第28話




 ここ最近、色々あって勘違いしていたが──俺の生活は基本的に寂しいものなのだ。



 疲れた身体で仕事から帰宅すると、俺はすぐさまスーツから地味なパーカーとスウェット生地のズボンへと着替える。

 ついで冷蔵庫へと向かうと、冷凍ご飯、煮卵、買い置きなサラダ、そして缶ビールを手に取る。


 今日一日の疲れを労うために、缶のプルタブを引っ張ると、ぷしゅっという音が静かなキッチンに響く。


 ああ、良い音だ。

 この音を聞けば途端に帰宅したことを実感して、妙に心が落ち着く。ASMRとかで誰か販売してくれないかなぁ。


 俺はビールを飲みながら、電子レンジに冷凍ご飯を叩き込む。


 タイマーはきっちり3分10秒。

 その間に、煮卵やサラダを準備していく。

 煮卵は、とある有名YouTuberが紹介していたレシピを参考にしていたものだ。唐辛子でぴりりとほどよく辛く、にんにく醤油のタレが、絶妙にご飯と合うのだ。


 そうして準備を終えると、俺はテレビをつけながらご飯をかきこむ。

 煮卵のタレ、煮卵、ご飯のバランスがとにかく最高だ。

 ビールで流し込むと、身体中から力が抜けていく。


 ふぅ。


 ここまで、帰宅してから約二十分程度。

 これが、俺がプライベート時間を楽しむために編み出したルーティーンだ。


 家に帰ってからの行動を決めておくことで、帰宅後の時間を存分に楽しむことができる。社会人にとって仕事後の時間をどれだけ楽しめるかで、人生の充実度合いが変わってくるといっても過言ではない。

 そのために、毎日、頭を悩ませているのだ。



 だが、



 以前ならこれで満足できていたのだが、最近は少しばかり様相が違った。


「…………」


 僅かな静寂の間に、隣の部屋から活発な足音と女性の声がほんの少し聞こえてくる。

 何を喋っているかはわからないが、とても楽しそうだ。


 そして同時に、俺が一人ぼっちであることを思い知らされる。


「…………はぁ」


 本当に女々しすぎるだろ。

 以前、俺は酔っ払っているとき、水瀬に「おかえりが欲しい」などと喚いていたらしいが、あながち間違いでもないのかもしれない。


 夜の学校から数週間が経過していたが、俺は水瀬とまともに喋れていなかった。


 もちろん、アパートの廊下で擦れ違えば、挨拶ぐらいはする。

 だが、会話はなく、擦れ違う回数もめっきり減った。

 それが故意に避けられているのか、偶然なのかはわからないが。


 ただ、



 ──ごめんなさい。


 ──気持ちは嬉しいけど……もう、君には頼れない、かな。



 水瀬のあの言葉が、まったくの無関係ということはないだろう。


 端的に言えば、俺は彼女に拒絶されたのだ。

 俺は何か勘違いしていたのだろう。

 ここ最近、水瀬と一緒に過ごしてきたことで、彼女に認められているのだと、他の奴らとは違う扱いを受けているのだと勘違いしていたのだ。


 思い上がりも甚だしい。

 水瀬には最初から助けなど必要なかったのに。


 でも、



 ──ご、ごめんね。ちょっと、なんか目が痒くって。さっき掻きすぎちゃったかも。



 だとしたら、彼女は何故泣いていたのか。


 あのとき、俺は彼女にも「弱さ」があるのだと思った。

 だから、俺に何かできないかと思って頼って欲しいと言ったのだが、それは拒絶されてしまった。

 それは、そもそも「弱さ」がないということなのか、俺みたいなやつの助けは借りたくないということなのか。



「……わかんねぇ」



 他人の気持ちを勝手にわかったつもりになって、自分に都合がよいように解釈して、自分の気持ちを押しつける。

 その行為が決して良いものではないのは、理解している。


 だが、気になる相手には、自然にそう振る舞ってしまうのだから不思議で。





 ──と。




 不意にスマホが震え、メッセージの着信を伝える。

 だが、その差出人は珍しい相手だった。

 

『明日、東京に行くから時間空けといて』



 そんな、こっちの都合を無視したメッセージ。

 相手は、海外を飛び回っているはずの俺の母親だった。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 幼い頃の記憶はあやふやだが、母親が離婚してシングルマザーとなった頃、いつも俺に謝ってばかりだったのは今でも覚えている。


 ──ごめんね、京也。


 ──お父さん、いなくなってごめんね。


 ──駄目な母親でごめんね。


 母親は口癖のようにそう繰り返し、どこか申し訳なさそうにしていた。

 それは、俺に我慢を強いていたと思っていたからか。


 今思えば、収入源が自分だけになったプレッシャーなどもあったのだろう。

 時折、子供よりも仕事が優先になることなんて、仕方がないことだ。

 当時の俺はともかく、社会人として働いている今となってはその苦労は嫌でも理解できる。


 だけど、母親はそうは思ってはいなかったようで、折れそうなほど細い身体で身を粉にしながら働く一方で、いつも俺のことを気にかけてくれていた。


 それから、二十年余り。

 俺の母親といえば──



「おいこら息子。あたしの話、聞いてんの? あんたの話とかどうでもいいから、あたしの話聞きなさいよ。それでね、この間、フランス行ったんだけど──」



 まるで別人かのごとく、強くなっていた。








 繰り返しになってはしまうが、俺の母親は普段海外を飛び回っている。


 趣味が旅行ということもあるが、仕事自体、海外でやっているらしい。

 昔から小さな商社で働いていたのだが、今は世界各地に飛び回って交渉などをしているらしい。

 もっとも、これほど海外に飛び回るようになったのは俺が独り立ちしてからだが。

 

 そうして、現在。

 母親は時折日本に戻ってきては、俺に謎の海外のお土産を渡すようになっていた。


 今日は、その一環。


 俺に仕事があるとかないとか、一切考慮しない傍若無人ぶり。

 慌てて有給を取ったにもかかわらず、同僚たちには受け入れてもらって本当に良かったと思う。


 で、母親と東京駅地下のカフェで会っていたのだが。


 店内はやや薄暗く、アンティークな音響機材でクラシックな音楽が流れていた。雰囲気がもうオシャレだ。

 俺のセンスじゃ、絶対に足を運ばないような場所である。


 そんな都内のオシャレな場所で、母親が差し出したものは。


「……なに、これ?」

「トーテムポールよ、トーテムポール。京也、あんた小さい頃からフィギュアとか好きだったじゃない。ほら、戦隊モノのやつとか」

「いや、好きだったけど……」


 これ、フィギュアって言っていいのか?


 なんか呪われそうな見た目してるんだけど。

 夜中に動き出しそうなんだけど。

 そして、フランスに行ってきたんじゃないのか? 

 絶対、これフランスで買ってないだろ。


 俺のそんな不満を表情から読み取ったらしい。

 母親は気怠そうに息を吐く。


「はぁ……子供の成長って早いわよね。小さい頃は、このトーテムポールで喜んでたのに、いつの間にか一丁前に文句を言うようになるし」

「俺がトーテムポールで喜んでた時期なんて一回もねぇよ。しかも、母さんの頭のなかの俺、何歳だよ。もう28歳だぞ、俺」

「はー、あんたもうそんな歳だっけ? 28っていえば、もうとっくにあんたを産んでた歳よ。京也、そろそろ結婚しないと不味いんじゃない?」

「別に今の時代、この歳で結婚してなくともおかしくはないんだよ」


 特に、都内周辺ではその考え方は強いと勝手に思っている。

 周りを見ても、28歳で結婚していないやつもたくさんいる。


 それに、結婚だけが幸せの形ってわけでもない。

 俺は一人が寂しく思うタイプだから、いつかは結婚したいと思っているが。


「はー、やっぱりあんた変わったわね。こんな口答えするようになるなんて」

「それ、何年も前から言ってるぞ。それに……変わったのは、母さんだってそうだろ?」

「そう? あたし、ずっとこんな感じじゃない?」

「離婚した当初はそうじゃなかっただろ」

「あー、まああの時期は辛かったからねぇ」

「辛いって」

「あのときのあんたなら口が裂けても言わなかったけど、今のあんたなら何となく想像できるでしょ? もう28なんだし」

「それは、まあ……」


 一人で子供を抱えて、稼ぎ頭として働くことがどれだけ難しいかは容易に想像できる。


 だとしても、子供に言うなよそんなこと。

 別にいいけどさ。


「頼れる従姉妹が近くに住んでてよかったわねー。あれなきゃ、本当に辛かったわ」

「美智子おばさんな。そういや、美智子おばさんにはもう会った?」

「そりゃ帰国して一番最初に会ったわよ」

「子供より先かよ」

「まあ、美智子とはマブダチだからね」

「マブダチって」

「美智子のおかげで、色々と徐々に慣れることができてよかったわ。いきなり全部は辛いし……あ、そういや、美智子に連絡しとかないと。『今、バカ息子と会ってます』……と」

「おい」


 咎めるような視線を向けるが、母親はまったく気にしてなさそうだった。鼻歌を奏でながら、ご機嫌でスマホを操作している。


 大雑把で、豪快。

 今となってはそれがうちの母親ではあるが──離婚した当初はやはりそうではなかったと思う。


 子供の頃だから記憶が曖昧なせいでそう思うのかもしれないが。

 あるいは、そんな母親があれほどまでに神経質になる程、当時は色々抱えていたというだけなのかもしれない。


 だとしたら、同じような状況の水瀬のやつは大丈夫なのだろうか。


「…………はぁ」

「なによ、あんた。ひとの顔見てため息ついて」

「別に母さんの顔見て呆れたわけじゃねぇよ」


 もちろん、そうしたい気持ちがまったくないわけじゃないが。


 ただ、水瀬に拒絶されてしまった今も、どこかで彼女のことを考えてしまって。

 やはり、ひとの気持ちってやつはそう簡単には切り替えることができないらしい。


 俺はそんなままならさに、再度溜め息を吐き出した。











 それから数十分も経たずに、母親は東京駅から新幹線で去っていった。

 なんでも、他の友達と会う予定があるらしい。

 じゃあ、また! と感慨もクソもなく去っていく母親を見送ると、特に何もすることがないので自宅の最寄駅へと戻り──


「え……」

「あ……」

「あ、堀越さん!」


 ばったりと、水瀬たちと出会った。


 水瀬の隣には、ランドセルを背負った愛莉。

 水瀬自身は仕事帰りなのかスーツ姿だ。


 時間的にはまだ夕方に入ったばかりである。

 ということは、水瀬の仕事が早く終わる予定だったため、愛莉と一緒に過ごす日にしたということだろうか。


 愛莉はにこにこしながら、洋服がはいった紙袋を掲げる。


「今日は、ちょっとだけ彩ちゃんとお出かけして服を買ったんです! 今度、堀越さんにも見せてあげますね!」

「……あ、ああ、ありがとな。楽しみにしとくよ」

「じゃあ、次の土曜日はどうですか? 愛莉、久々に堀越さんとお出かけしたいです!」

「「えっ?」」


 愛莉の無邪気なお願いに、俺と水瀬の声が重なる。


 隣にいる水瀬に視線を放って窺うが、水瀬は視線を伏せたままでこちらを向こうとはしなかった。


 当たり前だ。

 今の俺と水瀬の関係は、お世辞にも良好とは言えない。

 俺と水瀬はこの関係の断裂を明確に「言葉」にはしていない。


 だから、水瀬はそれとなく避けて。

 同時に、俺もこの断裂を「言葉」にしたくないからこそ、心のどこかでは彼女を避けていて。だが、愛莉がそんな大人たちの面倒な不文律を理解しているはずもない。


 水瀬は明らかに迷っていた。


 それは、俺との関係を引き続き持たないという個人的な感情を優先するか、あるいは愛莉のお願いを優先するかの狭間で、揺れているように見えて。


 と、そのとき。


 水瀬のスマホがぶるぶると震えた。

 電話、みたいだ。


 ごめん、と謝りながら、水瀬は電話を取る。

 だが、それは俺と水瀬にとっては救いでもあった。

 愛莉のお願いを一旦は有耶無耶にすることができる口実だからだ。

 

 しかし、



「え……」



 通話時間が伸びていくにつれて、水瀬の顔が真っ青になっていく。

 最初は見間違いかと思ったが、その動揺っぷりは明らかな異常だった。


「どうしたんだ?」


 電話が終わった後。

 いくら関係が断裂しているといえど、さすがに見過ごせずにそう問う。


 すると、水瀬は震える声で。




「……病院から連絡があって、おばあちゃんが倒れたって」



 水瀬の顔は今にも倒れそうなほど蒼白としていた。



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次回は、12/4(日) 19:00更新予定です。

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