第21話


 人生、何が起こるかわかったもんじゃない。


 俺が高校生の頃、永遠と思っていたコンテンツが不意に終わったとき。

 逆に、終わったはずのコンテンツが、リメイクされて復活したとき。

 そんな予測できない事態に出会ったとき、ふとそう思う。


 だけど、それは当たり前なのかもしれない。


 未来は誰にもわからないから。

 多分、その未来をわかっているやつがいるとすれば、神様とでも呼ばれるのだろう。


 ただ、それでも──


 俺が高校時代に好きだった同級生と、俺の後輩が、家の前で出くわす未来なんてあるとすら思ってない。

 神様の悪戯すぎんだろ。









 春野との飲み会。

 意外にも、それは早めにお開きとなった。


 春野が予約してくれたお店が二時間制だったからだ。


 料理は絶品。酒も美味しかった。

 だけど、お互いに飲み足りないのが事実だった。


「堀越さん! 2軒目行きましょうよ、2軒目!」

「まあ、そうだな。ただこの辺で飲める場所といえば……」

「堀越さんの家があるじゃないですか! ほらほら、行きましょー! 私、1回行ってみたかったんですよねー」

「は!?」


 当然、その提案は最初は断った。


 だが、春野に上手く丸め込まれ、あれよあれよという間に俺が住んでいるアパートまでやってきてしまい──水瀬、と出会ってしまったのだった。


 そして、


「お邪魔しまーす! わあ、堀越さんって意外と綺麗にしてるんですねー」

「……まあな」


 お行儀よく玄関で靴を脱ぎながらも、春野は躊躇いなく家の中に入っていく。

 さっきまでほろ酔い気分であったが、冷や水を浴びせられたように、頭はすっかり冷静になっていた。


 その一番の原因は──


「……お邪魔します」


 水瀬が俺に続いて、恐る恐る家の中に入ってきた。

 ただ靴は脱がない。

 所在なさげに玄関で視線をそわそわとさせている。


 アパートの廊下で出会ってから、春野が強引に家のなかに突入していったせいで、水瀬も流れで入ってきたのだろう。

 自分の家に帰らないのは、俺に何か用があるからだろうか。


 ……といっても、何の用だ?


 時刻は22時近く。

 何か話すにしても遅い。

 まあ、水瀬は土日でも仕事をしているみたいなので、今ぐらいしか空いてるタイミングがなかったのかもしれないが。


 だが、


「…………」

「…………」

「…………」


 不意に訪れる無言の空間。

 誰も何も喋らない。

 

 水瀬はといえば相変わらず家の中を見回していた。

 

 まあ、それも当たり前だ。水瀬と春野は互いに顔見知りですらないのだから。

 ということは、俺が間を取り持たなければいけないのだが──。


「ちょ、ちょっと堀越さん」


 そこで、春野がくいっと俺の服の袖を引っ張ってきた。

 春野は可愛らしく小さい顔を近づけてくると、ぽしょぽしょと水瀬には届かない声量で囁いてくる。


「あのっ。あの美人さん、どなたですか? 堀越さん、紹介してくださいよ」

「あ、ああ、そうだな」


 俺は頷き、水瀬へと視線を移す。


 が、何故かそのタイミングで、水瀬はさっと慌てて目を逸らした。……ん? どうしたんだ? 水瀬がこっちを向いていたような気がするんだが、俺の勘違いだろうか。


「水瀬、ちょっといいか」


 俺は声をかける。

 混沌とした状況だが、まずは一つずつ整理していこう。


 俺は春野に向かって腕を伸ばし、水瀬の視線を彼女へと誘導する。


「こっちが一緒に働いてる同僚の春野だ。……で、春野。こっちが水瀬。俺の同級生で、お隣さんだ」

「初めまして、水瀬さん! 堀越さんの後輩の春野です! よろしくお願いします!」

「初めまして。水瀬です。よろしくお願いしますね、春野さん」


 水瀬はにこっと笑顔をつくって会釈する。


 一寸の隙もない完璧な笑顔。

 性格の良さすら滲み出てきそうな、社交向けの笑顔だ。俺が女性だとしたら、この笑顔だけで「勝てない」と思いそうだ。何が勝てないかは自分でもわからないが。


 されど、春野も同じようなことを考えていたのか、くいくいっと腕を引っ張ってくる。


「え、えっ? 聞いてないですよ、堀越さん! あのお隣さんがこんな美人だって! どうしてももっと早く言ってくれないんですか!」

「言う必要ないだろ」

「もうっ、なんでそんな薄情なこと言うんですか! 私と堀越さんの仲なのに!」


 春野は抗議するようにつんつんと脇腹を突いてくる。酔っ払っているのか、やけにスキンシップが多い。

 これ、後でセクハラで訴えられないよな。


「えっと……私、帰ろうかな」


 水瀬は困ったように微笑んで、俺たちに背を向けた。

 俺は彼女に近づきつつ、小声で問いかける。


「み、水瀬、大丈夫か? 俺に何か用があったんじゃないのか?」

「あったけど……私がいたら、邪魔でしょ?」

「え?」


 水瀬は春野を一瞥すると、つんと取り澄ました顔で覗き込んできた。


「君が女の子と二人きりなのに自分の用を優先するほど、私も野暮じゃないってば」

「は、はぁ?」

「ただ音とかは気をつけてね。ここの壁、薄いから。愛莉の教育に悪いことは、ちょっと気遣ってくれると嬉しいけど」

「ちょ、ちょっと待て。なんか勘違してるだろっ」


 さすがにその勘違いは許容できなかった。

 何故か、そう思ってしまった。


 俺は慌てて言う。


「春野とはそういうのじゃないっ。ただの会社の同僚なんだよ」

「別に誤魔化さなくてもいいわよ。何もおかしいことなんてないし……家にあげるってことは、それだけ心を許してるってことでしょ? 仲もいいみたいだし」


 水瀬は髪の先をくるくると指に巻き付けながら、不思議そうに小首を傾げた。


 ついで、目線が落とされる。

 大きくぱっちりとした目は、俺の脇腹をあたりを見つめていた。

 

 違う。事実として違うのだが、水瀬には取りつく島もなかった。


 というか、俺もなんで「浮気現場を目撃した妻に言い訳」みたいなことしてるんだろうな。

 誰とも付き合ってないはずなのに。


「じゃあ、私、帰るから」


 それだけ言って、水瀬は玄関の取っ手に手をかけた。

 だが、水瀬が玄関を開けるより早く──


「あれ、水瀬さん帰っちゃうんですか?」


 春野はきょとんとした表情とともに言う。


「もしよかったら、水瀬さんも一緒に飲みませんか? 少しだけでいいですから! 私、水瀬さんとお話ししてみたいなぁって……駄目ですか?」

「「………………え?」」


 俺と水瀬は同時に呆然とした声を漏らした。













「じゃあ、この偶然の出会いに乾杯―!」

「乾杯……」

「乾杯」


 春野が音頭をとり、俺と水瀬が小さく缶を持ち上げる。


 まずは仕切り直しに、どこにでも売っているビールから。プルタブをあけると、泡が溢れてきた。缶に口をつけて慌ててすくい取る。


 隣では、水瀬が上品に缶ビールを飲んでいた。


 結局、水瀬は春野になんやかんや説得されてしまい、俺の家に残っていた。おそるべし春野のコミュ力。


 しかし、


「……大丈夫なのか?」


 俺が小声で語りかけると、水瀬はふっと瞼を持ち上げてこちらに瞳を向けた。


「大丈夫かって、何が?」

「だって、水瀬、前に酒を飲まないって言ってただろ。愛莉に何かあったらいけないからって」

「そうね。たださっきから確認したら、愛莉はぐっすり寝てたから問題ないわ。あの子、一度寝るとなかなか起きないし。それに……私、そう簡単に酔ったりしないから大丈夫よ。付き合いで一缶だけの予定だし」


 言いながら、水瀬は缶ビールを傾ける。


 水瀬の顔色はまったく変わっていなかった。

 言動などもしっかりしている。確かに、この程度では酔わないみたいだった。


 まあ、まだ始まって数分なので結論を出すには早すぎるのだろうが。


「それで、お二人はどんな関係なんですか! もしかして深い関係とかあっちゃったりするんですか? 休日には一緒に出かけちゃったり?」


 早速、一缶飲み干したのだろう。


 春野がテンション高めに、缶をマイクに見立ててこちらに向けてきた。

 まるでインタビューだ。


 やはり聞くと思っていた。春野がこんな美味しそうなネタを見逃すはずもない。

 

 だが、水瀬は最初から用意していたかのように淀みなく答える。

 にこっと完璧な微笑とともに。


「別になんでもないですよ。堀越くんとは高校の同級生で、今はただのお隣さんってだけで…………ね?」


 最後は俺の方を見て、小首を傾げる水瀬。


 じぃっと綺麗な瞳が射抜いてくる。

 俺は水瀬とアイコンタクトできるほど深い付き合いというほどでもない。

 ただ、その目が語っていた内容はなんとなくわかった。


 ──こっちの方が、君にとってありがたいでしょ?


 おそらく、水瀬は俺と春野の関係を未だ誤解しているのだ。


 多分、水瀬は俺が春野を狙っていると勘違いしている。だから、水瀬は「自分はまったく関係ありませんよ」ということをアピールしているのだ。


 まったく……そんな事実はないのだが、余計な気遣いをしやがって。

 しかし、水瀬が言ってしまった以上、合わせるしかない。


 春野の目がこちらに向けられたのを確認して、俺はビールを煽りながら頷く。


「……まあな。水瀬の言う通りだよ」

「ええー、本当ですか? お隣の同級生なのに何にもないんですか? 本当の本当に、何一つとして?」

「ああ、そうだよ」

「外出先でばったり出会っちゃうこととかも? たとえば、最近だと花火大会とかこの近くでやってましたけど」

「ぶっ」


 思わずビールを口から噴いてしまう。


 だが、内心はそれどころじゃない。

 こ、こいつ、なんなんだ!? もしかして全部見てて鎌をかけてるんじゃないだろうな!? なんでそんなにピンポイントに当てられるんだよ!


 一方で、水瀬は動揺の一片すら顔に出さなかった。


 それどころか、キッチンからふきんを持ってきて、俺が零してしまったビールを手際よく拭いているぐらいで──


「い──痛ッ!」

「ほ、堀越さん? きゅ、急にどうしたんですか?」

「い、いや、なんでもない……ちょ、ちょっと足をテーブルにぶつけただけだ」


 俺は何とか誤魔化して座り直す。

 だけど……水瀬! あいつ、テーブルの下で俺の太腿思いっきりつねりやがった! 何しやがるんだ!


 俺は目で訴えるが、水瀬は微笑とともに絶対零度の視線で応戦してくる。



 ──馬鹿なの、君? なに台無しにしようとしてるのよ。本当に誤魔化したいわけ?



 はい、すみませんでした。

 俺はすごすごと撤退し、大人しく再び缶を煽った。

 でも、誤魔化したいって一言も口にしてないんだけどなぁ……。


「逆に、堀越くんと春野さんは会社ではどんな関係なんですか?」


 これ以上、話題を広げられると危ないと判断したのだろう。幸いにも、春野は一切の疑いなく話題の転換に食いついた。


「私と堀越さんですか? もちろん、仲良しコンビですよ! 社内でも有名で、堀春コンビって呼ばれてるぐらいですから! ね?」

「聞いたことねぇよ、そんな名前」

「えー、堀越さんノリ悪いー」


 春野は不満げにしつつも、仲良しアピールするためにぎゅーっと身体を寄せてくる。アルコールが入ってるからか距離が近い。春野の柔っこい肢体が、ぐいっぐいっと押しつけられているほどだ。


「……やっぱり、仲良いんだ」


 終始眺めたうえで、水瀬がぽつりと呟いた。

 俺はダル絡みしてくる春野から距離を取りつつ、水瀬の方に寄って小声で言う。


「……まあ、正直悪くはねぇよ。でも、普通の先輩と後輩だ。水瀬が考えてるようなことは一つもないんだよ」

「誤魔化さなくてもいいのに」

「誤魔化す理由がないだろ」


 俺は水瀬を真正面から見つめ返して言い放つ。


 別に、水瀬に俺と春野の仲を勘違いされたら困るからではない。単純に、事実とは異なって認識されるのが嫌なだけだ。


 最初に思わず言い訳してしまった理由があのときはわからなかったが、おそらくそれが俺の中にある衝動の原因だった。


 それに対して、水瀬はじとっとした目をつくり。



「ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」



 まったく、俺のことを信用していなかった。





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次回は、10/27(木) 19:00更新予定です。

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