒ではないので、教授の話を聞く必要は無い。そのせいもあってか、思いきり夢の中に浸りきっていた。


 幸せそうな横顔に、アルスは人差し指を突き立てる。


「むふふ……」


「起きないと叩くけど、いいのかな?」


「乙女を殴るなんて、紳士としてどうかと思うわ」


「生憎だけど僕は魔法使いだよ」


 異世界ネタが通じなかったことにナツメは腹を立てらしい。頬を膨らませて腕を組んだままそっぽを向いてしまった。


 二人で他愛もないやり取りをしていると、アルスは急に肩を叩かれた。


 誰か、などと問いただすような真似はしない。放課後にアルスの前に現れる生徒は決まっているからだ。


「ちょっと今日は忙しいんだけど」


 相変わらず生意気そうな顔のガロンがそこにいた。当然のごとくヤードとポンドも一緒にいる。


「そう言うなって。今朝の講義前にモリアーティー教授が言ってたけど、お前、創天の大樹に挑戦するんだってな」


 アルスは聞いた覚えがなかった。だが、ガロンがやらしい笑みを浮かべているあたり本当のことなのだろう。


 情報自体も間違いではないので、教授が本当に言っていた可能性が高い。


 そんな考えを見透かしたようにガロンは口の端を歪めて口を開く。


「お前は寝てたから聞いてないんだよ。他のクラスの奴らはみんな知ってるぞ」


「あー、そういえば寝てたかな。昨夜は徹夜してたから……」


 まさか宣言した翌日にモリアーティー教授が生徒に伝えるとは思ってもいなかった。しかし言われた以上はどうしようもないので、諦めることにする。


 アルスの言い訳など喫きたくないと言わんばかりにガロンは鼻を鳴らした。


「そんなことはどうでもいいんだよ。お前、本気で試練を突破出来るつもりでいるのか?」


「……そのつもりだけど」


 自信なさげにアルスは答えた。


 一瞬だけアルスもガロンも黙りこむ。しかしその空気はすぐに破裂した。


「学年最底辺のお前が本気で出来ると思ってるのか⁉ ろくに勉強も出来ないくせに、調子に乗ってんじゃねえよ」


「そうそう!」


「ほんとほんと!」


 ガロンは下品に腹を抱えて床に倒れ込む。それに続くかのように、今更存在感を出したヤードとポンドも笑いだした。


 客観的に見れば、アルスが創天の大樹を登頂できる可能性は間違いなく低い。


 赤の他人に笑われるのはいつものことだ。それは許せる。


 しかし今回はナツメも関わっているので、馬鹿にされるのはアルス一人だけではないのだ。


 怒りに震える拳を理性で抑えながら、アルスは震える声でガロンに圧をかける。


「そんなに笑うなら、ガロンも試練に挑戦しないの?」


「あ?」


 挑発的なアルスの態度にガロンは怒りを覚えたらしい。目の前で下を向くアルスを睥睨し、怒りで歪み切った顔を近づける。


 ここで圧に負けてしまってはいつもと変わらない。


 アルスは笑い続ける足を理性で繋ぎ止め、堂々と顔を上げてガロンを見返した。


「もしかして、負けるのが悔しいんじゃないかな?」


「ちょっと、アルス!」


 ナツメが何かを言いかけるが、すでに間に合わない。


 ガロンが一瞬だけ青ざめたが、すぐにドラゴンの炎に焼かれたと思えるほどに真っ赤な顔になる。


 本気で怒らせてしまった。もう引き返すことはできない。


 ガロンはアルスの胸倉を掴み、壁を背にして叩きつける。肺の空気が絞り出された感覚がアルスを襲う。満足に空気が吸えず、笛のような呼吸になった。


 なおも憤怒に身を任せるガロンはアルスの真正面で宣言する。


「俺も創天の大樹に挑戦してやるよ。わかりきってはいるが、どっちが上なのか証明してやる」


「……楽しみにしておくよ」


「杖を磨いて待ってろ」


 ガロンは胸倉の手を放してアルスを解放する。


 久しぶりの空気が肺に染み渡る感覚。しかし全身には回るにはまだ時間が足りないらしく、すぐに立ち上がることができなかった。


 床でうずくまるアルスを見下して、鼻を鳴らすと、ガロンは手下二人を従えて教室を出ていこうとしていた。


 動けないアルスに代わってナツメが三人に声を掛ける。


「あなたたちね、こんなことをしていいと思ってるの?」


「黙れ。使い魔風情が口出しするな」


 ガロンの声は何も言わさぬ威圧の声音だった。ナツメが今まで意識していなかった主人と使い魔という立場を思い出させる発言。


 ナツメにとっても予想外の反応だったのだろう。


 口を動かしてはみるものの、思い通りに言葉を組み立てることが出来ない。


 二人そろって馬鹿のような恰好をしているアルス二人組を目で一蹴すると、ガロンたちは今度こそ教室を出ていった。


 アルスはゆっくりと机に体重を掛けながら立ち上がる。


「ナツメは知らなかったのかもしれないけど、魔法使いってだいたいガロンみたいなやつが大半なんだよ。使い魔はどんなことがあっても魔法使いの下僕。たとえ仲良くなったとしても、それ以上の関係には発展しない」


「なら、アルスはどうして私に冷たく当たらないの? あなた、他の魔法使いと比べても変っていうことにならない?」


「それは……おばあちゃんの言葉だよ」


 今でもあの優しい笑顔は脳裏に浮かんで離れていない。どこか儚くて、まるで枯れる前の華のような笑み。


 彼女はいつもアルスに使い魔との付き合いについて聞かせていた。


 そのせいで幼くて純粋だったアルスは何でも信じ込み、昔から祖母の言うことに従って行動してきたせいもあって、使い魔のことを大切にしているのだ。


 誰の得にもならない回想が頭に浮かび、アルスは首を横に振る。


「そんなことはどうでもいいよ。けど、これで試練に挑戦する理由が増えたね」


「ええ、私は元の世界に帰るため。あなたは馬鹿にしてくるクラスメイトを見返すため。お互いに諦められないわね」


「いや別に……」


「そこはシャキッと返事しなさいよ!」


 前向きに返事できないアルスの頬をナツメは思いっきり引っ張った。どうやら全力に近い力を入れているらしく、針に刺されているように痛い。


 涙目になりながら「痛いって!」と抗議の声を上げるものの、ナツメはすぐに許さない。


 不満げに顔を顰めていた。


「ともかく、悪ガキのガロンに負けないように私たちも試練の対策をするわよ」


「ナツメは魔物と戦えるの?」


「え?」


 アルスの素朴な疑問に、ナツメは間抜けな声を上げた。


「どうして私が戦わないといけないの?」


「使い魔は魔法使いと戦ってこそ意味があるんだよ。研究室に籠ってる魔法使いは助手みたいに使うことはあるけど、ほとんどの魔法使いは戦闘だね」


「私が剣を持たないといけないの?」


「別に剣じゃなくてもいいけど……」


「なら、魔法は使える?」


 ナツメの質問にアルスは頷いた。二ホンという国では魔力を遣えなかったらしいが、ここは異世界だ。もしかしたら魔法の才能が開花していなかっただけで、異世界に来た今なら使えるかもしれない。


 ナツメの期待に応えられるかはわからないが、やるだけならコストはかからない。


「とりあえず、杖を買ってみようか」


「こんなところでじっとしていられないわね。早く行きましょう!」


「ちょ……」


 どこで杖を打っているのかも知らないのに、ナツメはアルスの手を引いて教室を出て行こうとする。


 魔法に対しての憧れが強いのは良いことだと思う。だが、その期待が壊れてしまうことが怖かった。


 絡まる足にバランスを崩しそうになりながらも、アルスは彼女を追った。

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