第15話




 少し、昔の話をしたいと思う。


 昨年、私の姉が行方不明になった。

 海外出張の折だった。

 よりにもよって旦那さんと一緒にいなくなってしまった。


 あの姉のことだ。

 愛莉を残していなくなるはずもない。

 何かに巻き込まれたのは明白だった。



 泣きそうだった。立ち直れなくなりそうだった。

 



 でも、私に挫けることは許されなかった。

 私には愛莉がいたから。



 姉の一人娘。

 可愛い可愛い天使みたいな女の子。


 行方不明になった姉に、罵詈雑言を浴びせる他の親戚には任せておけなかった。私が育てなきゃと思った。

 半分は使命感、そうしてもう半分は愛莉と一緒にいることが好きだったからだ。

 愛莉と一緒にいれば、姉を失った悲しみにも耐えられた。



 そうして、私は愛莉を引き取って一緒に暮らし始めた。

 初めて子供と一緒に住む割には、上手くといったと思う。


 だけど、一ヶ月もしないうちに、私はすぐに気がついた。

 




 元々、愛莉は天真爛漫で我が強い子だった。

 元気いっぱいで、周りを巻き込み、我儘も突き通す。

 だが、軋轢は生まず、周りを笑顔にする──そんな不思議な力を持った子だった。


 そんな愛莉が、昨年から遠慮するようになった。



「ううん、彩ちゃんも忙しいもんね」

「今日は家で遊ぼ? 明日、彩ちゃんお仕事でしょ?」

「愛莉? 何にもしたいことないよ。彩ちゃんといれて幸せ!」



 まったくの嘘ってわけでもないだろう。

 でも、愛莉の言葉からは、気遣いが、遠慮が透けて見えてしまって。


 多分、それは私が頼りないからだ。

 私が本当の『母親』じゃないからだ。

 だって、姉のときは違ったから。



 私は強くならなきゃいけない。

 愛莉の『母親』になる、ために。

 だから、弱さは捨てなきゃいけない。

 私が知る『母親』はみんな強かったから。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




「愛莉!」


 俺は河川に沿って花火大会の会場を離れていた。


 誘拐、だろうか。その考えも脳裏によぎるが、水瀬と十分ほど探して見つけられなかったら警察に電話することを事前に相談していた。


 しかし、何故か愛莉が誘拐された、とは思えなかった。


 ただの直感だ。確証はない。

 だが、愛莉が自分からどこかに行ったようにしか思えなかった。

 それは、あのときの愛莉の表情が脳内にこびりついているからかもしれない。



 ──彩ちゃん、本当はもっと遊びたいんじゃないのかなって……そう、思うんです。



 泣き出しそうな表情。

 だけど、その表情には見覚えがあった。


 あの顔は、かつての俺自身と一緒だ。

 だとすれば、そう遠くには離れていないはずだ。

 俺もまったく同じことをしたことがあるから、

 そもそも、愛莉は下駄を履いていた。きっと歩きにくいはずだ。ならば、この短時間で遠くにいけるはずがない。


 走る、走る──走る!

 そうして。



「…………はぁ。はぁ。愛莉、見つけたぞ」



 待ち合わせしていた、神社の石段。

 そこに、ぽつりと一人寂しく座り込んでいた愛莉を見つけた。










「……堀越、さん?」

「大丈夫か? 怪我はないか? 誰かに連れ去られた……わけじゃないよな?」

「は、はい、違います。愛莉は……」

「そっか」


 俺が手をあげると、愛莉はびくっと身体を震わせた。

 引っ叩かれるとでも思ったのだろうか。

 だけど、暴力など振るうわけがない。振るう理由もない。


 俺は目線をあわせると、愛莉を落ち着かせるように彼女の頭を撫でる。

 愛莉の肩から力が抜けていく。俺自身の肩からも緊張が抜けていく。


「……なら、よかった。本当によかった」


 息を吐き出すように言った。


 愛莉は俯いたまま、黙りこくっていた。

 俺も石段に座り込む。

 なんて声をかけていいかわからない。脳裏に色々なことが過るが、最初の一言は意外にも自然に溢れでた。


「……俺もさ、小さい頃、家出したことがあったよ」

「…………」


 隣では、愛莉が怪訝そうな顔をつくっていた。「なんで堀越さんの昔の話?」とでも言いたげだ。やめて、その表情は地味に俺に効くから。


 だけどな、愛莉はまだ知らないかもしれないが──おっさんは自分語りが好きなのだ。


 聞かれてもない昔の武勇伝、出張で苦労した過去、お客さんに怒られた経験。飲み会で何度も何度も話しているにもかかわらず、若手にまた聞かせてしまう。

 上の世代に自分がそれをやられて嫌だったにもかかわらず、だ。 


 悲しいかな、それがおっさんの習性なのだ。

 そりゃ『うっせぇわ』ってなるわ。

 

 しかし、それでも、俺は自分語りを続ける。

 おそらく、薄っぺらい言葉は届かないから。

 ならば、俺は『堀越京也』の体験談を喋るしかない。


 なにせ、こっちは二十八歳。

 八歳よりも三倍の人生経験があるのだ。失敗談には事欠かせない。


「俺さ、小さい頃に母親が離婚して……親は母親だけだったんだ」


 物心がつく前、母親は父親と離婚したらしい。

 理由は聞いてもない。

 でも、それが母親の決断ならば俺は否定しない。

 それが、きっと最善だったのだろうから。


「で、さっきも言った通り、ある日家出した。理由は……まあ、なんでそう思ったかはわからないけど、自分なんかいない方がいいと思ったんだよな」

「っ」


 愛莉がびっくりしたように顔をあげた。


 その表情を見て、俺は確信する。

 やっぱりそうか。

 そんな風に考えていたのか。


「うちの母親はさ、いつも仕事頑張って忙しくて。でも、俺の学校の行事にもいつでも来ようとしてくれようとしてた」


 それでも、母親が仕事で来ることができないイベントはあった。

 そんなときに、母親は口癖のようにいつも謝っていた。


 ──ごめんね、京也。


 今思えば、そんなこと当たり前なのだ。

 社会で働きながら一人で子育てしつつ、学校の行事にも毎度のように参加する。休む暇もなく、家事も何もかもすべて一人でこなす。睡眠もまともに取れず、身体はボロボロになっていく。


 想像するまでもなく、それがどれだけ過酷か理解できる。

 そして、当時も朧げながらその過酷さを理解していた。

 だから、


「だから、ある日、家出したんだ。俺がいなければ……母親が楽できると思って」


 母親が謝るたび、俺も心の中で謝っていた。


 ──ごめんね。

 ──僕がいて、ごめんね。


 それゆえに、いなくなればいいと思った。

 自分がいなくなれば、全て綺麗に解決すると思った。


「……解決、したんですか?」


 愛莉が瞳に真剣な色を宿したまま、問いかけてくる。

 俺はゆっくりと首を横に振った。


「いや、解決しなかったよ」


 それどころか、警察を巻き込んでの大騒動である。

 近所の皆さんにも迷惑をかけ、母親の疲労を減らすどころか大きく増やしてしまい、結果としては想定していた方向とはまったく別に進んだ。


 まあ、当たり前といえば当たり前なのだが。

 そんなごくごく普通の結論が想像できないほど、当時の俺は視野が狭かったのだ。


「だったら……愛莉はやっぱり駄目な子ですね。いつも迷惑かけてるのに、またやっちゃって……間違えちゃいました」


 愛莉は視線を伏せ、地面に向かって力なく笑ってみせる。

 その表情からは、途轍もない後悔が感じられて。

 されど、俺はその問いかけにもなっていない呟きに首を横に振った。


「間違えてなんかいないだろ、愛莉は」

「え?」


 愛莉が困惑した表情とともに顔を上げる。

 だけれど、俺は誤ったことを言ったつもりはなかった。


「別に迷惑かけてもいいんだよ。だいたい、なんで迷惑かけちゃいけないんだ?」

「え? えっ? で、でも、迷惑をかけるのは悪い子で──」

「確かに良い子とは言えないかもな。。『大人おれたち』がそんなこと気にするわけがないだろ」


 たとえば、新人が職場に配属されたとしよう。

 最初は仕事ができなくて、手がかかることもあるかもしれない。

 でも、果たして組織はその新人を責めるだろうか。

 迷惑だと思うだろうか。

 

 もちろん、時と場合によるのは理解できるが──大半は、許容するだろう。

 新人なんて迷惑かけて当たり前だからだ。

 俺はそれと同じだと思う。


「だから、愛莉。そんなにびくびくしなくていいんだよ。迷惑かけると思って遠慮しなくていいんだ」


 俺は優しい声音とともに立ち上がると、愛莉と目線を合わせて正面から向き合った。


 愛莉は目を丸くしていた。

 大方、遠慮していたのはバレてないと思っていたのか。

 だが、その傾向は幾つもあった。



 ──なら、堀越さんが忙しくなかったらお願いさせてください!

 ──う、ううん。彩ちゃん忙しいもんね。

 ──ごめんね、愛莉わがまま言って。彩ちゃんお仕事頑張って!



 愛莉は無邪気に振る舞いつつも、いつもどこか一線を越えようとしなかった。

 頼ることを、避けていた。


 何故、そうなったかはだいたい想像できる。

 水瀬から聞いた愛莉の過去と、俺自身の体験談を照らし合わせればそう難しい話じゃない。


 だからこそ、俺は今の愛莉を放っておけなかった。


 今やっていることが、ただのお節介であることはわかっている。

 いや、それならまだマシかもしれない。

 正確には、これは『子供は天真爛漫であってほしい』という、おっさんの気持ち悪い願望を押しつけているだけだからだ。

 そんなものはただの自己満足でしかない。


 それでも、俺は言う。


 一つは、愛莉を見過ごしておけないから。

 そして、もう一つは──おっさんなんてものは元々気持ち悪い生き物だからだ。なら、俺が失うものは何もないはずだ。


 俺は愛莉の頭に手を乗せながら、可能な限り真摯に言葉を紡ぐ。


「愛莉はもっと大人を頼っていいんだよ。我儘を、言ってもいいんだよ。家出したきゃ家出しても、逃げたくなったら逃げてもいいんだよ。それでも、誰かに迷惑かけるのが気になるなら──」

「……気になる、なら?」


 愛莉が復唱して、そっと視線を持ち上げてくる。

 そんな彼女に、俺は笑ってみせながらそれを告げる。



「──。隣だから声をかけやすいだろ。愛莉の我儘なら喜んで付き合うよ。どうせ、休みなんて家で寝転がってるだけだからな」



 どうせ、愛莉ぐらい賢い子が我儘を言ったって好き勝手やるわけもない。

 だから、少しハメを外すぐらいがちょうどいい。

 そんな打算まみれの思考とともに、俺はそう言い切った。


「まあ、あと愛莉が反省するとすれば誰にも言わずに勝手に消えたことだ。心配するから、それだけは言ってくれ」


 俺は最後にそう締め括る。


 一方で、愛莉の反応はどこか鈍かった。

 何故か陶酔したように、目をぼぉっとさせつつ頬を赤くして。

 ついで一転して、どこか不思議そうな顔をしてぽつりと。


「何してもいい……って言ったのに、言わなきゃ駄目なんですか?」

「それが最低限のルールってことだよ」


 俺の言葉に、愛莉はむぅっと唇を尖らせる。


「……なんか、騙されてる気がします。堀越さん、狡いこと言ってませんか?」

「大人は狡いものなんだよ」


 俺は再び笑ってみせた。

 だけど、それで、愛莉もようやくふんわりと口角をあげた。

 呆れるしかないような、そんな笑顔だ。

 でも、それでいい。俺にできるのは、精々気を楽にさせてやるぐらいだ。

 

 だから、あとは真打に任せよう。

 俺は視界の端で彼女を捉えつつ言う。


「それに、水瀬が愛莉を迷惑と思っているかなんて……あの姿を見ればわかるだろ?」




「──愛莉っ!」




 実は愛莉と話す前に、こっそりと連絡していた。

 その連絡を受けて、一目散にこちらに走ってきたのだろう。


 さすがは元陸上部エース。浴衣にもかかわらず惚れ惚れするようなフォームで一気に駆け寄ってくると──


「っ!」


 勢いそのまま、水瀬は愛莉をぎゅぅぅと力いっぱい抱きしめた。

 ぐりぐりと愛莉の存在を確かめるように自分の身体に押し付ける。続けて消え入るような声で。


「よかった、無事で……ほんとに、ほんとうに心配したんだから……っ」


 水瀬の表情は今にも泣き出しそうだった。

 あのクールで、格好良くて、誰よりも強そうだった水瀬が、だ。

 愛莉にとって意外だったのだろう。途端に顔をくしゃくしゃにして、ぼろぼろに涙をこぼす。


「……ご、ごめんなさい、彩ちゃん」

「もう二度と勝手にどこかいなくならないで……すごく、すごく怖かったんだから……」

「ごめんなさい。ごめんね、彩ちゃん……っ」


 水瀬に抱きしめられたあと、愛莉はわんわんと泣き出す。

 確かに、愛莉は賢い子なのだろう。



 それでも、今だけはただの年相応の『子供』だった。




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次回は、10/5(水) 19:00更新予定です。

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