第16話
「……花火、終わっちゃうね」
愛莉が泣き始めてから、どれぐらいそうしていただろうか──
愛莉はぽつりと独り言めいた口調で言った。
花火大会の終了予定時刻まで、残り二十分もない。
遠くに打ち上げられるワイドスターマインの花火の音。
今更戻ったところで、良い場所はすべて押さえられている。
ゆえに、会場に戻っても意味はない。
俺たちの花火大会はここで終わりだ。
でも、そんなのはあまりにも寂しぎる。
「花火、見たいのか」
「え……う、ううん! 愛莉は大丈夫──」
俺が問いかけると、愛莉は横に首を振りかけて。
されど、途中でぴたりと止まると、愛莉は俺の目を真っ直ぐと見つめてきた。
そして、愛莉は頬を紅潮させながら勇気を振り絞ったような表情とともに。
「──花火、見たいです!」
きっと、さっきの俺の言葉を思い出してくれたのだろう。
ならば、俺の返事は一つしかない。
「わかった。なら、花火会場に戻ろうか」
「え……でも、花火は……」
愛莉は自分で言いつつも、もう見ることが難しいことがわかっているのだろう。
だけど、もっと大人に頼ってもいいと言ったばかりなのだ。
ならば、その発言の責任ぐらいは取ろう。
俺は言う。
「愛莉が協力してくれればだけど……シンプルに見れる方法が一つあるだろ」
愛莉は意味がわからなかったのか、不思議そうに首をかしげた。
「……すごく、ひと多いですね」
急いで花火大会の会場に戻ること数分。
予想通り、会場の良い場所はすべて押さえられていた。
河川に沿って広がる土手にはもちろん、土手の上に整備されたサイクリングロードや近くの橋も、人々で猥雑としている。
俺たちは、その群集から少し離れた場所に立っていた。
俺は平均よりも少し背が高いぐらいの身長だ。
そのため、花火は辛うじて見えるが、愛莉にとっては目の前に巨大な人壁が立ちはだかっているように見えるのだろう。
ぴょんぴょんとその場で跳ねるが、まったく見えていないようだった。
愛莉は残念そうに呟く。
「やっぱり見えないです」
「シンプルに見える方法って……堀越くん、何考えてるの?」
隣では、水瀬が訝しげに眉をひそめていた。
それに対して、俺は腰を落として愛莉に向かって背中を見せた。
そうして視線で背中に乗るように促す。
つまり、肩車だ。
「ほら、愛莉。これで見えるだろ」
「………………………堀越さんの、えっち」
なんでだよ。
「あー……もしかして嫌だったか、肩車は」
冷静に考えてみれば、おっさんに肩車されるのは嫌かもしれない。
もっとも、これまで頭を撫でたりしてしまっていたのだが。
だが、愛莉は頬をほんのり染めると、もじもじしたまま。
「そ、それは嫌じゃないですけど……あ、愛莉はもうお姉さんなんですよ! ほ、ほら、周りも小さい子ばかりです!」
なるほど、それが乗り気ではない理由らしい。
確かに愛莉の言う通り、周辺にも父親に肩車してもらっている子供はいたが、見た目はだいたい五歳ぐらいだ。
愛莉が肩車された場合、目立つかもしれない。
でも、
「愛莉もそうたいして年は変わらないだろ?」
「むうううう!」
「君、実はデリカシーないんじゃない?」
愛莉は頬を膨らませて唸り、水瀬は呆れたように息を吐き出す。
え? なに? 俺、何か変なこと言ったか?
だってそうだろ? 俺からしてみれば、五歳も八歳もそう変わるはずもない。
愛莉も尚ももじもじとしながら、浴衣の裾を気にするように生地を引っ張る。
「そ、それに……愛莉は、ゆ、浴衣なんですよ?」
「…………はぁ」
それがどうしたんだ?
口には出さなかったが、水瀬は俺の顔を見ておおよそのことを察したらしい。「デリカシーないわね」と小さく呟いていた。
うるせえ、別にこっちはお子様パンツには興味ないんだよ。
だが、逆に俺のそんな態度が、愛莉に火をつけてしまったらしい。
愛莉は何故か据わった目とともに。
「ほ、堀越さん! あ、愛莉を肩車してください!」
「あ、ああ。もちろんいいけど──」
「愛莉を子供扱いなんてさせませんから! 愛莉を肩車すればわかるはずです!」
「…………」
その態度がもう子供なんだよなぁ、とはさすがの俺も言わなかった。
愛莉は俺の背中によじ登ると、首に腰を下ろす。
そうして愛莉の姿勢が安定したところで、俺は勢いよく立ち上がり。
「──きゃ、きゃあああああ」
愛莉が楽しそうな悲鳴をあげる。
だが、大人+小学三年生の女子の身長は伊達ではなかった。
おそらく景色がぐんと変わったのだろう。
愛莉は俺の頭をぱしぱし叩いてくる。
「堀越さん、すごいです! みんなの頭が見えちゃいます!」
「そりゃよかった。でも、本番はこれからだぞ」
ちなみに肩車しても、愛莉が子供ではないことはわからなかった。
軽い軽い。これなら、いくらでもできそうだ。
俺は夜空を見上げる。
それに連動したように、愛莉は俺の頭の上で、水瀬は隣で目線を持ち上げて──
「わぁ……!」
宵闇に、一縷の光が軌跡を描きながら立ち昇った。
それは星にすら届きそうなほど高くあがると、炸裂音とともに夜空に咲いた。
ついで、紅蓮の閃光が花弁を散らすように落ちていく。
だけれど、それは一回きりではなかった。
息を吐く間もなく幾条もの閃光が地から立ち昇っては、暗闇を彩っていく。火の粉が雪のように降り注ぎ、幻想的な光景をつくりだす。炸裂音が、光の華が、より鮮明に音と光を伝えてきていて──。
最後の十分間。
そのクライマックスにふさわしい光景がそこにはあった。
「堀越さん!」
「ん? なんだ!」
「堀越さん──本当にありがとうございます! 堀越さんのおかげで! お母さんが見た! お母さんが好きだった景色が見れました!」
周囲の爆裂音に負けないように、愛莉はこちらを見下ろして大声で言い放った。
愛莉は花火にも劣らない輝くような笑顔を浮かべていた。
それだけで、俺が肩車した甲斐はあって──
愛莉は続けて大声で叫ぶ。
「それと! 愛莉! ジュエンくんより好きなひとができました!」
「お? 誰だ? 誰が好きになったんだ?」
「愛莉は──」
そこで言葉を切ると、愛莉は何故か一瞬だけ水瀬の方を振り返った。
そして、愛莉は俺の顔に近づけると声を発する。
「──愛莉はっ、堀越さんが大好きです!」
頭に柔らかい感触。
愛莉が何をしたかは、想像でしかないが何となくわかった。
見上げると、愛莉の表情がどこか小悪魔めいていたからだ。
……まったく。
どこまでも、ませているやつである。
おそらくリップサービスというか、ただ今回の件で恩義に感じているから言っているとか、そんなところだろう。
ただ、それでも、正直にいえば嬉しい。
なにせ、おっさんは若者と女の子が好きだからな。
つまり、両方の要素を持つ幼女は大好きってことだ。
だからこそ、俺も大声で返す。
「ああ! 俺も愛莉が好きだよ!」
「むうううう! 絶対にわかってませんよね! 愛莉は堀越さんが大好きなんですよ!」
「だから、俺も好きだって!」
俺は笑いながら返した。
──と。
花火が少しだけ止んだその間隙を縫って、愛莉はおずおずと思い出したように訊ねてくる。
「そういえば、堀越さんのお母さんは今って……」
「ん? ああ、そのことか」
先ほど母親のことを話したからだろうか。愛莉はどこか心配そうにしていた。
あるいは、母親の身を案じているのだろうか。
だとすれば、それは杞憂だ。
俺は笑いながら言う。
過去にあった一つの物語の結末を。
「大丈夫だよ、母さんなら今も元気だから」
「──母さんは今、世界中楽しく旅してるよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜空を花火が彩るなか。
堀越くんと愛莉は肩車したまま楽しそうに何か言い合っていた。
私はその光景を見ながら、ずきっと胸の奥が痛むのを感じていた。
貸しをつくってばかりはいけないはずだった。
一人で、愛莉を育てられると証明しなきゃいけなかった。
私は『母親』にならないといけないのに。
強くて、自律している『母親』にならなきゃいけないのに。
だというのに、私は誰かに迷惑をかけてばかりだ。
ああ、なんでこんなに私は弱いんだろう。
他の『母親』が当たり前にやっていることができないんだろう。
やっぱり、私が本当の『母親』じゃないから。
だから、私はいつまでも弱いのだろうか。
私は内心に問いかけるが──当たり前のように答えは出てこなかった。
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次回は、10/9(日) 19:00更新予定です。
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