第25話
「久しぶりー、彩奈」
「久しぶり!」
高校の同窓会が行われている居酒屋。
俺が座っていたテーブルは、数十分前とは様相が異なっていた。
水瀬が俺の隣に座ったことで、元クラスメイトたちが続々と集まってくるようになったのだ。
とはいえ、西条たちのグループは遠巻きに視線をちらちらと向けてくるものの、このテーブルにはやってこない。
正確にはそのうちの何人かは入れ替わり立ち替わり訪れていたが、西条だけはまだやってこなかった。自分から誘って断られた手前、来にくいのかもしれないが。
「君、何か飲む?」
くいっ、と服の袖を引っ張られる。
意識を引き戻されて隣を見ると、水瀬がメニューを広げていた。
先程から元クラスメイトたちが集まってきているせいか、人口密度が数十分前とは段違いになっていた。
そのせいで、水瀬の肩が事あるごとに微かに触れ、髪の毛が揺れるたびに良い匂いが漂ってくる気がする。
「……悪い。じゃあ、ビールで」
「君、いつもそればっかりじゃない?」
どこか呆れつつ、周囲には聞こえない声量。
水瀬はくすっと笑みをこぼしていた。
別にいいだろ……と小声で文句を口にするが、何故か心臓はさっきから早鐘を打っていた。水瀬の格好が見慣れたTシャツとジーンズではなく、大人っぽいカジュアルなドレスという完全武装モードだからかもしれない。
熱い。
俺はシャツのボタンを一つ開けつつも、ずっと疑問に思っていたことを、周囲には聞こえないように小声で口にする。
「……そういや、水瀬、なんで急に来れるようになったんだ? 荷物の整理とかあったんだろ?」
確か、事前に聞いていた話だと祖母の家に行っていたはずだが。
「まあ、ね。でも、意外と早く終わったからこっち来たの」
「愛莉はどうしたんだ?」
「祖母の家に預けてきたわ。何日も預けるのは無理だけど……祖母も愛莉と一泊だけでも一緒に過ごしたいって言ってたから、それでね」
なるほど。
それで、水瀬は同窓会に来れたのか。
と納得しかけていると、彼女は悪戯めいた笑顔とともに付け加える。
「あとは、誰かさんがひとりぼっちで寂しくなるかも……って聞いたのもあるけど」
「………………」
誰かさんって、誰のことだろうなぁ。
何気なしにテーブルを見回すと、対面に座っている花森がぐっとサムズアップしていた。
ややドヤ顔なのが腹立つ。
そうですか、予想通りでしたか。
すべて花森の思惑通りに進んでいることも、自分が同級生とのコミュニケーションにやる気がないのも腹立つ。
こんなのでよく社会人やってるな、俺。
「でもさ。ちょっと意外だったんだけど、彩奈と堀越くんって高校のとき関係あったっけ?」
そこで訊ねてきたのは、同じテーブルに座っていた元クラスメイトの女子だった。
名前は……なんだっけ。
必死に思い出そうとするが、なかなか出てこない。高校時代、水瀬とよく一緒にいたうちの一人だったのは覚えているのだが。
ただ、彼女は、水瀬が俺の隣に座ったことに疑問を覚えているみたいだった。怪訝そうな表情をつくっている。
「同じクラスだったじゃない。高校のときに多少は喋ってると思うけど」
「うん、それはそうなんだけど……なんか妙に仲が良いなと思って」
鋭い。
そして当たりだ。
俺と水瀬が少し前に再会していなければ、おそらく水瀬は隣には座ってこなかっただろう。仲がいいかはさておき。
しかし──どうするか。
水瀬からは俺たちの関係を内緒にしてほしい、とは言われていない。
とはいえ、水瀬は元クラスメイトに最初からその事実を明かさなかった。ということは、水瀬は隠しておきたいのか?
と頭を悩ませると、隣で水瀬は素知らぬ顔をつくって。
「そう、かな? ──君はどう思う?」
「え?」
水瀬の最後の問いかけは、俺に対してだった。
可愛らしく小首をかしげて、横から覗き込んでくる。いちいち仕草が絵になるやつだ。
それはさておき……こいつ、俺に丸投げしやがったな。
隣を窺うと、水瀬は視線で「君が言いたいなら、言ってもいいわよ」と語っていた。
あくまで俺の勝手な解釈ではあるが。
つまり、この場で明かすか明かさないかは俺次第でというわけで──
「別に……普通、じゃないか。授業で同じグループだったこともあったし」
俺は、明かさなかった。
「うーん。そっかー。私の勘違いかなぁ……」
首を捻りつつ、納得する元クラスメイト女子。
水瀬は俺の耳元にさりげなく顔を近づけ、囁いてくる。
「言わない、んだ」
「変な誤解されても困るだろ」
「そう。それもそうね」
それで、その会話は終了だった。
水瀬は楽しそうに他のクラスメイトたちと談笑をはじめる。
されど、俺は間違った判断をしたつもりはなかった。
ここで「水瀬の隣に住んでいる」といえば、確実に関係は誤解されるだろう。
それは、俺も……多分、水瀬も望まないはずだ。
だとすれば、嘘をついたことは何も間違っていない。
だけど、
……本当に、それだけか?
心の中に一滴の墨のような疑念がぽつりと投下されて、染みとなってじわじわと広がっていく。
俺は本当にそれだけで嘘をついたのだろうか。
もしかしたら、高校時代に最も可愛かった女子との関係を内緒にしておくことで、妙な独占欲を満たしているかもしれなくて。
そうだとすれば、
……思い上がりすぎ、だろ。
俺は内心で自虐めいた呟きをこぼした。
同窓会はそのあと特に何事もなく過ぎていき、解散の流れになっていた。
居酒屋の中では、クラスメイトたちの人だかりが所々できていた。
どうやら、二次会に行くらしい。
別のお店を予約しているところなのか、西条や花森たち幹事が集計を取っていた。
俺はそんな光景を横目で見ながら、今度こそ帰宅の準備をする。
一次会すら合わなかったのに、二次会に行く理由もない。それに、西条たちも俺が来るのを望んではいないだろう。
と。
「彩奈は二次会に行くだろ?」
少し離れたところでは、水瀬が西条に声をかけられていた。
あのあと、水瀬は各グループをまわって一通りの同級生に挨拶していた。
当然、西条たちともだ。
だが、逆に言えば、誰かと喋っていた時間が特別長かったわけでもない。
分け隔てなく全員と接する。
高校時代で神聖不可侵なアイドル化してしまった、好意のコントロールは今も健在だった。
しかし、それは西条は不満だったのだろう。
まあ、まだ口説けていないわけだしな。
さすがに美人なだけあって大変だな……と思っていると、水瀬はにこっと一切の隙もない完璧な笑顔を浮かべながら。
「ううん、私は遠慮しておこうかな。明日も朝から予定あるし」
「そっか。それなら駅まで送っていこうか。夜だし、危ないだろ」
いや、なんでだよ。
西条の発言に、俺は内心で突っ込んでしまう。
確かに新宿の中心部から少し離れているせいで、駅まではやや薄暗い道が多い。だが、それなら、他の二次会に行かない面子にも声をかけるべきだ。もっとも、西条の真意が本当に危ないと思っているなら、ではあるが。
とはいえ、西条も不安そうな表情で言っているあたり真に迫っている。
花森から水瀬を口説こうとしている、という事前情報を聞いてなければ、イケメンはあんなものかと納得していたかもしれない。
一方で、水瀬は何故かこちらを一瞥しながら。
「……まあ、そうね。確かにちょっと暗くて怖い感じだったかも」
「な? そうだったろ。なら──」
「でも、輝は二次会あるでしょ?」
「──だから、堀越くんに送ってもらおうかな。堀越くん二次会行かないし……それに確かさっき、同じ方向って言ってなかったっけ? 駄目、堀越くん?」
「「え?」」
二つの声が重なる。
一つは西条の声。
そして、もう一つは俺の声だ。
俺と水瀬は家が隣同士。当然、帰る方向は一緒だ。でも、この同窓会ではそんな話は一つもしていない。
だが、ここで、水瀬の言葉を否定にするわけにもいかず。
「……えっと、別にいいけど」
「じゃあ、よろしくね。確か新宿三丁目駅のほうだっけ?」
「……あ、ああ、そうだな」
「なに、変な顔してるの? ほら、いきましょ?」
水瀬が小首をかしげて笑みをこぼしたあと、先導きって居酒屋から退出していく。
その間に、多くの元クラスメイトたちと別れを惜しみながら、次々と挨拶していく。
さながら、アイドルの握手会のようだ。
実際の握手会と違うのは、アイドルの方が次々と移動していきながら挨拶していくこと。同じなのは、剥がし役っぽい俺が見向きもされないことだ。
居酒屋を退店する間際。
俺が振り返ると、西条は未だに呆然としていた。
それは、水瀬に断られたのがショックだったのか。あるいは、俺なんぞに大役を奪われたからか。まあ、どっちもあるのだろう。
「悪かったわね」
同窓会の会場から離れて近くに同級生がいないことを確認した後、水瀬はがらっと雰囲気を変えてぽつりと声をこぼした。
「なんか君をだしにしたみたいで。でも、輝くんはああでもしないと諦めてくれなさそうだし」
「……知ってた、のか?」
「まあね。詩葉から聞いてたから」
水瀬は凝り固まった身体を解すように、うーんと背伸びした。
「別に輝くんが嫌いってわけじゃないけど……今は、誰とも付き合う気がないから。そんな状態で、変に付き合いよくてもね」
水瀬は髪をなびかせながら、新宿の輝く街をかつかつとヒール音をたてながら歩いていく。
まるでモデルの撮影のようなドレスめいた格好しているせいか、擦れ違う多くの人の視線を奪っていく。
「水瀬はどんなやつが好みなんだ?」
だから、俺は思わず訊ねてしまった。
こんな美人のお眼鏡に叶うようなやつはどんな人物なのか気になってしまって。
一方で、水瀬は足を止めてぴしりと固まっていた。ゆっくりとこちらを振り向きながら、じとっとした目で。
「……なに、急に? どうしたの?」
「別に、ただの世間話だろ。それに、あの西条で気に入らないってよっぽど理想が高いかと思ってな」
「……君って意外と嫌味な言い回しするわよね」
「最初にやってきたのはそっちだろ」
「そう、だけど」
むぅと唇を尖らせる水瀬。
ついで、諦観をこめた溜め息をつくと、彼女は新宿の街を遠い目で眺めながら。
「……正直わかんないのよね」
「え?」
「誤魔化そうとしてるわけじゃないのよ? でも、誰かと上手く付き合えてる姿が、あんまり想像できないの。でも、そうね。しいて言うなら」
「しいて言うなら?」
「お互いに独立してて尊重しあってる関係は、私は素敵だと思うわ」
「そっか」
水瀬らしい、と思った。
昔からストイックで、折れなくて、一人でも生きていけそうで。どれだけ苦しくしても、誰かの支えなんて必要なさそうで。
だからこそ、高校代の俺はそんな眩しい彼女に惹かれたのだろう。
だとしたら、俺が普段やっていることはお節介なのかもしれない。
ふと、そんなこと思った。
それから何時間経っただろうか。
俺たちは最寄駅まで戻ってきていた。
どうやら、水瀬は明日の午前中に祖母の家に戻って愛莉を連れ帰る予定らしい。そのため、今日は一旦自宅戻るらしかった。
そうして、帰路を辿っていたのだが。
「あ」
「……どうしたんだ?」
不意に、水瀬がしまったとでも言いたげに顔を歪めた。
俺が眉をひそめながら足を止めると、水瀬は苦々しげに口を開く。
「仕事、やらなきゃいけなかったのに……職場にパソコン忘れてきちゃったわ」
「明日、日曜日なのに仕事あるのかよ……」
「ちょっと取りに戻るわ。堀越くんは帰ってて」
「は? ちょ、ちょっと待て? 今からか?」
「うん。データも入ってるから職場のパソコンがないと、祖母の家で仕事できないし……仕方ない、かな」
水瀬の目はもう切り替わっていた。
多分、頭のなかで職場へ行く算段をつけているのだろう。
もう夜も更けている。
ならば、俺がすべきことは決まっていた。
「それなら、俺もついていくよ。職場の前までなら大丈夫だろ」
「え? ちょ、ちょっと待って。な、なんで君が──」
「もうこんな時間で、この辺は新宿と違ってどこも暗いだろ。それに……そのために、俺が送ってるんじゃなかったのか?」
言いながら、西条のことを馬鹿にできないなと自身を嘲笑う。
俺にも下心があるからだろうか。
水瀬以外には、こんなこと言わないのだろうか。
それは俺自身にもわからない。
だけど、このまま水瀬を夜道に送り出すべきではないと考えているのは確かで。
「…………」
水瀬は何かを探るように、俺の目を真っ直ぐ見つめていた。
一秒、二秒……時間が流れるごとに、何故か心臓がばくばくと高鳴る。
やがて永遠にも等しい時間が過ぎ去ったと感覚したあと、水瀬は小さく息をこぼし。
「……まあ、また借りをつくるのは気が引けるけど……元々、堀越くんにはそうお願いしちゃってたし」
一転して、水瀬はパッと華やかな笑顔を咲かせる。
「──君さえよければお願いしてもいい?」
そんな彼女は、同窓会のときとは違って、どこか素めいた感情が曝け出されているような気がして、思わず見惚れてしまって──。
当然、俺がその言葉を否定することはなかった。
──と。
水瀬が職場に向かって歩きだしたのに合わせて、俺はかつてからずっと不思議だった疑問を口にする。
すなわち、
「そういや、水瀬って何の仕事してるんだ?」
今まではどこか聞きづらかったが、水瀬の職場についていくのだ。今のタイミングで聞いてしまっても何も不自然はないだろう。
そう思って訊ねてみたのだが。
「あれ、言ってなかったっけ?」
俺の質問に対し、水瀬はさして気負うことなく答える。
「まあ、別に隠す必要もないし……これから行くのは君もよく知ってる場所だから、すぐに気づくと思うけど」
「俺が知ってる場所?」
「ええ」
水瀬は頷くと、その答えを口にする。
「だって、私は高校教師だもの」
「──私たちの母校で、先生をしてるのよ」
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次回は、11/13(日) 18:00更新予定です。
第一部の終わりが見えてきたので、調整のためにお時間頂けばと思います。
残りおおよそ7~8話を想定しています。
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