第32話 いってきます

「とにかくそう言うわけもあって押しに負けたと言いますか、でも小梅のことも同じように恋人として扱うつもりだし、今度、小梅の家に泊まらせてよ」

『えっ、い、いいんですか?』


 黙っていてくれるようなので背後の陽子はおいておいて、とにかく小梅の感情をフォローするためそう提案すると、狙い通り小梅の嬉しそうなはしゃいだ声が返ってきてほっとする。


「もちろん。初日だからちょっと申し訳ないけど、実際には全部同じ日に同時進行ってわけにはいかないもんね。そう言うわけで今日のも録音消させてね。ごめんね」


 同じ回数えっちするのが誠実さ、と言う訳ではないけど、最初はちゃんとしないと駄目だよね。何回もして気にならなくなったらともかく、恋人になって最初の一回は大事だもんね。陽子との最初の一回とんでもないことになってる気がするのは気のせいとして。


『い、いえ。まあ、確かにおっしゃる通り、私にはキスもしてくれなかったのに……と言う気持ちはありますけど、遅かれ早かれ、こうなっていたと思います。だって、やっぱり陽子さんは一緒に住んでて、毎日でも一緒にいられるんですから』

「ご、ごめんね」


 ちょっと拗ねたように責められて、私は謝るしかできない。せめてキスだけでも許可しておけばまだしも、それも駄目ってプラトニックぶっておいて陽子とはぐちょぐちょですなんて、冷静に考えて私が駄目だ。その場の情欲に流された私が悪い。


『いえ、だからその……正直に話してくださって、私に真摯に向き合おうとしてくださって嬉しいです。朝日先輩のそう言うところ、本当に大好きです。それじゃあ明日、泊まりにきてください』

「うん、わか……え? あ、明日?」


 だけどそんな私にも小梅は優しい声音で許してくれて、ああ、やっぱり好きだなと思いながら相槌をうち、脳の理解が遅れて追いつく。

 明日? 今日からの明日? え? いや、急すぎ、るのは陽子の方だけど、いや、でも明後日学校だし、ていうか、結構疲れてるし、明日お泊りはちょっと……。


『あ、用事がありましたか? でしたら明後日でもいいですけど』

「えーっと……はい、行きます」


 予定とかはない。ただちょっとめんどくさいなーって言うだけで、だから、全面的に悪い私に断る権利はない。


『やった! ありがとうございます! 嬉しいです!』

「う、うん。あ、っと、終わってるけど、とりあえず陽子部屋に戻すから、一回切るね」

『あ、はい。では、お待ちしてます』


 いくら解散しかけていたとはいえ、じーっと私を見てくる陽子を放置することはできない。小梅も喜んでくれたし、フォローはできた、と言うことでいったん電話を切った。

 そしてそっと小梅を振り向く。足首のガムテープもすでに外している陽子がジト目を向けてきている。


「えーっと、ごめんね、陽子。言っちゃって」

「ほんとだよ。って言いたいけど、ていうか、なんか、録音とか言ってなかった?」

「あ、そうそう。言おうと思ってたんだけど、私、小梅に盗聴器しかけられてて」

「は? ……え、小梅さん、めっちゃやばいひとじゃん」


 うん、まあ。でも、小梅も陽子には言われたくないと思う。


 音声に関しては言わなきゃと思ってたし、陽子がどスケベなのをばらしたのもあるので、素直に小梅のことも話すことにした。そうして説明しつつこうちゃんから取り出して録音を削除する私に、陽子はドン引きしていた。


「いや……おねえって、マジ、心広いよね」

「まあ、自覚はあるよ」

「皮肉だよ、ばーか。はー。まあ、そう言う変人じゃなきゃ、二股するわけないか」


 めちゃくちゃ呆れられた。えー、でも心、広い方じゃない? そもそも陽子のことも受け入れるの心広くなきゃできないと思う。


「まあ、いいよ。今日の明日で、お泊りで丸一日とかマジずるいって思うけど、でも、私も、小梅さんはしなかったって聞いておいて、その、してもらったわけだし」

「うん。ごめんね」

「ん。いいよ、おねえのこと好きだから。えへへ。じゃあね、おやすみ、おねえ」

「おやすみ」


 陽子は手足首と顔にテープ跡をつけた状態で笑顔で帰っていった。ふー、なんとかなったな。


 そして私はかいた汗とかをウェットシートで拭いて一息つく。さて、と。明日の予定を小梅と決めるのに通話しなきゃ。


「……」


 ……いや、疲れたなぁ。めんどくさい。明日って、えー、疲れた。そんでなんか、私めっちゃ謝ってたけど、よく考えたらそこまで謝らなくてもよかったような。結果的に陽子だけ優遇しちゃったのは謝るべきだけど、今日一日で陽子にもめっちゃ謝ってたし。

 私の結論が普通じゃないのは自覚あるけど、でも別に謝ってお願いして二人と恋人になったんじゃなくて、二人も自分の意志でOKしてくれたのに、一方的に謝るのも違うような。


 まあ、今日はとにかく、私もあの二人も興奮して浮かれて動揺していたんだから、今のこの状態がスタンダードってわけじゃないよね。

 陽子はさっきの通話でちょっと拗ねたふりしたけど、実際にはその前のえっちでめっちゃ満足させただけあって、結構清々しい顔で戻っていったもんね。明日小梅の家に行ってえっちなことしてじっくり話したら、これでまた落ち着くよね。


 よし、明日が最後だ。頑張るぞー。


「……」


 通話めんどいな。眠い。でも小梅待ってるし、とりあえず繋げて、寝たらその時、と言うことにしよう。


 私は電気を消してベッドに入ってから通話ボタンを押した。そして何とか明日の予定を詰めるのだった。








「……あのさ」

「なに?」


 泊まりに行くとなれば着替えを用意しないといけない。しかも明日は月曜日。まさか早起きして一回家に帰る、なんてめんどくさいことするわけないので、普通にそのまま通学するための用意もいる。

 朝ごはんを食べ終わって用意をしようとしたところ、陽子が部屋にやってきた。なのに何を言うでもなくもじもじしているので、とりあえず無視して用意をしていたのだけど、ようやく声をかけてきた。

 もうリュックに着替えも制服もいれたし、あとは通学鞄を別に持つだけ、と言う状況になってようやくだ。まだ出かけるには時間があるからいいけど、そんなに心の準備が必要なことってなんだろう。ちょっとびびる。


「あ、あのさ、その、ちょっとおねえにお願いって言うか、提案があるんだけど」

「時間かかるやつ? とりあえず言ってみてよ」

「か、かからない。変なのじゃないけど、その……笑うなよ」

「内容によるでしょ」


 そんな前置きされても、これから一発ギャグするから見て、とかだと普通に笑うし。


「……い、いってきますのキス、とか、してよ」

「あ、そう言うのね。いいよ」

「えっ、い、いいの?」

「いいよ?」


 そんな驚く? 恋人だって私も思ってるわけで、一線、どころかアブノーマルな線も超えているのだ。キスに抵抗はないし、手間がかかるわけでもない恋人らしい軽いいちゃつきを拒否する理由がどこにあると言うのか。

 むしろ可愛らしいおねだりでほんわかするし、そんなおねだりをこんなにもじもじして言いにくそうにしていたと思うと、より可愛らしい。


 自分から言い出しておいてびっくりしている陽子に苦笑しながら私は鞄を机に置き、ずっとドアの前に立っていた陽子に近寄って肩に手をのせて顔を寄せる。


「まだちょっと早いけど、いってきます」


 ちゅっと軽く唇をあわせてすぐに離れる。陽子がしてほしいなら全然余裕、と思っていたけど、何と言うか素面でするからか、してから恥ずかしくなってきた。

 でも陽子の方がかーっと真っ赤になっているし、喜んでいるようだからいいか。と思っていると、陽子は背伸びをしてぐっと顔を寄せてきた。


「お、おねえ……も、もう一回! まだ心の準備できてなかったし、私もいってらっしゃいって言ってなかったし!」

「えー。まあ、いいけど」


 私が普通に立っていれば、陽子が背伸びをしたってキスには届かない。これ絶対調子のってるな、と思ったけどなんか興奮で声もおおきくなってるし、断ったらもっと大きい声で文句言いそうなので受けることにする。

 ちょっとだけかがむと、陽子は私の首に腕をまわしてぐっと唇をあわせて舌をいれてくる。予想していたので歯を食いしばって壁をする。


「ん、んんん? ぱっ、なーんで歯開けないのっ?」

「あのさ、いってきますのキスってのは挨拶のキスでしょ。陽子がしたいなら、いってきますだけじゃなくて、おはようも、おかえりなさいも、おやすみもしていいんだよ?」

「ほ、ほんとに!?」


 私の首にしがみついてぶら下がるようにしながら眉を逆立てていた陽子はぱっと表情を明るくする。その感情の落差と言うか、わかりやすいところとか、満面の笑顔自体は可愛いんだけどなぁ。


「なのに、いちいちこんなのしてられないでしょ。どうする? 今だけならまだ時間あるし、そーゆーのが言ってきますのキスってことにしてあげてもいいけど?」

「んぐぐ、おねえずるい!」

「いってらっしゃいのキス、なんて可愛らしいおねだりで騙してきたのは陽子だと思うんだけど。あーあ、可愛い陽子のおねだりにときめいたんだけどなぁ」


 陽子の唇をつつきながらそう言ってやると、陽子はしかめた顔をとろけさせてでれでれしながら、もー! と嬉しそうに文句の声をあげる。


「もー! ……じゃあ、舌いれないから、もう一回して」

「ん」


 私はずっとちょっと中腰になっててしんどかったので、陽子の言葉に答える時間をかけずにキスをした。ついでにもう二回、三回、と唇を軽く触れさせる。

 陽子の腕が緩んだので外させる。陽子が目をあけたので、頭を撫でてからおでこにキスをする。


「じゃ、いってきます。いいね?」

「……明日、帰ってきたら、おやすみとおはようの分までキス、してよね」

「そう言う可愛い恋人のおねだりなら、大歓迎だよ」


 私は陽子にそっと笑いかけた。こうちゃんに聞こえてるだろうな、と思ったけど、まあなんでも消してたら仕方ないから、このくらいならいいだろう。


 私は小梅との関係もこのくらい平穏にするため、気合を入れて家をでるのだった。

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