第26話




 水瀬が母校で高校教師として働いている。

 後付けの論理でしかないが、思い返してみればそのヒントはあったのかもしれない。


 多分な偏見を孕んでいるが、たとえば土日でも働くブラックな職場環境。

 もちろん、どの学校もそうではないと理解しているが、教師といえばブラックなイメージがつきまとう。なにせ、時々、ニュースでも取り上げられているぐらいだ。


 それに、随分前の話にはなるが、水瀬は母校が花火大会に参加しないことを知っていた。あのときは妙なことを知っているなと思ったが、教師ならば把握していたとしても何もおかしくない。


 そして何よりも、水瀬が何故この地域に引っ越してきたのか。


 俺と水瀬の共通点は母校ぐらいしかない。

 だから、水瀬が偶然にも隣に引っ越してきた理由も母校にあると考えるべきだったのだ。


 とはいえ、それでも、家が隣同士になるのは奇跡にも近いとは思うが。


 そうして──水瀬が教師をやっていることを知った今。

 彼女に連れられて、俺は十年ぶりに母校・市川北西高校にやってきていた。













「……俺も入っていいのか?」

「本当はよくないけど……外で待ってたら、職質されかけたでしょ?」


 市川北西高校。職員玄関。


 蛍光灯もついておらず、月明かりが窓ガラスから校舎の廊下に差し込んでいる。暗くて細部までは見えないせいか、水瀬は職員玄関に置いてあった懐中電灯を手に取って点灯させていた。


 ついで、水瀬は「ついてきて」と手招きしながら歩き始める。俺はそんな彼女の背中を追いながら、十分前のことを思い返す。


 当初、俺は校舎のなかに入る予定はなかった。


 元卒業生とはいえ、今は無関係だ。

 勝手に入るわけにもいかない。


 だが、校門の前で水瀬を待っていたところ、警察に声をかけられてしまったのだ。

 まあ、当然といえば当然だ。

 深夜にも近い時間帯なのに、校門前で佇む男など怪しさしかない。


 幸いにも、水瀬が校舎からすぐに気づいて戻ってきてくれたおかげで、警察の誤解は解けた。

 しかし、あのままだと周辺住民から通報されて同じ轍を踏む可能性もある。

 だから、現在、俺は水瀬と一緒に校舎の中に入っているのだった。


「…………」

「…………」


 ぺたぺた、と。

 夜の校舎にスリッパの音が響き渡る。


 高校時代にすら一度も体験したことがなかった夜の学校。まさか、それを十年越しに経験することになるなんて。


 高校時代には学校が巨大に感じていたが、大人になった今ではどこか窮屈にも感じる。あれ、こんな教室って小さかったっけ……? こんな狭い場所に三十人押し込められたってマジ? 

 高校時代に嫌というほど通った場所であるはずなのに、妙な新鮮さを覚えてしまう。


 ふと視線を前に向けると、水瀬が懐中電灯を片手に先導していた。


 水瀬の格好は、同窓会から引き続きカジュアルなドレスだ。上品でありながらも、胸元はレース生地とともに肌が透けて見えており、どこか扇情的ですらある。


 それにしても、


「…………な、なに?」


 そこで、俺の視線を感じたのか、水瀬が怪訝な表情とともに振り向いてきた。


「そんな、じろじろ見られてたら……その、歩きにくいんだけど。何かあるの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

「けど?」

「夜の学校に慣れてるな、と思って」


 月明かりは廊下に差し込み、手元には懐中電灯があるとはいえ、校舎全体は真っ暗闇に包まれている。


 だが、水瀬の足取りは先ほどからずっと迷いがなかった。


 ということは、やはり慣れているのだろう。


 俺が追加でそう補足すると、水瀬は前方を向いて再び歩き始めながら。


「……まあ、ここで働くのも長いしね。大学卒業してからずっとここだし。いい加減もう慣れたわ」

「土日にもよく来たりするのか?」

「仕事があるときはね。でも、別に私だけが特別ってわけじゃないわよ? 部活を担当してる先生なんて、もっと大変だし。私は愛莉がいるから、まだ楽させて貰ってる方かな」

「そ、そうなのか……」


 え、あれで? と思わないことはないが、水瀬が言うならそうなのだろう。


 教師が大変という話は、やっぱりよく聞く話ではあるしな。


 だからこそ、それが気になって、俺は訊ねてしまう。


「なんで、水瀬は教師になったんだ?」

「なに? なんのインタビュー?」

「インタビューというか……教師なんて大変ってわかってただろ? 言い方は悪いけど、なんで選んだんだ? 水瀬ならどんな職業でもなれただろ?」

「堀越くん、私をどんな人間だと思ってるのよ」

「少なくとも、そのための努力はするやつだろ」

「君、過大評価しすぎ」


 水瀬はどこか恥ずかしそうに、されど満更でもなさそうに口元を緩める。


「まあ、でも、君が言いたいことはわかったわ。たいした理由はないけどね」


 そう前置きして、水瀬は語り始める。


「最初は安定した職業に就きたかったからかな。それと、やっぱり高校が楽しかったから。色々大変なことはあったけど、私にとっては大切な思い出だから。文化祭をやったり、修学旅行に行ったり……それに、君とも色々あったし?」

「……そんなにあったか?」

「あったじゃない。テストの点を競ったでしょ? 小説のことを教えてもらったでしょ?あとは家庭科で一緒の班だったり?」

「ああ、爆破事件な」

「それは忘れなさいよっ」


 わざとらしくむっとした顔をつくった後、破顔してくすっと笑みをこぼす水瀬。


 夜の学校で、二人きりだからだろうか。

 あるいは、お酒が入っているからだろうか。そんな彼女の仕草ひとつひとつが可愛く見えてしまう。


 ……いや。


 多分、それだけじゃない。

 かつて通っていた高校に戻ってきて、そしてかつての同級生と一緒に歩いているせいで、色々と思い出してきているのかもしれない。


 学年で一番可愛かった女への恋心を。



 ──堀越くんもその本、読んでるんだ。

 ──ジュース奢るから。だから、絶対に誰も言わないで。

 ──べ、別にいいでしょ。君がおすすめって言ったんだし。



 廊下を進むごとに、校内のあちこちで水瀬と過ごした記憶が蘇る。


 教室。

 廊下の隅。

 図書館。

 自動販売機の前。



 ただ、思い出したのは高校時代のそれだけではなくて。



 ──ということは、やっぱり堀越くん?

 ──君が『おかえり』が欲しくなったら、今度は飲み会でもしよっか。

 ──だって、私、高校のとき君のことよく見てたもの。

 ──どうしたの、堀


「──どうしたの、堀越くん?」

「え」

「え、じゃないでしょ? さっきからぼーっとして……風邪? 顔、赤いわよ? 大丈夫?」


 気がつけば、水瀬が心配そうに眉をひそめて顔を覗き込んできていた。


「あ、ああ……悪い。ちょっと考え事してた」

「もうっ、なにそれ。しっかりしてよね、学校とはいえ暗くて足元危ないんだから」


 ほら、いきましょ? 

 それとも、手でも握ってあげようか?

 

 そんな冗談を口にしながら、水瀬が廊下を先導して再び歩き始める。



 何故、今のタイミングでそれを思い出したのかはわからない。

 だけど、思い出してしまった。いや気づいてしまった。なんてことのない、ただの会話のなかで。


 ……やっぱり、俺は。



 その先は内心で呟く。

 だが、ずっと出せていなかった答えの『輪郭』が見えたような気がした。











「よかった、あったわ」


 それから程なくして職員室に辿り着いた。


 職員室は、俺が生徒だったときとたいして光景は変わらなかった。


 山積みの教科書。大量のプリント。整頓されている机も物に溢れてしまっている。

 しいて違いを挙げるならば、ダブレットが隅のスペースで大量に充電されていることだろうか。

 俺が高校時代にはなかった機器だ。


 水瀬はパソコンを職員室に置いてあったトートバッグごと抱えると、こちらを笑顔とともに振り向く。


「じゃ、帰りましょうか」

「もういいのか?」

「ま、最初からこれだけ回収する予定だったから。戸締りしちゃうから、先に出てくれる?」


 水瀬にそう促され、俺は職員室の外に出る。


 別に何かを期待していたわけではなかったが、思った以上に拍子抜けだ。

 まあ、何か問題が起こるよりはいいのだろうが。



 ──と。


 

「…………?」


 ふと、とある場所が気になって足を止める。


 そこは、職員室の側にある階段の踊り場だった。


 月明かりが窓ガラス越しに投射されて、まるで舞台にスポットライトがあてられたようになっていた。

 俺が足を踏み出すと僅かな埃が舞い上がり、雪のように反射する。


 明確に、ここで特別な何かがあったと覚えているわけではない。


 だが、何故か足を立ち止まらせる力がこの場所にあった。


 そう、多分、あれは水瀬が──。


「君も覚えてたんだ」


 戸締りを終えたのか、いつの間にか水瀬が隣に立っていた。


「覚えてって……ここで何かあったか?」

「まあ、たいしたことじゃないけどね。君にとっては余計にそうだと思う。私、何も説明しなかったから」

「説明…………あ」


 水瀬に言われ、不意に脳内にとある記憶が蘇る。


 高校時代、俺と水瀬は交流はほとんどなかった。そして、これは交流にすらカウントされない思い出だ。

 だって、あまりにも短くて、不可解で、俺の見間違いと思うような光景だったから。


 当時の記憶を手繰り寄せながら、俺は囁くように呟く。


「……あのとき、水瀬……泣いてた、よな」

「そう」


 水瀬は静かに頷いた。


「あのとき、君には何も説明しなかったし、翌日には惚けちゃったし……君は忘れてちゃってても無理ないと思う」

「……何が、あったんだ?」

「一回目だったの」


 水瀬は淡々と答えた。


「私の前から誰かがいなくなる一回目。二回目は姉。で、一回目は……私の親。それが、あのときだったの」



 そうして、水瀬は『あの日』のことを語り始めた。






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次回は、11/20(日) 19:00更新予定です。

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