第11話


「堀越さん、ここのコンセント使ってもいいですか?」

「ん?」


 俺がリビングで酒を飲んでいると、愛莉がいつの間にかそばに立っていた。

 愛莉は入浴を済ませてきたのか、可愛いらしい淡いピンクのルームウェアを着ていた。

 上気する頬。髪はしっとりと濡れており、蛍光灯の光にさらされて艶やかな色に帯びている。


 そして、手にはドライヤー。

 なるほど、髪を乾かしたいらしい。


「ああ、どこでも使っていいけど……手、届くか?」

「頑張ります!」


 愛莉は元気よく返事すると、電子レンジなどが置いてあるスチールラックに近づいていった。


 だいたいの家はそうだと思うが、コンセントは低所にあることが多い。

 だが、うちの家では電化製品のために延長コードを使って高所に配置しているのだ。

 だからこそ、愛莉の手が届くか不安になったのだが。


「んっ……ん……っ!」


 案の定、愛莉は背伸びしながらコンセントに手を伸ばしていた。

 あと拳ひとつ分程度ではあるのだが、それが届かないみたいだ。


「ほら」

「え……あ、ありがとうございます、堀越さん」

「難しかったら言ってくれてもいいんだぞ。……別にこれに限らずな」


 何故かはわからないが、そんな言葉がぽろりと出た。

 だが、それは本心でもあった。

 ここは俺の家だ。そして愛莉は小学三年生。まだまだ子供だ。できないことがあれば、大人を頼る。それは何もおかしいことではない。


「はい、ありがとうございます! なら、堀越さんが忙しくなかったらお願いさせてください!」


 一方で、愛莉は一瞬だけ固まったあと──にっこり笑顔とともに言うと、ドライヤーで自分の髪を乾かし始めた。


 その言葉には引っかかりを覚えるが……まあ、俺は愛莉の親でもなければ、ただのお隣さんってだけの他人だ。

 変に突っ込むのは控えた方がいいのだろう。


 俺はビールを煽りながら、愛莉がドライヤーをあてる光景を眺める。

 愛莉の髪は長かった。

 そのせいか、一生懸命手を伸ばしてドライヤーを動かしていたが、乾かすのはなかなか難しそうで手間取っていた。


 もしかしたら、普段は、水瀬にやってもらっているのかもしれない。

 美容院でも女性の髪を二人がかりで乾かす光景だって見る。男の俺が思う以上に、女の子の髪を乾かすという行為は難しいのかもしれなかった。





 と。

 愛莉はドライヤーで髪を乾かしながら、ある場所に視線を向けたまま固まった。

 視線の先には、本棚。

 俺が好きな漫画などが置いてある趣味の棚だった。


「本が気になるのか?」

「は、はいっ。本、たくさん読むので、堀越さんがどんな本を読むか気になって……」

「適当に見てもいいぞ。漫画ばっかりで、愛莉が好きな本があるかわからないけど」

「ほ、本当ですか!?」


 笑顔をパッと輝かせる愛莉。

 ついで、愛莉はドライヤーの電源コードを引っこ抜くと本棚に駆け寄っていく。


 俺も本棚に並んでいる本を眺める……が、一応、大丈夫なはずだ。愛莉が見られても問題がない本しか飾っていないはず。あれとかあれとかあれとかは、万が一、誰か来たときのために、しっかりと見えない位置に隠している。大学時代に買ったときの同人誌、とかな。



 愛莉は本棚を物色していく。

 俺は見られてはいけない本はないと確信しつつも、何故かドキドキしながら、ビールを煽りながらそれを見ていると──。


「堀越さん、これなんですか?」

「えっと、それは……ああ、卒業アルバムだな」

「卒業アルバム、ですか?」

「高校を卒業したときに撮った写真とかが載ってる本……って言えばいいのかな。高校のときの水瀬も載ってるんじゃないか?」

「ほ、本当ですか!?」


 愛莉が俄然興味を示して本棚から卒業アルバムを引っ張り出した。

 俺も久々のアルバムに興味をそそられて、愛莉の肩からそれを覗き込む。

 三年三組のページ。

 そこに、俺と水瀬の写真はあった。


「あ、これ、堀越さんですか!?」

「ああ、そうだよ」

「堀越さん、今の方が格好いいですね!」

「ああ、ありがとう愛莉……え、それ、もしかして昔が格好悪かったって言ってる?」

「あ、これもしかして彩ちゃんですか!? 可愛いー!」

「俺の話、聞いてねぇだろ」


 だが、愛莉は水瀬の写真を見つけて楽しそうだった。

 高校時代の水瀬は、記憶通り美少女だった。

 今よりも棘があって、儚さのような雰囲気を纏っている気がする。俺が当時の水瀬を知っているからかもしれないが。



 ──と、そんな風に、俺と愛莉は卒業アルバムを見ていると。



「あ、愛莉……いる?」


 入浴が終わったのだろうか、水瀬がリビングに顔を出した。

 襟元がゆるやかに大きく広げられたオーバーサイズのTシャツ。肩にはキャミソールらしき紐が見えている。ジーンズは着てきたものと同じようだ。


 だが、水瀬は何故か胸元あたりに腕をずっと置いていた。

 まるで何かを隠しているように。

 それに、頬がほんのりと染まっている。そんなに熱いお湯でシャワーを使っていたのだろうか。うちの家で設定しているお湯の温度は、それほど熱くはなかった気がするのだが。


 だけれど。

 俺が一番気になった点は、別にあった。



「…………なんで、水瀬、そんなに遠くにいるんだ?」



 こっちに来ればいいのに、水瀬は頑なにリビングの扉の前から動こうとしなかった。

 何かを警戒……しているのか?

 俺が眉根を寄せていると、水瀬は視線をそわそわとさせながら言う。


「い、今、ちょっとここが心地が良いの」

「はぁ」

「そ、それよりも……あ、愛莉、バッグどこにある? 私、あの中に忘れ物しちゃって」

「忘れ物? 彩ちゃんなに忘れたの?」

「え、えっと……そ、それは……」


 水瀬が何か後ろめたいことがあるように視線を落とし、髪の先を指に巻きつけてくるくると弄る。頬はさっきよりも赤く色塗られている。

 いったい、どうしたんだろうか。

 さっきから不自然な挙動ばかりだ。


「もしすぐに必要なら、うちにある物なら貸すぞ?」

「う、ううん、気持ちはありがたいけど……多分、君、持っていないから大丈夫。そ、その……サイズもあるし」

「そっか。でも、言うだけ言ってみたらどうだ? もしかして持ってる可能性も──」

「もし仮に君がぴったりのやつを持ってたら、私、普通に引くから」


 いったい何を忘れたんだ、お前は。


「……で、あ、愛莉。バッグは? さっきから見当たらないけど?」

「持って帰ったよ? 代わりに愛莉のドライヤーを持ってきたの! 彩ちゃんのドライヤーもここにあるよ?」


 気がつかなかったが、愛莉が指差した先にはドライヤーが壁にたてかけてあった。

 水瀬がトートバッグにいれていたドライヤーだ。


 いったい、いつの間に。

 小学三年生なので不思議ではないが、愛莉は自分のドライヤーを持ってくるのを忘れたことに気づいて一旦家に帰ったようだった。戻ってきたのは、水瀬を待つためか。

 しかし、


「………………………………う、嘘でしょ」


 水瀬はこの世の終わりみたいに感情が抜けきった表情をしていた。

 まるで、何かに絶望してるみたいな。


 なんて、な。

 人生で嫌なことは幾つもあるが、絶望まですることは早々ない。ましてや、入浴後に絶望するようなことが起こるなんてあるわけがない。


「彩ちゃんどうしたの? もしかして駄目だった……?」

「う、ううん、愛莉は悪くないのっ。私がちゃんとバッグから取り出しておけばよかったんだけど、忘れてただけだからっ」

「なあ、そんなに必要なら、やっぱりうちの家にあるもので──」

「もし君が持ってたら、今後愛莉を絶対に近づけないから」


 本当にいったい何を忘れたんだ、お前は。


「じゃ、じゃあ、愛莉すぐに帰りましょっ。明日も早いしっ。ねっ?」


 水瀬はどこか焦った様子で、愛莉に提案する。

 どうやら、俺の……視線を気にしているようだった。俺が水瀬に視線を移すたびに、もじもじと身を捩っている。

 だが、愛莉は卒業アルバムを抱えたまま、顔を窺う。


「彩ちゃん、これ見てからじゃ駄目?」

「それって……もしかして高校の卒業アルバム?」

「うん! 彩ちゃんの高校生のときが写ってるよ? 可愛いよ?」


 じろり、と。水瀬が半目で俺を睨みつけてきた。

 まるで、何を見せてるの? とでも言いたげだ。


「あ、愛莉、それはまた今度でもいいんじゃない? それに……卒アルはちょっと恥ずかしいし。あっ、そうだ。堀越くんも迷惑でしょ?」

「いや、俺は全然迷惑じゃないけど……」

「君は黙ってて」


 それはさすがに理不尽すぎないか?

 だが、水瀬は「余計なこと言いやがって」みたいな目をしていた。

 もしかしたら、水瀬が何を言いたいかわかってきたかもしれない。もっとも、肝心なところは未だ不明なのだが。


「水瀬、先に忘れ物を取りに行ったらどうだ? 愛莉なら俺がちゃんと見てるからさ」

「その間に、愛莉に変なこと吹き込まない?」

「変なことって」


 そういえば、高校時代のことを話すなって釘を刺されてたっけ。

 とはいえ、水瀬のなかでどれが「変なこと」に含まれるかわからない。

 俺は返答内容に迷って言葉に詰まる。

 すると、水瀬はじとーっと冷ややかな視線を向けてきて。


「……信用、できないんだけど。なんで迷ってるの?」

「いや、別に言うかどうかで迷ってるとかじゃなくて──」

「愛莉。それだけ、ね。それだけ見たら帰るから」


 俺の言葉を無視して、水瀬はそう結論づける。

 どうやら、水瀬のなかで卒アルは見て帰るは決めたらしい。

 覚悟、と表現したのは、水瀬の表情が何故か謎の決意で満ち満ちていたからだ。


 「ま、多分大丈夫でしょ……」と何かを確認するように呟いていたのも、覚悟を決めた者の雰囲気に近かった。

 そうして、水瀬はようやくリビングの扉の前から離れてこっちにやってくるのだが──。




「……なんで、水瀬、そんなに擦り足で歩いてるんだ?」

「私、今、医者に上下に揺れちゃ駄目って言われてるの」

「そんなピンポイントなドクターストップある?」



 やっぱり、水瀬は何かを隠しているようだった。

 頑として教えてくれなかったが。




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次回は、9/23(金) 更新予定です。

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