第7話

 エルクール学院を離れたアルスとナツメは、学院の外に広がるメルコポートの街に来ていた。


 多種多様な民族が暮らすこの国には、人間だけでなく半人半獣の姿の者もいる。


 稀に下半身が魚類の見た目をした人間がいるらしいが、アルスは見たことがなかった。


 二人はそんな街の一角にある、閑古鳥が鳴いていそうな店にいた。


「というわけで、ダーチャ、この子に杖を見繕ってくれないかな」


「ほう……」


 ダーチャ、と呼ばれた魔法杖の店の主人は、使い魔であるナツメを白い髭を触りながらじっくりと眺める。


 彫りが深く、色黒の老人に眺められたナツメは怯えたように後ずさりした。


「ちょっと、この人は大丈夫なの?」


 アルスの耳元でナツメは囁く。


「店も汚いし、客も全くいないけど、魔法杖を作る腕に関しては大丈夫だよ。そこは僕が保証してあげる」


「誰がオンボロ屋の主人だ! アルス、いい加減なことを言ってると今度の修理は割高にするぞ!」


「謝るからそれだけは勘弁して!」


 万年貧乏な学生であるアルスにとって、魔法杖の修理はとんでもない大消費だ。もし割高にされれば、しばらくはもっとも安い食料である木の根を食べる生活になりかねない。


 みっともないアルスの泣き言にダーチャは鼻を鳴らすと、ナツメの杖を探すために倉庫へと消えていった。


「ナツメもいるし、しばらく食費は見直さないといけないかな……」


 生活の心配をしているアルスをよそに、ナツメは沢山の杖が飾られた店内を歩き回っている。


「間違っても杖を落とさないでよ」


「わかってるって。あっ! これとか高そうじゃない?」


「それはダーチャの杖!」


 ナツメが最初に手にしたのはダーチャの杖だった。彼の最高傑作であり、最も愛用している杖であるそれは壊せば弁償どころの騒ぎではない。


 もしかしたらあの世の果てまで追いかけられることも容易に想像できるほどだ。


 ナツメは両手で弄ぶように杖を振り回す。その光景をアルスは死んだ思いで見つめていた。


 ナツメはダーチャの杖を置くと次なる獲物を探し求めて歩き出す。


「これとか私に似合いそうじゃない?」


「僕には杖の良し悪しはわからないよ……ダーチャに任せておけばいいのを選んでくれるから、それまで座ってなよ」


「アルスは面白くないわね」


 目を細めて不満げに言われても、アルスは常連なので今更新しい発見が無いだけなのだ。ダーチャの店のどこに何が保管されているのか、ほとんど暗記している。


 とはいえ、そんな話をしても何の益にもならないので、アルスは店内ではしゃぐナツメを見守ることにした。


 ちょうどそのとき、店の奥から老人が姿を見せた。


「お嬢ちゃん、この杖を持ってみてくれないか」


 ダーチャの持ち出した杖の、あまりにも意外なその姿にナツメは言葉を失った。


 全長はナツメの身長より若干長いぐらいだろうか。細長い木製の円柱の先に、鳥の羽のような彫刻が施されている。


 デザインはシンプルなものだが、いかんせん大きすぎた。


「これが……私の杖?」


「ああ、ちょっとデカい気はするが、きっとお嬢ちゃんの魔法を補助するのに役立つと思うぞ。一度持ってみてくれ」


「ええ……」


「そんな嫌な顔をしなくてもいいんじゃない? 合わなかったら別の杖にすればいいしさ」


 どこか慰めるようなアルスの言葉に、ナツメは渋々杖を手にした。


 自分の背丈を超える大きさの杖にバランスを崩しながらも、ナツメは目を閉じて杖に意識を向ける。


 途端、店の中に暖かい光がいくつも生まれた。


 光たちは自由に飛び回り、ナツメを見ているアルスやダーチャの心を満たす。心の欠けた部分を埋めてくれるようで、二人は顔を綻ばせてしまった。


「おお……」


 ダーチャは感嘆の声を上げる。アルスも温和な気持ちでナツメを眺める。


 しばらくして、杖との相性を確かめることができたナツメは杖から手を放した。


 額にはいくつもの汗が浮かんでいる。かなり精神を使ったのだろう。汗の拭いながらナツメは口を開いた。


「すごい……杖があるだけでこんなに変わるのね」


「それは杖のおかげというよりも、杖との相性のおかげだな。ワシが見込んだ通り、その杖とお嬢さんの相性はぴったりみたいじゃな」


「嬉しいけど……こんなに大きいのは嫌なような……」


「どうしたの? 何か不満があるなら先にダーチャに伝えておいたほうがいいよ」


 相性抜群と聞いて嬉しそうにしながらも、ナツメの顔には未だ翳りが残っていた。


 アルスが不思議そうな目を向けても、ナツメは「気にしないで」というだけだ。


 そんなやり取りをしている二人をよそに、ダーチャはナツメから杖を取り上げて最終チェックに入る。


「傷は……なし。歪み……なし。穴は……なし。よし、これで大丈夫だ。支払いはアルスに付けておくから、お嬢ちゃんは値段の心配をしなくていいぞ」


「なんで僕が払わないといけないの⁉」


「そりゃあ、使い魔の面倒を見るのは主人の務めに決まってるだろ。エルクール学院に通っててもそんなことすら習わないのか?」


「習ったけど、そうじゃなくて、ナツメも人間だよ?」


 アルスの必死な抗議を前にしても、ダーチャは顔色一つ変えることはない。むしろ楽しそうな笑みを浮かべている。


 貧乏学生を相手にダーチャは容赦しなかった。


「ほう……使い魔として召喚しておいて、こういうときだけ人間扱いか」


 ダーチャの正論に言い返すだけの根拠をアルスは持っていない。老人に手玉に取られたことを歯噛みしながら、アルスは苦々しい表情を作った。


「わかったよ、払うから値段を教えてよ」


 ダーチャが口にした値段は、貧乏なアルスを更に困窮させる値段だった。


「うう……」


 スカスカの財布からなけなしの金貨が消えていく。まるで自分の体の一部を奪われたような感覚にアルスは陥った。


 守銭奴め、と目の前の老人に対して心の中で悪口を唱えながら、アルスは金貨を手渡しする。


 大量の金貨を手にしたダーチャは最高の笑顔だった。


「毎度あり、今後ともうちの店をよろしくな」


「こんなボロボロな店にもう二度と来るもんか!」


「そう言っていつも来るんだろ? 可愛い奴め」


 ダーチャはそう言うと、アルスの短い髪を雑に撫でまわす。だんだん髪が乱れていく感覚は不快だが、それ以上にダーチャの手の暖かさや優しさが伝わってきて、すさんだアルスの心を癒してくれるようだった。


 だが、こんなところで油を売っているわけにもいかない。


「ダーチャ、今日の用事はナツメの杖を買いに来ただけだから、僕らはもう帰るよ。また何かあったら来るから」


「ダーチャさん、ありがとうございました」


「また来いよ」


 アルスに続いてナツメも感謝を述べる。


 長年生きた人とは思えないぐらい生気溢れる笑顔で、ダーチャは二人を見送った。


 店の外へ出て、ダーチャの姿が完全に見えなくなると、ナツメがアルスのそばに寄ってきた。


 その顔には心配の色が浮かんでいるように見える。


「大金とか言ってたけど、アルスのお金は大丈夫なの?」


 どうやらナツメはアルスの経済事情を心配しているらしい。ナツメにはこの世界の金銭感覚については教えてあるので、店で払った金額がどれほどのものかわかっていての質問だった。


 ナツメの質問に答えるのなら、大丈夫ではないというのかアルスの答えだろう。


 しかし、


「ダーチャは僕の足元を見て、ナツメの杖をギリギリまで値引きしてくれたから生活はできるよ」


「あの人、そんなことをしてたの?」


「言ってることややってることは酷いけど、結構いい人なんだ。客に無理な値段の杖は売らないし、性能について嘘を言わない人だよ」


 アルスの高評価が意外だったのだろうか。ナツメは形のいい両眉を上げて驚いている表情だった。


「アルスってダーチャが好きなのね」


 一瞬、何を言われたのかさっぱりわからなかった。


 頭の中でナツメの言葉の意味を考え、ゆっくりとかみ砕く。思考が理解に追いつき、徐々に言葉の意味が鮮明となってくる。


 アルスは顔を真っ赤に染め上げてナツメの言葉を否定した。


「馬鹿なことを言わないでよ! 誰があんな奴なんか……」


「隠さなくてもいいの。口では嫌いとは言っても、どうせ好きなんでしょう?」


 挑発するような物言いのナツメの言葉は不快だ。だが、アルスは何も言わなかった。


 無言を肯定と受け取ったのだろう。ナツメはアルスから背を向けて、エルクール学院への道を歩き出す。


 と、その足が止まる。


「あ」


「どうしたの?」


 ふとナツメの足が止まる。そのまま後ろを振り向き、呆然と突っ立っているアルスに向けて、満面の笑みを咲かせた。


「杖とか生活のこととか、いろいろありがとね」


 杖を買って良かった。アルスは心の底からそう思った。

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