第14話
「……ごめん、お待たせ。愛莉は迷惑かけなかった?」
「まったく迷惑かけなかったよ」
むしろ大人すぎたぐらいだ。
愛莉と一緒に花火大会に参加すること三十分ちょっと。
水瀬は予想より早く戻ってきた。
額には玉粒の汗。
リモート会議に参加していた場所から走ってきたのかもしれない。
俺たちは水瀬を迎えに行くため、会場となる河川から離れて神社の石段前に戻っていたのだが。
「でも、かなり早かったな」
事前の話では最低でも一時間半はかかるという話だった。
だとすれば、あまりにも早すぎる。
水瀬は浴衣の袖で額の汗を拭いながら教えてくれる。
「職場の人にぽろっと話したら、今日はもういいって言ってくれたの」
「そっか」
育児に配慮がある職場のようだった。
今更ではあるが、俺は水瀬がどんな仕事をしているのかも知らない。
だけれど、少しは働きやすい職場なのかもしれなかった。まあ、土曜日に会議あるんだけど。前言撤回、やっぱりブラックだ。
「じゃあ、行くか。本番はここからだしな」
「はい、そうですね!」
愛莉はにっこりと微笑みながら空を見上げる。
つられて視線をあげると、木々の隙間の向こうで、鮮やかな花火が夜空を彩っていた。
至って普通の……と断言できるほど、俺に花火の知識があるわけではないが、それでもこの花火大会の目玉じゃない。
本番は、花火大会の一時間経過後から打ち上げられる、各地の凄腕花火師が入れ替わり行う怒涛のスターマイン。少し休憩を挟みながらではあるが、なんとそれが一時間近くもあるのだ。
ちなみにスターマインとは打ち上げ方法のことらしい。
連射して打ち上げることを指すようだ。
だが、そのスターマインによる光景は圧巻だ。
最後に来たのは高校時代だが、よく覚えている。
愛莉はどこか熱のこもった口調で語る。
「お母さんからたくさん聞きました! すっごく綺麗って! だよね、彩ちゃん?」
「ええ、見たら一生忘れないぐらい綺麗……かな」
「楽しみです!」
にぱっと満面の笑顔とともに、こちらを見上げてくる愛莉。
心の底から待ち侘びていたのだろう。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
いつまでも会場から離れたところにいても仕方ない。
俺は促し、三人で花火大会の会場へと向かい始めた。
「人、多いな……」
「多いわね……」
「多いです!」
河川に辿り着くと、土手や橋が家族連れやカップルで溢れかえっていた。
人の海だ。さながら総武線の満員電車のごとく。幸いなのはおっさん率がまだ低いことだろうか。
水瀬は愛莉へと手を伸ばす。
「愛莉、はぐれちゃうから手繋ご?」
「うん! 堀越さんも繋ぎませんか?」
「え? あ、ああ」
愛莉から差し出されるすべすべの手。
一瞬躊躇うが、愛莉の方が早く俺の手を取った。
小さな手に、これでもかと、ぎゅーっと力を入れられる。
ついで、愛莉は俺たちの顔を交互に見比べながら。
「こうしてみると、家族みたいですね!」
「「…………………………」」
自分で言うか、自分で。
おそらく、愛莉の「俺と水瀬をくっつけよう作戦」の範疇なのだろう。何故、俺なのかはわからないが、それほど水瀬のことを気にかけているということなのか。
俺がゆるりと水瀬を見ると、彼女もこちらにちょうど目を向けたところだった。「ごめん」と目が語っている。水瀬もこの作戦に薄々勘付いているのだろうか。
愛莉はにこにこしながら、上目遣いで俺の顔を覗き込んでくる。
「お父さんはお父さんのものなので呼べませんけど……パパって呼びましょうか?」
「…………いや、それは……」
「パパ、お金ちょうだい♡」
「その言い方は絶対にやめてくれ」
なんか『パパ』という言葉に、変な意味がつきそうだった。
俺の心が汚いからかもしれないが。
そして、本当にお金をあげそうになるからやめてほしい。取り敢えず一万円でいい?
と、そうしているうちに──
「……わぁ」
愛莉が隣で小さな歓声をあげる。
ひゅ〜という甲高い音と爆裂音とともに、一輪の燃え上がる華が夜空を彩っていた。
続けて、息をつく間もなく、色とりどりの可憐な華が咲き誇る。おおおおおっと、周囲の歓声で空気が震え、その間にも次々と花火が打ち上げられている。
スターマイン、だ。
隣を一瞥すると、愛莉は口を半開きにして夜空に見惚れていた。
その横には、口元を緩めている水瀬。
この光景だけで、自分が名乗り出た甲斐があったのだと思う。
俺はスマホを取り出すと、夜空へカメラを向ける。
隣では水瀬も同じようにスマホを掲げていた。
普段から写真を撮る趣味などがあるわけではない。
でも、なんとなく、この一瞬を切り取りたい気持ちに駆られた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目の前で、夜空を満開の花束が彩った。
きらきら。めらめら。まるで御伽話のなかの光景のよう。
でも、見惚れているのは子どもだけじゃない。
彩ちゃんも、堀越さんも、息を呑んで夜空を見上げていた。
それぐらい、幻想的な景色で──
「お父さん、お母さん、すごいね!」
近くでは、男の子が歓声をあげていた。愛莉よりちょっと年下かな? お母さんとお父さんの腕を盛んに引っ張っている。お母さんとお父さんは「そうだね、すごいね」とほっこりするような笑顔をうかべている。
でも、そんな光景を見るたびに思うことがある。
ああ、もう愛莉にはお母さんとお父さんはいないんだな、って。
突然だけど、少し、昔の話をするね。
わがままかもだけど、ちょっとだけ付き合ってほしいな。
一年前──ちょうど今頃の時期に、愛莉のお母さんとお父さんは海外に行ったっきり帰ってこなくなってしまった。
行方不明……ということみたいだけど、親戚のおばさんたちはみんな亡くなったと口々に言ってた。それだけじゃなくて、自業自得とか、無責任、とか。
正直、怖かった。
だって、みんな、愛莉に優しかったのに。お年玉とかくれてたのに。みんな、口を揃えてお母さんにむかってたくさん嫌なことを言っていた。
そこで、ようやく気づいた。
ああ、みんな、お母さんのことが嫌いだったんだ。
みんなみんな我慢していたけど、お母さんのことが実は嫌いだったんだ。
直接は言えなかったから、それがいっぺんに噴き出したんだ、って。
そんな場所から助けてくれたのは、彩ちゃんだった。
彩ちゃんは昔から格好いい!
彩ちゃんは愛莉の王子様だ。ジュエンくんの次に格好いいし、なんといってもとっても可愛い!
愛莉は実は彩ちゃんみたいになりたくていつも頑張ってるけど、全然なれる気がしない。むー、秘訣とかあるのかな。
お母さんとお父さんがいなくなったけど、彩ちゃんは一緒にいてくれた。
たくさん泣いて、たくさん悩んで、たくさん困ったけど、彩ちゃんはずっと一緒にいてくれた。愛してくれた。ぎゅーっとしてくれた。
そうして、一年が経つ頃には、ようやく区切りをつけることができた……と思う。
今でも、こっそり泣いちゃうこともあるけど。
だけど、お母さんたちのことを思い出すたびに、泣かなくなったの。
でも。
でも、ね。
そんなときに、ふと思ってしまう。
──愛莉は、彩ちゃんに迷惑をかけてるんじゃないの? って。
ほんとうは、彩ちゃんは遊びたいのに我慢してるんじゃないの? 愛莉のせいでどこにもいけないんじゃないの? 彩ちゃんは優しいから、王子様みたいに格好いいから、使命感で愛莉と一緒にいてくれるんじゃないの?
夜空を見上げると、花火と一緒に堀越さんと彩ちゃんが見える。
彩ちゃんは楽しそうだった。
目を細めて、口元を緩めて、言葉にはしないけど、とっても楽しんでいるのがわかる。
更に遠くを眺めると、たくさんの『家族』がいた。
お父さんに肩車してもらってる女の子。お母さんと手を繋いでる男の子。夫婦っぽい二人組の大人の男女。
そして──彩ちゃんと堀越さん。
『家族』じゃないけど、お似合いだと思う。
でも、愛莉はその『中』にはいない。
愛莉だけ仲間はずれ。
愛莉のお母さんとお父さんは、もういないから。
彩ちゃんはよく「ごめんね」って謝る。
でも、ね。
ほんとは、愛莉も一緒に心のなかで謝ってるの。
ごめんね、彩ちゃん。
いつも迷惑かけて、ごめんね。
愛莉がいて、ごめんね。
気がつけば、その場から走り出していた。
あまりにも、まわりが眩しくて。
愛莉なんかいない方がいい、と思ったから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ッ」
スターマインが始まると同時に、周辺の人々が一気に流れ込んできた。
少しでも良い場所で見たいのだろう。数秒のうちにさらに雪崩れ込んできて、隣の水瀬とも密着してしまう。肩車している親子もいるからか前方の視界も塞がれ、花火も碌に見えない状態だ。
ん? 隣の水瀬?
誰かいなくないか?
「愛莉!」
「あ、愛莉!?」
俺と水瀬はほとんど同時に気付き、愛莉を探すが……いない。
愛莉の姿がどこにも見えない。
俺たちは二人ともスマホで写真を撮っていた。
そのせいで、愛莉から手を離してしまっていたのだ。
「愛莉!?」
「愛莉、どこ!?」
水瀬が普段のクールな表情を捨てて必死に叫ぶ。
俺も叫ぶが、愛莉からの返答はない。
周囲のカップルなどが何事かと振り向くが、知ったことではない。
俺たちは混雑を抜け出て辺りを探す。
だが、愛莉は見つからなかった。
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次回は、10/2(日) 18:00更新予定です。
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