第12話



「ねーねー。これ、彩ちゃん?」

「そうそう。うわー、私、若っ」


 水瀬と愛莉はわいわい言いながら、卒アルを捲っていた。

 ただ、水瀬の挙動はどこか不自然だった。


 水瀬は大きく広げられている襟元を何故かずっと片手で押さえていた。


 俺と視線が合うと、ぎゅっと襟元を更に固く握る。耳は端っこまで真っ赤で、水瀬はむっとした視線を向けてくる。

 いったい何なんだ?


「あの、堀越さんっ」


 愛莉に声をかけられ、俺は彼女に向き直る。

 すると、愛莉は卒アルの体育祭の写真が貼られたページを開いて見せてきた。


 そのページに大きく写っているのは、陸上部のエースで、体育祭のリレー競技ではアンカーだった水瀬の姿。ちょうどゴールテープを切る瞬間の写真だ。


「堀越さん、この頃の彩ちゃんってどんな高校生だったんですか?」

「そうだな」


 愛莉の憧れめいた視線を一手に引き受けながら、俺は高校時代を回想する──。


 と。

 くいっと不意に服の袖を引っ張っられた。

 隣を窺うと、水瀬の突き刺さるような視線。「わかってるわよね?」とでも言いたげだ。


「……水瀬は人気者だったよ」


 結局、散々迷った上、俺は事実を口にすることにした。

 己の感情は含めない。ただ淡々と客観的な事実だけを口にする。

 それならば、水瀬も不満を覚えることはないだろう。



 一方で、水瀬は再び服の袖をくいくいと引っ張っていた。


 お気に召さなかったらしい。多分さっきと同じ理由だろうが──相変わらず頬を染めたまま、むっと眉をひそめている。

 ついで、耳元で小声で囁いてくる。


「ちょ、ちょっと堀越くん。冗談言わないで、本当のこと言ってよ」

「…………」


 なるほど。

 俺としては事実のつもりだったが、もっと具体的に話せということだろうか。


 ならば、仕方ない。

 俺は高校時代の思い出を更にたどりながら、事実を口にする。


「水瀬はとにかくすごかったよ。陸上部でエースで、学力も上位で」


 くいくいっ。


「それから誰にでも優しくて、嫌いなやつはいなかったよ。それなのに、美人でクールで格好良かったから男子だけじゃなくて、女子人気もすごかったな」


 くいくいくいっ!


「噂だと、後輩女子たちがSNS上でファンクラブをつくってたらしいし」


 くいくいくいくいッ!


「文化祭とかだと、他の学校から水瀬目当てで来てるやつらもいて──」


 くいくいくいくいくいくいッ────ってなんだよ! 袖が千切れるだろ! 何がそんなに気に食わないんだよ! ただ事実を言ってるだけなのに!


 隣では、水瀬が俺の服の袖をぎゅぅぅぅぅっと握りしめていた。

 顔は見たことないぐらい顔を真っ赤。

 そして恨みがましい目とともに。


「…………そう、これが君の仕返しってわけね……!」


 なんでそうなるんだよ。

 そもそも、俺に仕返しされるようなことをしたのかよ。


 色々突っ込みたいことはあるが、水瀬は何かを抗議するように涙目で睨みつけていた。そんなに嫌だったのかよ。


「やっぱり彩ちゃん人気者だったんですね!」


 はわぁぁぁぁっと感激したように声を漏らす愛莉。

 まるで、アイドルの過去エピソードを聞けたときのような反応。愛莉にとっては一緒の区分なのかもしれないが。


 だが。

 愛莉は猛進撃はそこで止まらなかった。




「──ということは、堀越さんも彩ちゃんのことが好きだったんですか?」




「「……………………え?」」

「あれ? 彩ちゃんはみんなに人気だったんですよね? 堀越さんは違ったんですか?」


 きょとんと首を傾げる愛莉。

 いや、その言い分は何も間違っていないが……ここでそんな爆弾ぶっこむか!?


 俺は助けを求めるように、隣の水瀬を窺う。けれど、水瀬はただ静かにこちらを見つめ返して。


「………………………………………………」


 おい、何か言えよ。


 ただ、完全に退路は塞がれてしまった。

 どうする? なんて答えるのが正解なんだ?


 しかし、俺が思案している間も、愛莉のキラキラとした視線と、水瀬のちらちらと忙しない視線が向けられる。完全に逃げ場がねぇじゃねぇか。


「俺は……」


 二人の視線に気圧されながら、俺は渋々と口を開く。途端に二人の視線の圧も強くなるが、気にしたら負けだ。

 俺は素直に自分の心のうちを明かす。


「……俺も水瀬に憧れてたよ」


 直後、愛莉はひゃ〜〜〜と小さな歓声をあげた。


 おい、こらお前。実は全部わかってるだろ? かまととぶって、わざと誘導しやがったな。小学三年生だ。恋愛事情にませていてもおかしくはない。


 ただ、残念ながら、小学三年生が望むような展開にはならないのだが。


「水瀬は陸上部も、勉強も誰よりも頑張ってたからな。そりゃ尊敬もするさ」


 しかし、これはあながち嘘ってわけでもなかった。

 俺は水瀬に本当に憧れていたからだ。

 何事にも本気で取り組んで、勝ち負けにこだわって、その上で結果を残し、そして多くの友達に囲まれる姿は、眩しいぐらい輝いていた。


 俺はクラスの端っこからその光景を眺めているだけだったが、羨望に値するものだったと思う。


 一方で、俺が口にしたその言葉に、愛莉はむーっと露骨に残念そうな顔をしていた。


 だけれど、それでいい。

 だいたい、こんなところで当時の想いを告白をするわけがないだろ。

 そして、当の本人はというと──


「……………………ふーん……そうなんだ」


 水瀬は唇をもにょもにょとさせながら、しきりに髪の先を弄っていた。


 おい、もうちょっと何か言えよ。

 なんか俺が小っ恥ずかしいだろうが。



 しかし、社会人になってから、他人を称賛することに抵抗がなくなったような気がする。


 高校生や大学生のときには、羞恥心が先行した。

 だけれど、社会人になってからは上司やお客さんを持ち上げることが増えてきた。「さすが○○課長!」「そこに気づくとさすが!」……いや、単純にこれはおべっかだな。

 

 ただ、そこに真実が織り混ざると信憑性があがる。

 何かの心理学の本で読んだこともある気がするが、まさにそれだ。虚飾のなかにも真実が含まれていれば、相手もそのすべてが真実のように見えてくる。


 そうすればこっちのものだ。ただのおべっかも強力な武器となる。



 だけれど、そうしていうちに、自分自身でも口にしている言葉が「本心」か「おべっか」なのかわからなくなる。

 それはそれで諸刃の剣だ。自分の本心がわからなくなるのだから。

 だからというわけではないが──

 



 俺が口にしたことは、本心なのだろうか。


 言葉より薄っぺらいものはない。

 残念ながら、それが28歳まで社会人をやってみた駄目なサラリーマンの教訓だった。









 結局、卒アル鑑賞会はその後30分に渡って続けられた。


 水瀬と愛莉の盛り上がりが予想以上だったのだ。「堀越さん、全然写真に写ってませんよ?」「ほんとだ、君、修学旅行のとき何してたの?」修学旅行のときは、一人で地元のゲーセンに行ってたんだよ。悪いか、友達いなくて。

 というか、君たち明日の朝、早いんじゃないの?


 といいつつ、なんやかんや後半のページに差し掛かったとき。

 愛莉がひときわ楽しそうな歓声をあげた。


「あ! これ、近くの花火大会ですか?」

「ああ、そうだな。そういえば、高校の行事で行ったんだっけ」

「最近はうちの高校はこのイベントやらなくなったけどね」


 そうなのか。

 水瀬、妙なこと知ってるな。


 俺が愛莉が指差したページに目を向け直すと、花火大会で高校生たちがはしゃいでいる写真が幾つも載っていた。



 俺が通っていた高校は、少し風変わりのイベントがあった。

 それが、この花火大会だ。

 高校三年生限定のイベントで、高校近くの花火大会に招待して楽しむのだ。

 その代わりに花火大会翌日のゴミ拾いに参加する。

 地域交流ってやつでもある。


 俺が今住んでいるところは、高校の近く。

 つまりは、うちの近くで行われてる花火大会でもある。


 と、そこで。

 愛莉は首を傾げて問いかける。


「これって、お母さんと彩ちゃんが前に行ってた花火大会……?」

「そうね。お姉ちゃんと一緒によく行ってたわ」

「お母さんが下駄の鼻緒きっちゃって裸足で歩いた?」

「そうそう。ほんと昔からお姉ちゃんってば無茶ばっかりだったんだから」


 愛莉と水瀬は、「愛莉の母親」の思い出について楽しそうに話し始める。

 外野からの感想だが、その話題に触れる「気負い」などはなさそうだった。

 てっきりお互いに気を遣ったりするのかと思いきや、至って自然に喋っている。


 ……もう、長いこと一緒にいるんだよな。


 水瀬たちが隣に引っ越してきたのはつい最近のことだ。

 しかし、俺は水瀬たちがそれ以前にどう過ごしていたのか知らない。

 水瀬の話によると、愛莉の母親が亡くなったのは昨年のこと。つまり、水瀬と愛莉が一緒に暮らし始めておおよそ一年は経っているのだろう。


 一年。


 その期間が打ち解けるのに、長いか短いか俺にはわからない。

 それでも、決して簡単な道のりではなかったはずだ。


「ねぇ、彩ちゃん」


 愛莉は卒アルを閉じると、水瀬の顔をそっと見上げた。


「この花火大会一緒に行こ? お母さんと彩ちゃんが遊んだところに行ってみたい。駄目……?」

「もちろんいいけど……これ、いつあるんだろ」

「今度の土曜日に開催されるみたいだな」


 何となくスマホで調べると、すぐに検索結果にヒットした。

 俺は水瀬にスマホの画面を見せる。

 だが、途端に、水瀬は申し訳なさそうに眉をしかめた。


「ごめん、愛莉。今後の土曜日は会議があって……」

「会議? 土曜日なのに大変だな」

「リモートでも参加可能だから、直接行く必要はないんだけど……でも、ちょうど花火大会の開始時間より少し遅いぐらいで」

「……それなら、花火大会に行くのは難しいかもな」


 リモート会議なら家からでも参加できる。

 とはいえ、ここから会場まで微妙に遠い。

 リモート会議が終わってから慌てて行っても、花火大会が終わっている可能性だってある。会議って短くはならないけど、無限に長くなることはあるしなぁ……。


 だが──愛莉は残念だろう。


 俺のなかで、愛莉は活発でずけずけと物を言うタイプだ。

 今回も何か言うだろうか。あるいは、暴れる……ほどまではいかなくても、抗議ぐらいはするかもしれない。


 そう身構えていると──

 愛莉は逡巡したような様子を見せると、にっこりと天使のような笑顔をつくる。


「う、ううん。彩ちゃん忙しいもんね」





「──ごめんね、愛莉わがまま言って。彩ちゃんお仕事頑張って!」




 胸元でガッツポーズをつくって応援する愛莉。

 姿

 だからこそ、ぎゅっと心臓が鷲掴みされるような感覚に襲われた。


「…………」


 隣で、水瀬は息を呑んでいた。

 そして次の瞬間の光景を、俺は見逃さなかった。

 唇を真一文字に結んで。

 そして、水瀬はどこか寂しそうに笑ってみせた。


「ごめんね、愛莉。でも、来年は絶対に予定空けておくから」

「うん、ありがと彩ちゃん!」


 愛莉がぎゅーっと水瀬に抱きつく。水瀬は愛おしそうに愛莉の頭を撫でる。

 しかし、水瀬は愛莉から見えない位置になった瞬間、またどこか寂寥を感じさせる顔をしていて。

 瞬間、何故か水瀬の言葉が蘇る。




 ──だって、愛莉を不安にしたら駄目だから。

 ──あの子、しっかりしてるから。




 そして、ずっとずっと昔にあった言葉。

 



 ──ごめんね、京也。来年は行こうね。




「ッ」


 直後、俺はがばっと立ち上がった。

 水瀬と愛莉が驚いて、目を丸くしたままこちらを向く。


 しかし、俺の心はもう決まっていた。


 何故、その決断を下してしまったかは自分でもわからない。

 でも、そうしなければと思った。俺にできることがあるならばすべきだと。


 俺は言う。

 水瀬と愛莉の顔を交互に見ながら。




「なあ、愛莉。もしよかったらだけど……俺と一緒に花火大会に行くか?」



 それが、大人の役目だと思うから。



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次回は、9/25(日) 18:00 更新予定です。

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