第19話

 

 突然だが、また少し、昔の話をしたいと思う。

 でも、今回は前みたいに何年も前の話じゃない。


 数日前の──とある女子会の話だ。






 隠しているわけではないのだが、実は私、水瀬彩奈はお酒をほとんど飲まない。

 一年前に引き取った、姉の娘で、今や私の一人娘でもある愛莉がいるからだ。


 とはいえ、我慢しているわけでもない。

 元よりなかなか酔えないタイプで、お酒が好きではなかったからだ。


 飲んでも顔は赤くはならない。

 それどころか、酷く冷めた自分がどこかにて、飲み会の雰囲気にもあまり溶け込めない。

 もちろん楽しいのは楽しいのだが、他の人たちと同じように酔えていなかったと思う。


 だから、大学や職場の飲み会も基本的には断ってばかりで、お酒を飲むのは決まって姉の家だった。



 ある日、べろべろに酔っていた姉からこんなこと言われたのを今でも覚えている。



「彩奈、あんたはいつも気を張りすぎなのよ。他人の視線を気にしすぎ」

「あんたが酔えないのは、酒の量が足りないからじゃないわ。いつも完璧に振る舞おうとするからでしょ。あんただって本当はわかってるんじゃない?」

「だから、あんたがお酒を酔うときは、一人のときか、付き合いが長い友達か──あんたが弱みを見せられるような、頼れるような相手ができたときなんでしょうね」




 そんな意味がわからないことを言われたが、あながち的外れというわけでもなかった。実際、私が酔えるのは信頼した相手の前だけだったからだ。


 そんなわけで、私は今では飲み会とは縁遠くなっており。しかし、そんな私でも年に数回、お酒を飲むことがあった。


 それは、愛莉が小学校のお友達の家にお泊まりに行ったとき。

 そんなとき、私はだいたい女子会を開いてもらっていた。












「……で、彩奈の面白い話、そろそろ聞かせてよー」

「だから別にないんだってば、面白い話なんか」


 呆れながら、ジョッキに口をつける。


 町にある、小さな中華料理屋だった。

 床は油でベトベト。店内はお世辞にも綺麗とはいえなくて、ちっともお洒落ではない。料理だって本格の中華料理と比べると特段上回っているわけでもなく、お酒だって高いものは全然置いてない。

 至って普通の町中華だ。

 

 それでも、私はこの雰囲気が好きだった。

 

 チープ、とはいえばとても失礼な話であるが、妙に落ち着くのだ。

 これまで高級フレンチや老舗の日本料理店などに誘われて行ったことはあるが、あの手のお店には服装や化粧などに気合を入れなければいけない。

 料理が美味しくても、気を遣ってばかりで味がしないこともしばしばだった。


 だが、こういう中華料理屋は「完璧」から程遠いからこそ、私は気が楽だった。


 今日は金曜日で、私は仕事帰りだからスーツだったけど、そんな姿で飲んでいても周囲と浮くことはない。

 むしろ、スーツじゃない方が浮きそうだ。


「もぅー、本当はあるんでしょう? 前に話してくれた、堀越くんとはどうなったの?」


 だるがらみしてくるのは、詩葉だった。


 ゆるふわの淡い色のニット。清楚そうなロングスカート。ほんのりと酔っているからかマシュマロみたいな甘い笑顔を浮かべている。


 だが、そんな詩葉がこの中華料理屋では一番浮いていた。

 高級フレンチではぴったりの格好だが、さすがに仕事帰りで花金を楽しむサラリーマンのなかでは目立ってしまう。


 詩葉は興味津々に目を輝かせる。


「この間、花火行ったんでしょ? あれから進展した? もしかして付き合うことになった?」

「なるわけないでしょ。前にも言ったけど、堀越くんとはそういうのじゃないんだから」


 再び呆れるように言って、私は水餃子へと箸を伸ばしながら眉をひそめる。


「それに、もういい年齢なんだから、恋愛の話ならこれまで散々聞いてるでしょ? まだ聞きたいの?」

「彩奈の話だから聞きたいのー。それに良い年齢になったからこそ、たくさん聞きたいんでしょ? ときめきを摂取しないと、一気にお肌にハリがなくなっちゃうんだから。彩奈の肌もそうなっちゃうよ?」

「………………」

「い、いふぁいいふぁいいふぁい! じょうふぁんだってばー!」


 妖怪みたいなことを言う詩葉のほっぺたを、思わず引っ張る。


 高校の頃からのじゃれあいだ。

 詩葉がいつも軽口を言って、私が嗜める。

 高校時代から十年も経っているのに、そんな関係は変わっていないのだから不思議なものだ。


「でも、実際のところ、彩奈はどう思ってるの?」

「どうって……何がよ?」

「堀越くんのこと。まったく気にならないってこともないんでしょ?」

「またそれ?」


 詩葉からもう何度も聞かれていることだ。


 水餃子を口へと運びつつ、私は表情を動かさないように努めながら、淡々といつも通りの回答をする。


「別に……なんとも思ってないってば。ただ……ずっと、申し訳ないとは思ってるけど」


 自然と、声のトーンが低くなる。

 だが、後半のそれは本心だった。


 花火大会では、迷惑をかけっぱなしだった。

 愛莉に我慢させて、堀越くんに助けてもらって、肝心の花火大会では私が頼りないことを改めて突きつけられて。


 それも、また堀越くんに助けてもらって。


 気になる気にならない以前に、私のなかでは罪悪感が勝ってしまっていた。


「だから、堀越くんとは何にもないというか……そもそも、堀越くんだって私みたいなのはタイプじゃないでしょ」

「それ、本気で言ってる?」

「え」


 私が顔をあげると、詩葉は呆れたような唖然としたような表情をしていた。


 な、なに? 私、何か変なこと言った? なんでそんな顔をされなきゃいけないの? 

 私が呆れることは多々あるが、詩葉からされるなんて珍しい気がする。


「えーっと、一応聞いちゃうけど……彩奈、それ冗談?」

「そんなわけないでしょ」

「じゃあ、なんで堀越くんがいつも助けてくれると思ってるの?」

「それは……お人好しだからでしょ?」

「高校のときも?」

「高校のときも」


 私は首肯する。


 少なくとも、私は変なことを言っているつもりはなかった。

 だが、


「…………………………はぁ」

「な、なに、そのため息!」


 やれやれ感満載で大袈裟に肩をすくめる詩葉。


 またもやその頬を引っ張りたい衝動に駆られるが、そうすれば何故か負けるような気がする。……私、変なこと何もしてないのに!


「彩奈、それはさすがに堀越くんに怒られるって」

「な、なんでよ!」

「いくら綺麗でも、鈍感系美女はちょっとモテないよ?」

「鈍感系美女ってなに!?」


 まったく聞いたこともない言葉だった。


 後から詩葉に聞いた説明であるが、漫画等に出てくるキャラクターの属性として「鈍感系」というものがあるらしい。

 意外ではあるが、詩葉は昔から交友関係が広いので色んな知識を持っていたりする。これもその知識の一つなのだろうけど……知らないわよ、そんな概念。なによ、それ。


「……じゃあ、なんだって言うのよ。堀越くんが私を助けてくれるのは」


 私は少し不貞腐れつつ訊ねる。

 すると、詩葉はさも当然かのようにそれを口にした。


「それは……好き、だからでしょ?」

「好きって誰が?」

「堀越くんが」

「誰を?」

「彩奈を」


 私は、詩葉に指差される。


 だが、なかなか脳が受け付けてくれず理解が進まない。

 仕方ないので、詩葉の言葉を理解するために脳内で反芻させる。


 堀越くんは彩奈が好き。堀越くんは彩奈が好き。堀越くんは彩奈が好き。

 ちなみに、私の名前も彩奈だ。


「……………………え、あ、えっ!?」

 

 そこでようやく、私は詩葉が言わんとしていることに気づいた。

 

 途端に、身体の芯から熱が溢れ出てくる。顔がどうなってるかなんて、鏡を見るまでもなかった。


「彩奈、その顔……」

「ちょ、ちょっと待って。な、何も言わないでっ」


 ぶんぶんと手を振って、詩葉の言葉を制止する。


 え? でも、そういうことなの? だから、私を助けてくれたの?


 だ、だけど、私のことは前に憧れって言ってなかった? あれって本当は好きって意味? ご飯が美味しいってずっと褒めてたのも? 私のことを心配してくれたのも? お風呂を貸してくれたのも? お人好しじゃなくて私に好意を持っていたから? え、いつから? 高校のときから? もしかして十年ぶりに再会したときにももう──


 わたわたする私を他所に、詩葉はにまにまとしながら窺ってくる。


「彩奈って凄く可愛いのに、鈍感でストイックだから意外と恋愛経験少ないよねー」

「う、うるさいっ。そ、それは今、どうでもいいでしょ!」


 思わず叫ぶ。


 しかし、私の頭は相変わらず困惑と混乱でいっぱいだった。


 だ、だって、堀越くんが私を好きだなんて考えたことなんて一度もこんなの次からどんな顔をしていやそういえば土日には愛莉と一緒に遊びに出かけるんだっけそれなら絶対に会うんじゃ────




 と。

 




 夜空を花火が彩るなか、堀越くんが肩車をして愛莉を楽しませている。

 私なんかよりも、ずっとずっと上手に。




 同時に、あのときの想いもリフレインする。




 ──一人で、愛莉を育てられると証明しなきゃいけないのに。

 ──私は『母親』にならないといけないのに。

 ──私はどうしてこんなに弱いんだろう。







「……それ、詩葉の妄想かもしれないでしょ」


 自分でもびっくりするぐらい、硬質な声がこぼれ出た。

 冷や水を浴びせられたように、体内の温度は急激に下がっている。

 気がつけば、酔いも覚めていた。


 私は淡々と言う。


「そもそも堀越くんが私を好きだとしても、私は思ってないんだから何にもないわよ」

「………………」


 詩葉は何か言いたげにしていたが、結局何も言葉として発さなかった。


 私はその真意を考えないようにした。

 考えてわかってしまっては駄目だと、本能が小さく囁いていた。


「でも、そうね。確認はしてみるわ」

「確認……?」

「そう、確認」


 頷いて、私は続ける。





「──今度、堀越くんに私のことどう思ってるのか探りを入れてみる。それで、はっきりするでしょ」




 もし、本当に私を好きになっていたとしたら、それほど無駄なことはないのだから。




 それから、私はお酒に口をつけるが酔うことはなかった。

 酔うことは、できなかった。




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次回は、10/20(木) 19:00更新予定です。

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