第2章

第17話



 これまでのことを少し振り返っておこう。


 ほんの数週間前、隣に同級生が引っ越してきた。

 しかも、高校時代に好きだった相手が、だ。


 通っていた高校が近い、縁がある地域とはいえ、凄まじい偶然だと思う。

 ドラマであれば、運命の恋などと大袈裟に表現されるかもしれない。


 でも、俺は高校時代の憧れの彼女に出会ったところで、何も起こるわけがないと信じていた。

 もし何かが起こるならば、高校時代にあったはずだと。

 

 だけど、そんな俺の予想に反してこの数週間は激動だった。

 

 好きだった同級生である水瀬に拾われ、看病されて。

 ベランダで話して、彼女に何があったかを知り。

 彼女の娘である愛莉とスーパーで会い、水瀬が「実は、高校時代に俺のことを見ていた」という告白を聞き。

 それから、水瀬と愛莉がうちにお風呂を借りてきて、花火大会に行くことになって。

 花火大会では色々あったが、結果的には成功に終わったと思う。




 そして今日──なんと、俺はそのお隣さんとをすることになった。




 デート。

 付き合う前の男女が遊びに出かけたり、あるいは付き合った男女がするそれである。

 正確な定義があるのかは知らないが、概ね外してはいまい。

 

 そのため、現在、俺は自宅の前で待っていた。

 

 どうして、こうなったのか今でもわからない。

 今でも何かの間違いだと思っているぐらいだ。


 それでも、これは紛れもない現実だ。


 だから、今日、俺はお隣さんとデートする。

 そう、お隣の──







「堀越さん、お待たせしました! 今日はよろしくお願いします! えへへ♡」




 ──お隣の幼女様、と。


 ほんと、なんでこうなったんだろうな……。

 何かの間違いであってくれ。














 愛莉が「デートしてほしい」と言ってきたのは、花火大会の翌週のことだった。


 なんでも、買い物に行きたいらしい。

 ただ、水瀬はその日は仕事で忙しかったらしく、お隣である俺に白羽の矢がたったわけだった。


 まあ、それはいい。


 実際、俺は愛莉に「いつでも付き合ってやる」と言った。

 その言葉は嘘じゃないし、どうせ家にいてもYouTubeなんかを見て無為に時間を食い潰すだけだ。

 もちろん、そういう時間も俺にとっては大切ではあるのだが、最近は少し飽きてきたところである。

 

 それから、水瀬から「いつも貸しばっかりつくってごめんなさい」「でも、愛莉に手を出したら……わかってるわよね?」という言葉をセットでもらったのは、まあ、辛うじて理解できる。

 ただ、水瀬。お前は俺を何だと思ってるんだ。

 

 しかし、どれだけ考えても、不可解だったのは──



「えへへ♡ 今日のデート楽しみですねっ」



 この愛莉の謎の好感度の高さだ。


 いや、確かに愛莉は俺に好きだと言った。

 俺も好きだと言ったかもしれない。

 

 だが、あれは犬とかペットに対するような感情じゃないのか? 

 俺だって本気で好きだと言ってるわけじゃない。

 当然、LoveではなくLike。

 その両者の言葉には大きな隔たりがある。

 

 でも、愛莉のこの態度はどう見ても──

 

 愛莉は俺の腕にぎゅーっと抱きつきながら、上目遣いで覗き込んでくる。


「えへへ♡ 腕を組んで外を歩くなんて……ふふっ、恋人みたいですねっ! 堀越さんもドキドキしますか?」

「ああ、ドキドキするよ」


 いつ、通報されるかわからないからな。


 正直、さっきから冷や汗が止まらない。生殺与奪の権を握られてる気分だ。あれだけ握らせちゃいけないって、漫画で教わったのに……。


「ところで、堀越さん今日の愛莉どう思いますか?」

「どう、って?」

「むー、女の子がこう言ってたら服のことに決まってるじゃないですか! 愛莉の格好どうですか? 可愛いですか?」


 あざとさ満点の笑顔とともに、くるんと一回転して服を見せびらかしてくる愛莉。


 愛莉の今日の格好は、まるでどこかの清楚なお嬢様のようだった。

 紺色のクラシックなワンピース。

 首元には大きな白い襟がついており、同色のボタンが可愛らしく彩っている。大人が着ていれば、いわゆるロリータファッションなのかもしれない。もっとも、ロリが着ているので何とも言い難いが。

 

 俺は淡々と答える。


「ああ、可愛い可愛い」

「世界で一番可愛いですか?」

「ああ、世界で一番可愛い可愛い」

「もっと好きになっちゃいますか?」

「…………」


 このマセガキは何を言わせたいんだろうなぁ……。


 一方で、愛莉は「えへへ、堀越さんに可愛いって言われちゃった!」とにこにこしていた。その光景は年相応で可愛いと思わなくはない。


「……はぁ」


 さて、どうしたものか。

 子供からこんな風に好意を寄せられたことがないので、どう対処すればよいかわからない。


 まあ、どうせ一過性のものなので、考えるまでもないかもしれないが。


 おっさんは、どう取り繕ってもおっさん。

 幻滅されるのも、時間の問題だろう。


 俺が仕切り直すように顔をあげると、ちょうど駅前にの商店街に差し掛かっているところだった。


 俺たちは駅に向かって歩いていた。

 総武線や他の路線を使えば、数十分程度で大きなショッピングモールがある駅に行くことができる。


 愛莉が何を買いたいかわからないが、だいたいの物は揃っているはずだ。


 俺は念のため愛莉に訊ねる。


「そういえば、愛莉は何を買おうとしてるんだ」

「そ、それは……その、ちょっと言いにくいんですけど」

「なんだ? 言いにくい?」


 まったく想像がつかない。

 普通には買えないものなのだろうか。


 とはいえ、所詮小学生。

 どうせ、たかが知れているだろう。

 多分、ちょっと高いブランドものの服とかじゃないだろうか。

 

 愛莉は胸元の前でもじもじと手を組み合わせ、ちらちらと視線を送ってきながら頬を紅潮させる。


「ちょ、ちょっとこの辺りが膨らんできたんで……し、下着を買おうと思ってるんです。それで、堀越さんの意見を貰いたくて……」

「……………………」


 こいつ、俺を社会的に殺す気か。


 やばいやばいやばい──さすがに、それは不味い! 殺される! お巡りさん来ちゃう! 

 お父さんならまだしも、ただのお隣さんが幼女の付き添いでランジェリーショップに行くなんて、どう言い訳していいかもわからない。

 

 愛莉は更にちらちらと上目遣いで、熱っぽい視線を向けてくる。


「堀越さんは知らないかもしれませんけど……愛莉はもう『大人』なんですよ?」

「……へ、へぇー、そうなんだ」


 俺はいったい何を幼女にアピールされているんだろう。


 じゃなくて。

 俺は慌てて愛莉に向き直る。


「愛莉、それは水瀬がいるときにしよう! 俺、そういうの全然わからないし!」

「そうなんですか? 大人のカップルは、誕生日に下着をプレゼントするんじゃないんですか?」


 しねぇよ、そんなこと。


 とは残念ながら言えないのが実情である。

 俺や俺の周りでは下着をプレゼントしあったという話を聞いたことはないが、インターネットで検索すると、そういうエピソードは結構出てくる。

 

 ということは、俺が知らないだけで世間的にはあるのだろう。

 

 一方で、愛莉は何かを勘違いしたのか、むふーっと鼻息を吐き出すと胸に手を当てて。


「大丈夫ですよ、堀越さん。そんなに隠さなくても。愛莉、昔の女には寛容ですから」

「………………」


 昔の女とか、小学生が言わないでほしい。

 なんか怖いから。


「いや……実は、俺、そういうプレゼントもしたことがないんだ。だからな、愛莉。それは水瀬と一緒にいるときにな?」

「じゃあ、堀越さんと愛莉は初めて同士ってことですねっ。ふふっ、嬉しいです!」


 楽しくてたまらないというように、愛莉が俺の腕にぎゅうううと力強く抱きついてくる。


 初めて同士の、28歳と8歳。

 やばい、どこからどう読んでも犯罪臭しかしない。

 



 ──と。



「あっ、あれ!」

「ん?」


 突如、愛莉が商店街の一角にあるお店を指差した。


 店頭に陳列されていたのは、色とりどりのお花。

 フラワーショップみたいだ。

 

 愛莉が俺の手を引っ張って、店頭まで連れていく。紫色のラベンダーや、真っ赤なサルビア、その他にも名前がわからない花々が綺麗に並べられていた。


 フラワーショップのなかには、小さな飲食のスペース。

 どうやら、カフェも併設しているらしい。花に囲まれながら、ハーブティーなどの珍しいお茶が飲めるみたいだ。


 愛莉は思案するようにむむっと眉を寄せる。


「来月、彩ちゃんの誕生日なんです。だから、今日は彩ちゃんのプレゼントを買いたかったんですけど……」


 そうだったのか。

 下着のインパクトが強すぎてそれしか目的がないんじゃないかと疑っていたが、水瀬の誕生日プレゼントもあったらしい。


 よく思い返してみれば、高校三年生のときクラスで、スクールカースト上位のやつらが水瀬の誕生日を祝っていた気もする。

 それが、ちょうど来月あたりだったはずだ。


「彩ちゃん、お花が好きなので喜んでくれるとは思うんですけど……堀越さん、どう思いますか?」

「水瀬は、愛莉があげたものなら何でも喜ぶと思うぞ」

「むー、そういうこと言ってるんじゃないんです!」


 どうやら、一般論はお気に召さなかったようだ。

 愛莉は腰に両手をあてて、頬をぷくーっと膨らませていた。


「もっと具体的に言ってくださいっ。堀越さんのおすすめはないんですかっ?」

「おすすめ、か」


 そう言われても、俺自身に恋愛経験がそれほどあるわけではない。

 とはいえ、水瀬の好きなものを知っているわけでもない。

 そうなってくると、プレゼントを選ぶのも難しい。


 と、俺が回答に悩んでいると──。




「あれ、もしかして……堀越くん、だよね?」




「え?」


 俺が振り向くと、フラワーショップの店員さんがそばに立っていた。

 今、俺のことを「堀越くん」と呼んだのはこの店員さんか?


 店員さんは薄手の夏用ニットを着ている、ほんわかとした空気を纏うお姉さんだった。


 ニットがぴっちりと肌にくっついているせいで、身体のラインがはっきりと見える。

 そのせいで、フラワーショップの制服と思われるエプロンの胸元あたりの主張がすごかった。どれぐらい凄いかというと、エプロンのイラストがぐにゃりと形を変えているほど。でかすぎるだろ。


 その店員さんは、ゆるふわな雰囲気をとばしながら話しかけてくる。


「あー、わたしのこと忘れてるでしょう? もう、久しぶりなのに酷いなぁ。まあ、わたしも彩奈から近くに住んでるって聞かなかったらわからなかったと思うけど」


 彩奈──つまりは、水瀬のことだ。

 ということは、この店員さんはおそらく高校のときの関係者。

 そうなってくると、必然と対象は絞られて──


「あ」


 俺はたった一人、思い当たる人物を脳内で見つけて声を漏らした。


 三年三組。

 水瀬が『クール系の神聖不可侵のアイドル』とすれば、心の距離をまったく感じさせない『天然系のいつでも喋られるアイドル』。


 俺は言う。


「……もしかして、花森……花森詩葉はなもりうたは?」


 花森はにっこりとした微笑とともに子供っぽく指をぴんと伸ばして、「正解―」と肯定したのだった。






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次回は、10/12(水) 19:00更新予定です。

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