第2話

 アルスと謎の人間は荒れてしまった実験室から場所を移し、エルクール学院に併設された寮の一角にあるアルスの部屋にいた。


「で、使い魔の儀式で私が呼ばれたと。裸の女の子を召喚するなんてふざけてるんじゃないの?」


 長々と事情を説明したアルスの目の前で、アルスが貸したエルクール学院のローブを纏った人間、否、少女は椅子に座ってため息混じりにそう言った。


「その通りです」


 アルスはひりひりと痛む眉間を抑えながら、少女の言葉を肯定する。


「まさかタオル一枚で召喚されるとか信じられない……まあ、このローブを貸してくれたことは感謝するわ」


「さすがに女の子を全裸で放置するわけにはいかないでしょ」


「そこは異世界でも常識なのね」


 ちょっと感心したように少女は頷く。どこかアルスの世界を舐められている気がして、肩眉が跳ねた。


 アルスの怒りなど知ることなく少女は部屋の中を見回す。


「なんだかヨーロッパみたいな部屋ね。ライトノベルで異世界転生は何度も読んできたけど、まさか本当に起こるとは思わなかったわ」


「ヨーロッパ? ライトノベル?」


 どれも聞きなれない単語だらけで、アルスは眉を寄せる。その反応に少女も驚いたらしく、綺麗な黒瞳を見開いた。


「まさか……日本も知らないんじゃないでしょうね?」


「二ホンってなんだよ。聞いたこともないよ」


「うっそでしょ⁉」


 顔を顰めながら、不快そうに答えたアルス。その返事に少女はため息を吐くと、額に手を当てながらテーブルに突っ伏した。


 少女は気怠そうに顔だけを動かし、アルスと目を合わせる。


「ここが異世界だとして、どうして私たちは話せてるわけ?」


「使い魔召喚の魔法の効果だよ。お互いの言葉が違っても、最低限は話せるようになるんだ」


「ふーん、魔法って便利なのね」


 どこか納得していないものの、少女は頷いて強引に理解を試みているようだった。


 アルスからしたら魔法は万能で、なんでも解決できるものだと思うのだが、異世界の少女にはそうではないらしい。目を瞑って深々と考え込んでいる。


 やがてナツメは目を開くと、思い出したように手を叩いた。


「私を呼んだのかいいけど、帰せないなんてことはないでしょうね」


「それは……」


「どうして返事できないの?」


 少女の向こうに視線を逸らすアルスを見る目は厳しい。


 学院で魔法を学んでいるばかりの魔法使い、まして学年最下位のアルスが少女を元の魔所に戻す方法など知る由もない。


 あからさまに答えられないアルスの態度に、少女はがっくりと肩を落とした。


「もういいわ。今更だけど、あなたは誰?」


「僕はアルス・シャーロット。シャーロット家の一人息子で、エルクール学院に通ってる」


「シャーロット家とか、エルクール学院とかはよくわからないけど、とりあえずアルスって呼ぶね。私はアマサワ ナツメ。ありきたりな日本人の女子高生よ」


「ジョシコウセイ?」


 お互いに自己紹介したはずが、どちらも知らない単語だらけだ。アルスも名前以外さっぱりわからなかった。


 アルスとナツメは目を合わせ、無言で意思疎通をする。


 互いに深掘りすると、面倒くさいことになるからやめよう、と。


 素性が曖昧なままにナツメは話を進める。


「どうしてアルスは使い魔なんて呼んだの?」


「エルクール王国では、十五歳の誕生日から魔法使いは使い魔を持てるようになるんだ。今日は僕の十五歳の誕生日だから、使い魔を召喚して……」


「私が来ちゃったってわけね」


 アルスは首を縦に振って認める。


「でも、俺もナツメを呼ぶつもりなんて全く無かったんだ。ドラゴンとか精霊王とか、もっとすごいのを呼ぶつもりだったんだよ」


「その言い方だと、私が外れ枠みたいだからやめてくれない?」


「人間を召喚できるなんて本来はあり得ないことだよ。むしろ奇跡と言ってもいいぐらい。歴代の賢者でも人間を召喚したなんて聞いたことないから」


「……私って凄いの?」


「うん」


 アルスがそう言うと、ナツメは頬を赤らめて嬉しそうに頬を緩ませた。机をバンバン叩いているあたり、満更でもないらしい。


 アルスが白けた目で眺めていると、やがてナツメは元通りの表情に戻る。


「それはそれとして、どうやっても私を元の世界に戻せないの? あなたの使いまっていうのも嫌なんだけど」


「使い魔は呼び出せても、契約はお互いの合意の上でしかできないから、心配しなくても大丈夫。だけど、召喚についてはどうしようもないね」


「本当に?」


 黒くて大きな目がアルスの姿を映す。学年最下位、窓際族のアルスが女の子との距離を測れるはずもなく、思わず顔を背けてしまった。


 突き刺さるような視線を感じながら、アルスは適当に口を開く。


「今から三つの月が過ぎた後、星降りの夜っていう行事があるんだけど、その行事では何では何でも願い事がかなえられるんだ」


「その願い事で元の世界に帰れって言うのね」


「そう。だけど……」


 言葉を濁すアルスに、ナツメは不快そうに眼を細めた。次の言葉を催促していることがわからないほどアルスも馬鹿ではない。


「願い事をかなえられるのは、この王国でただ一人。余程の実力を持った魔法使いだけなんだ。エルクール学院には創天の大樹と呼ばれる世界で一番大きな樹があって、星の降る夜に大樹を登り切った魔法使いだけが願いを叶えられるんだ」


「なら話は早いわね。その日にそこへ行きましょう」


 ナツメの返事にアルスは顔を曇らせる。


 誰でも願いを叶えられるのなら、今頃この国には悩みや願いを持つ人間などいないだろう。


 だが、実際には多くの人が叶えたい思いを持っている。


 伏し目がちになりながら、アルスはナツメの不満顔を見える。


「大樹を上るには三つの試練があって、それをどうしても突破しないといけないんだ」


「そんなに難しい試練なの?」


「うん。この数百年の間、誰も突破出来ていないんだ。しかも試練を受けることが出来るのは一生に一度だけ」


「つまり、失敗したら終わりっていう意味なのね」


 一気に難易度が上がったことを実感したらしく、ナツメの目が険しくなった。二ホンと呼ばれる世界に帰れない可能性も考えているのかもしれない。


 アルスも、不手際とはいえ、ナツメを異世界に召喚してしまったことを申し訳なく思っていた。


 そう考えたところで、ある考えがアルスの脳裏をよぎる。


「召喚できるのは召喚に応じた使い魔だけなんだけど、どうしてナツメは召喚されてきたの?」


「あ、えーと……」


「正直に話してくれない?」


 問い詰めるアルスの視線にナツメがたじろぐ。彼女はしばらく視線を彷徨わせていたが、アルスが折れるようには見えなかったのか、やがて嘆息した。


 あからさまに嫌そうな声音を含ませてナツメは口を開く。


「私が召喚に応じたのは、少し家出しようと考えてたときだったからなの。光の環が目の前に出てきたときおかしいとおもったけど、まさか異世界に繋がってるなんて思ってもいなかったのよ」


「ナツメって大人っぽくないよね。その歳で家出っていうのは僕の世界だと無理があると思うんだけど……」


「そのくらい、言われなくてもわかってるわよ。でも、どうしても家出したい事情があったの!」


「どうしても、ねえ……」  


 流し目にナツメを眺めるものの、彼女は腕を組んで鼻を鳴らすだけだ。家での理由については話すつもりはないらしい。


 アルスは大きなため息をついて今後のことを考える。


 明日からは普通に学院の授業がある。ナツメのことばかりに構ってはいられない。


 とはいえ、召喚してしまった以上は責任を持たなければならないと思う。


 アルスは下を向いて唸ると、上目遣いにナツメに尋ねた。


「せっかく召喚されたんだし、僕と契約して使い魔になってよ」


「却下」


「ええ⁉ 少しぐらい考慮の余地を残してくれても……」


「使い魔って、言い換えれば奴隷みたいなものでしょう? 私は自由主義の日本人として断固拒否します」


「いやいや、そんな上下関係がはっきりするような契約じゃないから! お互い平等で、今なら魔法を使える特典が付いてくるよ!」


「魔法?」


 アルスの言葉に引っかかりを覚えたようで、ナツメの肩が小さく揺れた。


 椅子から立ち上がり、アルスの肩を力強く掴む。


 女性とは思えないほどのその握力に、アルスの背筋に汗が伝うのを感じた。


 嘘を許さないまっすぐな瞳がアルスを射抜く。


「本当に魔法が使えるようになるのね?」


「うん……多分」


 今更わからないなどと言えないアルスだった。


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