第18話

 

 高校生活のなかで、花森詩葉について覚えていることは水瀬以上にない。

 ただクラスの一軍グループのなかにいて、水瀬と対をなすアイドルだったことは覚えている。

 

 水瀬も誰にでも優しく声をかけるタイプではあったのだが、同時に近寄り難さもあった。

 それが彼女が神聖不可侵であった所以だ。


 だけれど、花森に関してはそんな棘がまったくなかった。

 

 ゆるふわ!と何もかも包み込んでくれそうな柔らかな雰囲気の持ち主で、いつも周囲をほっこりとさせていた気がする。

 そのおかげか、俺が知る限り、三年三組のクラスが険悪なムードになったことは一度もない。




 そんな花森詩葉とフラワーショップで十年ぶりに再会し──現在。



 俺は併設しているカフェの席に座っていた。


 ちなみに、花森も「今はお客さんが少ないから」という理由で同席しようとしていた。

 ちょうど今は、俺たちのためにドリンクの準備をしてくれているところだ。

 俺にはカフェオレを、愛莉にはオレンジジュースを用意してくれるらしい。


 花森はエプロンを靡かせながら、店内を駆け回っていた。その度に、栗色に染められたウェーブかかった髪が跳ねる。


 だが、それ以上に目を引くのが、エプロンの奥に潜む──いや、まったく潜んでいない巨大な膨らみだ。

 花森が動く度に、右に左に揺れる揺れる。まるでスライムだ。


「……堀越さん、どこ見てるんですか?」

「…………いや、何も見てないよ」


 隣では、愛莉がじとっと目を半分にしていた。

 ついで、自分の胸元あたりを触りながら「やっぱり大きい方がいいんだ……」という呟き。何がやっぱりだ。俺のどこを見てそう思ったんだよ。


 しかし、花森が準備を終える前に、愛莉には確認しておかなければいけないことがあった。


「愛莉は花森に会ったことがあるのか?」

「花森、さんにですか?」

「ああ」


 俺は水瀬がどこまで花森に話しているのか知らない。花森の口ぶりじゃ、俺のことは水瀬から聞いているようだ。


 されど、水瀬が花森に愛莉のことを話しているかは判断がつかない。

 俺が勝手に言うわけにもいかないため、愛莉に確認してみたのだが。


 愛莉はむむむっと花森を注視したあと、確信めいた表情で力強く首を横に振った。


「絶対に会ったことないと思います。愛莉、見覚えないですから」

「そっか。にしても、絶対なんてよっぽど自信あるんだな」

「はい、だってあんなおっぱい見たことありませんもん!」


 おっぱいで人を区別してんじゃねぇ。


 と言いたくなるものの、愛莉の気持ちもわからなくもない。確かに印象には残るしなぁ……。


 じゃなくて。

 俺は当初の意図通り、愛莉に確認する。


「そっか。なら、俺は愛莉を知り合いから預かったって話をするけどそれでいいか?」

「? どうしてですか?」

「俺みたいなおっさんと、愛莉ぐらいの年の女の子が一緒にいるのは色々と不自然なんだよ」


 と言うもの、これは愛莉向けの説明だ。「水瀬が花森に愛莉のことを伝えていないかもしれないから」と素直に言えば、愛莉がどう受け取るかもわからないからだ。


 とはいえ、だからといって花森に嘘をつくわけにもいかない。


 この曖昧な言い方が、俺なりの妥協点だ。


 社会人をやっていると、こんな言い方ばかり上手くなっていくものだから不思議なものだ。たとえば、顧客から無茶なことをやれと言われても「検討する」と回答して逃げたりな。


 そんな建前ばかりが上手くなっていくのだから、労働なんてロクなもんじゃないと思う。


 しかし、愛莉は不満そうに頬をぷくーっと膨らませ。


「むぅ……それ、別のじゃ駄目ですか?」

「別のって、たとえば?」

「堀越さんの彼女です!」


 良いわけないだろ。

 なんでそれでいけると思ったんだよ。

 

 と、俺たちがこそこそと会話をしていると、花森が両手にトレーを持って厨房から戻ってきて。


「改めて久しぶり、堀越くん。愛莉ちゃんも二年ぶりぐらいだねー」

「え……ちょっと待ってくれ。花森は愛莉のこと知ってるのか?」

「うん、知ってるよー。まだ愛莉ちゃんが小学校の一年生ぐらいのときだけだったけどねー」

「………………」


 隣を呆れて見ると、愛莉は素知らぬ顔でしらーっと遠くを見ていた。


 おい、こっち向け。

 このおっぱいは見たことがないんじゃなかったのかよ。

 言ってること違うじゃねぇか。


「それにしても彩奈から聞いてたけど、二人とも本当に仲がいいんだねー。この間、花火にも一緒に行ったんでしょ?」

「……そこまで聞いてるのか?」


 なら、花森はおおよそ全てのことを水瀬から聞いていることになる。

 隠そうとすること自体、無駄だったわけだ。


 花森はお姉さんめいたふわふわの柔らかい笑顔とともに首肯する。


「堀越くんの家って彩奈の家の隣なんでしょう? それから、彩奈や愛莉ちゃんと仲良くなったって聞いてるけど?」

「それは、まあ……」

「お互いに好き同士で付き合うのも秒読みとか」

「それは、まあ…………は?」


 今、何か変な言葉を聞こえなかったか?


 俺が怪訝な表情をしていると、花森はにまーっと悪巧みが成功した子供のような顔をした。

 こいつ、ハメやがったな。


「やっぱり、そうなんだー。彩奈は必死に否定したけど、そうだよねー」

「違う違う! そんなわけないだろ!」

「そうですよ! 堀越さんは愛莉と付き合う予定なんですから!」


 それは、もっと違ぇ。


「……だいたい水瀬から話を聞いてるなら、俺と水瀬が付き合ってなんかいないことも当然知ってるんだろ?」

「知ってるよー。でも、それって彩奈が照れてそう言ってるだけじゃないの?」

「そんなわけないだろ」


 どういう思考回路してたら、そんな結論になるんだよ。


 俺が呆れていると、花森はどこか残念そうにむぅと唇を尖らせて。


「えー、でも、二人ともお似合いだと思うんだけどなぁ」

「お似合いって……」

「だって、高校のときも、最近も、彩奈の感じだと…………あ」

「あ?」


 俺がまじまじと見つめると、花森は「しまった」という感情を顔に思いっきり出していた。明らかに失言をしてしまった、という表情だ。


 俺は眉をひそめる。


「水瀬がなんだって?」

「い、いや、なんでもないよ?」

「………………」

「な、なんにもないよ?」

「…………」

「そ、そんなに見られても、本当に駄目なんだってっ。い、言えないんだからっ」


 花森は両手をぶんぶんと振り、困ったようにわたわたしていた。


 ちっ、駄目か。

 もっとも、この程度の圧力で言うとも思っていないのだが。

 

 花森は豊かな胸に手を当てて大きく溜息をつきながら、小声で。


「危なかったぁ。これバラしたら、彩奈すっごい怒っちゃうからなぁ……」

「…………」


 水瀬からいったい何を吹き込まれてるんだよ。


 気にはなるが、この調子だと花森は教えてくれないんだろうな。


「でも、本当のところどうなの?」

「何がだ?」


 俺が聞き返すと、花森はマシュマロみたいに甘い笑顔とともに楽しそうに訊ねてくる。


「堀越くんの気持ち。本当に、彩奈ことどうも思ってないの?」

「それ、愛莉も気になります!」


 花森にあわせて、愛莉もむんっと嫉妬したように視線を向けてくる。


 ふわふわ、むむむむっ。両サイドから襲ってくる種類の違う圧力。……なんで、そんなに他人の色恋沙汰が気になるんだよ。


 最近はセクハラになるからと、職場でも色恋沙汰を聞かれることは少ない。それでも、未だに飲み会では定番のネタではある。


 職場の誰が、あるいはお客さんで誰か好きな人はいないのか。隣の部署の誰々はお見合いで結婚したなど、プライバシーのへったくれもない話題で大いに盛り上がる。


 そして、上司によっては若者の男女をくっつけようとする。

 たとえば、俺でいえば、俺が指導員をやっていた若手社員の春野だ。


 春野は優しいから「わ、私は堀越さんがよければ、そ、その……いつでもいいですよ?ほ、本当に大丈夫ですからね(ちらちら)」と言ってくれるが、他の女性社員なら訴えられてもおかしくない。

 よかったな、上司一同。相手が春野で。

 

 とはいえ、俺も伊達にそんな飲み会を幾つも潜り抜けていない。


 対策ならとっくの昔に練ってるのだ。なんなら、この対策で数々の飲み会の雰囲気をぶち壊してきたし、壊せなかった飲み会はなかった。


 そんな天下無双、百戦錬磨の回答を、俺は自信満々に口にする。


「俺、二次元のキャラクターが好きだから。だから、リアルの恋愛はちょっと」

「あ、そういうのはいいから。で、彩奈のことどう思ってるの?」

「どう思ってるんですか?」

「…………」


 俺が考案した数々の飲み会を破壊してきた必殺技が、一切通用しなかった。


 花森なんて口元が笑ってるけど、目が笑ってない。「あ、そういうのはいいから」と口にしたときの目なんて殺し屋のそれだ。

 この手の話を飲み会ですれば、おっさん連中はだいたい俺のことを敬遠していくんだけどなぁ……。

 

 一方で、愛莉は鼻息荒く食いるように顔を近づけてくる。


「そもそも、堀越さんってどんな女性が好きなんですか? 愛莉に教えてください!」

「あー、彩奈の話も気になるけどそれも気になるよねー。せっかくだからアニメのキャラクターで答えてもらう?」

「もしかしてアーニャですか! 堀越さんってアーニャがタイプですか!?」

「アーニャがタイプの28歳ヤバすぎるだろ」


 可愛いけどね? 好きだけどね? 恋愛的に好きなタイプとして、28歳が名前を挙げるキャラクターとは少し違う気もする。


 花森は首を傾げる。


「じゃあ、胡蝶さんみたいな?」

「いや……その、俺は年上系よりも年下の方が」

「本当ですか!」


 なんで愛莉が反応してるんだよ。


 確かに、愛莉は年下ではあるが20歳も下だろうか。俺が成人して堂々と酒を飲めることを喜んだときに、お前はおぎゃーって誕生してるんだぞ。

 年下がすぎるだろうが。だいたい、アニメキャラって言ってんだろ。


 にしても、花森もよく知ってるな。

 まあ、凄まじく有名になった作品だから知っていても、何もおかしくはないのだが。


 しかし──


 前にも自問自答したが、俺は水瀬のことをどう思っているんだろうか。

 その答えについて、そろそろ出さなければいけない時期なのかもしれない。

 ただの隣人が関わるには、あまりにも付き合いが長くなってしまったから。


 ふと、そんなこと思った。










「久々なのにごめんね〜、お店が忙しくなってきたからまた今度聞かせて!」


 フラワーショップにも繁忙の時間帯があるらしい。あの後、花森はそう言い残してすぐにお店の仕事に戻った。


 ただお店の客層を見れば、ほとんどが花森のファンと思われる男性客ばかりだった。

 カフェの前には行列ができており、今か今かと俺たちが出ていくのを待ち構えていたほどだ。花森はいわゆる看板娘的な立場なのだろう。


 そうして、現在。


 俺は愛莉と買い物を済ませて、再び最寄りの駅前に戻ってきていた。


 ちなみに、愛莉と一緒に行ったショッピングモールでは、愛莉が本当にランジェリーショップに突っ込んで行って一悶着あったりなど色々あったのだが、それはまた別の機会に。

 話すと長くなるしな。



 俺が空を見上げると、ちょうど夕暮れだった。

 橙色の陽光が駅前のロータリーに差し込み、バスの窓が反射して輝いている。


「ふーん、そう。詩葉と会ったんだ」


 俺の隣には、水瀬がいた。

 最寄り駅に戻ってくると、水瀬は駅の改札前で待っていたのだ。


 仕事帰りなのか、スーツ姿だ。

 相変わらず土日出勤でブラックな環境らしいが、それでも迎えにきたのは愛莉が心配だっただからだろう。


 水瀬の隣には、愛莉が眠そうに瞼を擦りながら歩いていた。


 色々はしゃいでいたからな。

 体力の限界なのかもしれない。

 

 そうして、俺は彼女たちと帰路を辿りながら花森とのことを話していたのだが。


「…………」


 俺は、水瀬の横顔をこっそりと盗み見る。

 先日の花火大会以降、水瀬の態度は少しおかしかった。


 ちょっと距離が遠いような、そんな感じだ。


 されど、露骨に態度に表したりはしない。


 高校生のときのもそうだったが、「水瀬彩奈」という女は弱みはそうそう見せない。

 そして、彼女の強さは、大人になって更に磨きがかかっているようで。

 

 

 十年前も、そして今も──



「……ぇ……ねぇ。君、聞いてる?」

「え?」


 俺が意識を現実に戻すと、水瀬が表情をむっとさせていた。

 怒っているのだろう。彼女は眉をひそめて、ちょっぴり睨みつけていた。


 俺は水瀬への気持ちは自分でもわかっていない。だが、その姿も可愛く見えてしまうのだから不思議だ。


 俺が聞いてなかったことを察したのか、水瀬は呆れたように小さく息を吐く。


「詩葉の話。ずっと喋ってたのに、君、聞いてなかったの?」

「あ、ああ、悪い……それで花森がどうしたんだ?」

「詩葉はずっと地元でフラワーショップをやるのが夢だったの。それで、半年前ぐらいからあのお店をやってるって話」

「そっか」


 夢を叶えた、という言葉への捉え方は、俺たちぐらいの年齢は様々だと思う。


 それは、自分の人生がある程度見えてしまうからだ。


 子供の頃、二十代後半へ抱いた姿は理想そのものだ。夢を叶え、キラキラした憧憬そのものだ。


 だが、実際のところはどうだ?


 俺は別に夢を持って生きていたわけではないが、今みたいに会社と家の往復ばかりの無味乾燥な日々を想定しているわけでもなかった。

 そんな現実を思い知らされ、そして変わらず続くのだと思えてしまうのが、二十代後半だと俺は思う。

 

 だから、夢を叶えた姿は、俺にとっては眩しすぎる。それはもう、俺には届かないものと思えてしまうから。


「それで、久しぶりに詩葉に会ってどんな話をしたの?」

「どんな話って言われてもな……」


 ほとんど色恋に口を出されていただけだ。

 言えることなんて、何も…………あっ。


 そこであることを思い出して、俺は言う。


「そういや、水瀬」

「ん? なに?」

「いや、たいしたことじゃないんだけど……花森が俺のことを水瀬から聞いてるって言ってたけど、なに話したんだ? 花森の様子、変だったぞ」


 明らかに何かを隠している様子だった。

 花森には悪いが、俺個人としてはやはり気になってしまう。

 だから、訊ねてみたのだが。


 こちらの予想に反して、水瀬の反応は劇的だった。


「……………………………………え」


 ぎぎぎ、と錆びついた機械のように首をこちらに向ける。

 その顔は、何故かみるみるうちに真っ赤に染まっていって。


「う、詩葉が……そんなこと言ってたの……?」

「ああ、言ってたけど……」

「ほ、他に何か言ってなかった……?」

「他にって……いや、具体的には何も言ってなかったけど」

「ほんとに?」

「ああ、本当だけど……」

「ほんとのほんとに?」

「ああ、本当の本当だけど……」


 なんで何度も念押ししてるんだ?

 なんかよっぽど聞かれちゃヤバいこと言ってたのか?


「……ふぅ」


 水瀬は頬を紅潮させたまま何かを考え込むように瞑目すると、小さく息を吐き出した。


 ついで、水瀬は目を見開くと明らかな作り笑顔をこちらに向け。



 嘘つけよ。

 絶対何か不味いこと言ってただろ。

 

 多分、そんな内心の声が、俺の顔にも出ていたのだろう。


 水瀬は耳朶まで赤く染めたまま、むっとした目で可愛く睨みつけてくる。

 そして、つんっと顔を逸らして。


「──君だけには、絶っ対言わないからっ」


 その声には、確かな決意が宿っていて。

 やはり、最後までその真相を教えてくれないのだった






 ──と。


 ぶぶっ、とマナーモードのスマホがメッセージの着信を伝えた。


 ただ、それだけなら何も気になかっただろう。


 だが、気になったのは、俺と水瀬が同時にスマホを取り出したこと。

 もしかしたら、まったく同じタイミングでメッセージが届いたのかもしれない。

 

 画面を見ると、差出人は花森だった。

 先程別れる寸前に、花森とはLINEを交換したのだ。

 

 だから、花森がメッセージが送ってくるのは不思議なことではないのだが……問題はその内容だ。


 花森はスタンプと一緒にこんなメッセージを送ってきていた。




──『今度、同窓会やるんだけど来ない?』





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次回は、10/16(日) 19:00更新予定です。

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