第3話

 徹夜でナツメにエルクール学院について教えた翌朝、二人はエルクール学院の廊下を歩いていた。


 廊下の側面はガラスで覆われており、中庭に広がる花畑を見渡せる。今は花盛りの季節なので、色とりどりの花が鮮やかに咲いていた。


「改めて見ると、結構綺麗な指輪ね」


 陽の光に薬指の指輪を透かしながら、ナツメは呟いた。


 彼女が付けている指輪はアルスが渡したものだ。契約の指輪と呼ばれる代物で、美しい花々をモチーフにした彫刻が刻まれている。


「気に入ってくれて良かった。その指輪は僕の祖母が作ってくれたんだ。世界で一組だけの契約の指輪だよ」


「あなたのおばあさんって手先が器用なのね」


「えへへ……」


 自分のことを褒められているわけではないのだが、自慢の祖母なだけあってアルスは嬉しかった。


 アルスが照れ笑いしていると、二年生の教室が見えてくる。


 異世界の文字が読めないナツメに説明するため、アルスはドアに掛けられた看板を指さした。


「あれが僕の通う教室だよ。これからナツメのここに通うことになるから、覚えておいて」


「文字が読めないって本当に不便ね……わかったわ」


「気を付けてね」


 アルスは息を呑み、騒々しい教室へと足を踏み入れる。


 途端、突き刺さるような視線がいくつもアルスとナツメを穿った。


 生徒たちの顔に浮かぶ嘲笑や軽蔑。それらは全てアルスに向けられたもので、中には二人を見て囁く者もいた。


 見慣れたアルスは平然と構えてみたが、ナツメはそうもいかないらしい。そっとアルスに耳打ちする。


「なんだか馬鹿にされてるみたいだけど、本当にこの教室で合ってるの? どこか別の教室を間違えたんじゃない?」


「こんなの僕にとってはいつものことだよ。ナツメは気にしなくて大丈夫」


 重い闇が心にのしかかるのを隠して、アルスは気丈に笑ってみせる。


 魔法が下手なアルスにとって馬鹿にされることなど日常茶飯事だ。いちいち反応していてはきりがない。


 ナツメは目を細めて怪訝にするものの、それ以上は尋ねなかった。


「おーい、アルス。そんなところに立ってないで席に着け」


「すみません」


 ちょうどそのとき、アルスのクラスの担任であるモリアーティー教授が現れた。


 男性にしては長めな金髪を優雅に纏ており、シワ一つない教師服を着こなしている。どこか冷徹にも見える険しい青い瞳がアルスを映していた。


 本能的な恐怖を感じながらも、アルスは返事をした足を進める。ナツメにも目配せしてついて来いという意思表示をした。


「ここに座って」


 自分の席に着き、とりあえずナツメを座らせると、羽ペンとノートを取り出す。


「今から何をするの?」


「魔法の講義だよ。集中するから静かにしてて」


「そんなに真面目なのに成績が低いのね」


 辛辣なナツメの一言に鼻を鳴らすと、アルスはモリアーティー教授に集中する。


 モリアーティー教授は石灰石を右手に持ち、黒板に魔法陣を掻き始めた。


「今日は誕生日が最も遅いアルス君が使い魔を手に入れたので、生徒全員に使い魔の講義を始める。まず……」




「では、本日の講義はここまで。わからないことや質問がある場合は職員室に来るように。それと、星降りの夜に創天の樹に挑戦したい者も、私のところに来なさい」


 事務的にそれだけ言い残すと、モリアーティー教授は教室を後にした。


「起きてますかー?」


「うーん……アルス、授業は終わったの?」


「終わったから、僕の寮に帰るよ」


 板書どころか魔法理論もわからないナツメは、授業が始まってすぐに寝落ちしてしまった。いびきを掻いていなかったのは幸いだが、起こすのに一苦労だ。


 寝ぼけ眼のナツメは腰を重そうにして立ち上がる。あまりにものっそりとした動きにアルスはため息をついた。


 ふと、誰かに肩を叩かれた感覚がして、アルスは振り返る。


 そこに立っていたのは、ガロン、ヤード、ポンドの三人だった。


 ガロンは学院で名高い悪ガキで、高頻度でアルスにちょっかいを掛けてくる。ヤード、ポンドはガロンの取り巻きといった感じで、いつもガロンの後ろで薄ら笑いを浮かべているだけだ。


 額にしわを寄せ、あからさまに不快そうな声音でアルスは尋ねる。


「ガロン、僕に何か用?」


「別に。お前が使い魔を召喚したらしいから、ちょっと見てやろうと思っただけだ。な、ヤード、ポンド」


「そうそう!」


「ガロンの言う通り!」


 ガロンの呼びかけにヤードとポンドは大きく頷く。下っ端根性が豊富な二人の言い方にアルスは呆れる思いだった。


 嘆息するアルスをよそに、ガロンはアルスの使い魔であるナツメを見る。どこか嘗め回すような不快な視線に、ナツメは身震いした。


 卑しい笑みを浮かべながらガロンは口を開く。


「おいおい、いくらモテないからって人間の女を使い魔にするとか変態だろ。しかも十分に魔力を持ってないみたいだし、お前にはお似合いだな!」


「だな!」


「だよな!」


 アルスだけならまだしも、ナツメまでも馬鹿にする発言に苛立ちが募る。


 嘲笑いを受けたナツメは思考が回らないようで、口を開閉するだけで文句を言うことなない。


 彼女の怒りを代弁するかのように、アルスは口を開く。


「人間を召喚すること自体が凄いだろ。性別や魔力の量なんて大した問題にならないはずだ」


「いや、確かに人間を召喚するのは稀だけどさ、お前、それを本気で言ってるわけ?」


「どういう意味だ」


 ガロンは右手の掌を上に向け、目を閉じて魔法を紡ぐ。


 赤い魔法陣が手に浮かんだかと思うと、まだ赤ん坊であろうドラゴンがガロンの掌に現れた。


 金色の角に鋭い牙と爪。成長したら間違いなく最強クラスの使い魔になるであろうドラゴンだった。


 まだ幼いドラゴンは小さな翼で宙を舞うと、ガロンの肩に着地する。


「こいつの名前はナーク。お前に見せるのは初めてだが、俺の召喚獣だ」


 ガロンの声に応えるかのように、ドラゴンは小さな声で咆哮する。


「ナークとアルスの使い魔じゃ、どっちが上かなんて一目瞭然だよなあ?」


「私にはナツメっていう名前があるのに、アルスの使い魔って呼び方はやめなさい!」


 今さらのナツメの突っ込みに誰も反応しなかった。代わりに使い魔の主は互いに視線を交錯し、相手の顔色を窺っている。


 羨ましい。アルスの感想はそれしか出てこなかった。


 ドラゴンと人間の女性のどちらが使い魔として優秀かといえば、ビジュアルも能力もドラゴンの圧勝だ。


「ぐぬぬ……」


 歯噛みするアルスに、ガロンは見下すような視線を向ける。


「まあ、成績優秀な魔法使いの俺にはドラゴンがお似合いだが、成績最低辺なアルスには女の子が使い魔にふさわしいな!」


「だよねー」


「ですよねー」


 ガロンの言葉に、ヤードとポンドも賛成する。


 アルスに背を向けると、高笑いを浮かべながら三人と一匹まとめて教室を去っていった。


 普段通りの悪口に動揺するアルスではない。だが、悪口に慣れていないナツメはそういうわけにもいかないらしい。


「なんなの、あいつ! アルスのことはまだしも、私のことまで好き放題言うなんてどうかしてるんじゃない⁉」


「思わぬ伏兵がいた!」


 同じ境遇に立っていると思っていたのに、ナツメは堂々と背中を刺してきた。


 ショックのあまり世界が反転するように感じる。頭が現在の理解を拒み、視界がまっ暗になる。


 立ち上がる気力が湧かず、落胆のあまり地面に手をつけるアルスに、ナツメは不思議そうに首を傾げた。


「どうしてそんなに落ち込んでるの?」


「いや、まあ、いろいろありまして……」


 なんだか説明するのも面倒になってきた。どうして自分が落ち込んでいるのか説明する人間など、この世にいるのだろうか。


 鉱石がつまったように重い体を持ち上げて、アルスは立ち上がる。


「あいつらのことは考えるだけ時間の無駄だから、これ以上はやめにしよう。それよりも、モリアーティー教授のところに行かないと」


「そういえば、星降りの夜になんとか、って言ってたわね」


「寝てたのに聞いてたの?」


 もしかしたらナツメは凄い使い魔なのかもしれない。そう思いながらも話を本線に戻す。


「星降りの夜に創天の樹に上るって話をしたのは覚えてる?」


「私が元の世界に帰るのに必要なことだったわよね?」


「そう。試練は誰にでも受けることが出来るんだけど、やっぱり目立つ前には名乗りを上げるのが魔法使いの礼儀だから、学校に伝えてみんなに告知するんだ」


「魔法使いって難儀……」


 ナツメは眉を寄せて難しそうな顔をした。ナツメの世界では偉業の前に名乗りを上げる常識は無いらしい。


 異世界との差異を今更ながらに感じたアルスだった。


「とにかく、モリアーティー教授のところに行こう」


「よくわかんないけど一緒に行くわ」


 二人で話し込みすぎていたせいか、すでに教室に生徒の姿はない。アルスとナツメの空虚な靴音だけが、やたら広い部屋の中でこだましていた。



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