第7話

 高校時代、俺と水瀬の間に接点はほとんどなかった。

 ただのクラスメイト。授業の関係で、時々、一緒の班に割り振られる程度の関係。


 それが、俺たちの関係を表すのに適した言葉だ。


 まあ、それも当然だろう。

 片や、神聖不可侵の清廉なアイドル。

 片や、クラスでも目立たないオタクだ。

 それでも、接点という接点がまったくないわけではなかった。

 同じクラスに所属していれば、何かの手違いとでもいうべき、イベントがほんの稀に起こった。



「ジュース奢るから。だから、絶対に誰も言わないで」



 家庭科での連続爆破事件後。

 水瀬はそれだけ言うと、顎をくいっと動かして教室の外に俺を連れ出した。


 うちの高校は、近所では珍しい男女ともブレザーの制服だった。

 特に女子の制服は「可愛い」と噂で、深い紺色のブレザーを羽織った姿は憧れらしい。なにせ、制服目当てで受験を決めた女子たちも多いという話を聞くぐらいだ。


 だから、学校でもブレザーを羽織った女子たちはよく見るし、いかに可愛く着崩せるかが女子たちの興味の一つだった、らしい。


 ……なのだが、水瀬はその中でも圧倒的に目立っていた。


 可愛く着崩して制服を着ていたから、ではない。

 ただ着ているだけなのに、可愛く見えるからだ。


 ボタンを一つも止めることなく、ブレザーを羽織っているだけ。

 歩くときには、ブレザーのポケットに無造作に手を突っ込んだまま。

 ただそれだけなのに、妙にサマになって見えるのだから不思議だ。


 しかし、その一匹狼感が後輩女子からは異様に人気だった。


 クール美人、とでも言うべきなのだろうか。噂では、お姉さまと慕う後輩女子もいたとかいなかったとか。

 だというのに、話してみると性格は優しいのだから狡いと思う。

 そりゃ、惚れるやつもわんさか出てくるわけだ。


 ただ──今だけは、水瀬の反応はそのいずれとも違った。


 むすっとした表情。ぱたぱたと鳴らされる上履き。どの仕草を取っても、不機嫌なのが丸わかりだ。

 それでもおとなしく着いていったのは、水瀬の有無を言わせない圧力と、これが家庭科での連続爆破事件の口封じだとわかっていたからだ。


「なんでも好きなもの買っていいわよ……といっても一番高くても180円だけど」


 自動販売機の前。

 水瀬はそこまで辿り着くと、つん、としたような口調とともに視線を放ってきた。

 だけれど、


「………………な、なに?」


 水瀬の頬はほんのりと染まっていた。

 多分、先程の失敗を引きずっていたのだろう。

 でなければ、こんな形で口封じするわけもないが。


「別に。……なんでもない」

「嘘、何かある顔してたでしょ」


 むっ、とした表情とともに向けられる訝しそうな色の目は、がりがりとこっちの精神を削ってくる。

 美人の冷たい視線なんて真っ向から見るもんじゃない。

 俺は思わず目を逸らしながら。


「そもそも……奢られなくても、あれを喋ることはないから」

「ふーん」

「ふーん、って」

「いいの、ただの私の気分だから」

「気分?」

「こうして奢っておけば言われないっていう安心感が得られるでしょ?」

「そんなに言われるの嫌なのかよ……」

「当たり前でしょ」


 愚問、とでも言いたげに、ジト目で睨みつけてくる水瀬。

 神聖不可侵、完璧主義のアイドルの弱さと可愛さを垣間見た気がして、どきっと胸を高まる。

 しかし、数秒後には、いつものクールな水瀬に戻っていた。


「で、君は何が好きなの?」


 何があっても奢るつもりらしい。

 すっ、と自動販売機に指を伸ばしたまま、こちらに視線をくれる水瀬。その姿勢からは頑固さしか感じない。

 俺は諦めて嘆息すると、適当に返答する。


「……じゃあ、水瀬のおすすめで」

「おすすめって」

「別に何でもいいから。だから、適当に水瀬が選んでくれ」

「……それでいいわけ? ほんとに私の好みで選ぶけど」

「ああ、いいよ。別に好き嫌いもないし」

「それなら……はい、これで」


 がごんっ。


 水瀬が自動販売機から缶ジュースを拾って放り投げる。

 俺はお手玉しつつも慌ててキャッチするが、水瀬が選んだのは──


「……………………なんで、おしるこ?」


 そのときは、初秋で残暑がやや厳しい季節だった。

 だというのに、おしるこ。

 もしかして嫌がらせか?

 水瀬は俺のそんな視線に気づくと、くるくると髪の毛の先を指に巻き付けながら、ぷいっと顔を背けて。


「…………べ、別にいいでしょ。君がおすすめって言ったんだし」


 かぁぁぁっと、朱色に染まる彼女の耳朶。

 その光景は、さっきまでの口封じとは比べものにはらないぐらい意外な一面で。

 今思い返せば、多分それがきっかけだった。

 見た目の可愛さだけではなく、彼女の内面に惹かれ始めたのは。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「えっ!? 高校時代の同級生と再会ですか!?」

「落ち着け、春野。そばのつゆが飛んでるから」


 駅中にある立ち食い蕎麦屋。

 俺は会社の後輩の女子と一緒に蕎麦を食べていた。

 色気もへったくれもない、至ってどこにでもある蕎麦屋。

 だが、客先への移動中などに軽く食事するなら手早くて食べられてちょうどいい。


 もっとも、後輩女子と一緒に入るには先輩としてやや躊躇いもするような場所だが──春野なら別だ。

 春野とは彼女が新入社員としてうちの会社に入ってきたところからの付き合いで、入社時には俺は彼女の教育係だった。もう四年の付き合いだ。


 実際、俺が隣を見やると、春野は特に気にした様子もなく豪快に蕎麦をずるずると啜っていた。


 春野は一言でいえば、パワフルな小動物だ。

 ちんまりとした背丈。活発そうなポニーテール。それでいて、どん!と効果音が聞こえてきそうなほどのシャツを押し上げる柔らかそうな膨らみ。スーツのジャケットも着ており露出も少ないのに、目に毒だ。


 だが、春野の一番の特徴は色んなひとに好かれることだ。

 どんな現場でも元気いっぱいに挨拶する姿は、おっさんどもの心を一瞬で鷲掴みだ。


 特に俺が働くIT業界は最近は女性が増えてきたものの、現場によってはおっさんがひしめき合っていることだって多くない。そんな職場では、元気いっぱいな春野は清涼剤ですらある。


 そんな春野は、俺が彼女の新人時代の教育係だったこともあってか今でも慕っていてくれる。だからか、彼女と話す機会は意外と多く、俺もついつい近況などを話してしまうのだが──


 春野は何が気に入ったのか、水瀬との話に凄まじい食いつきを見せた。

 春野はごくんと蕎麦を飲み込むと、がばっと顔を近づけて聞いてくる。


「なんで、堀越さんそんな重大なこと今言うんですか! 言うんなら飲み会とかにしてくださいよ! そんな話題出されたら、じっくり聞きたくなっちゃうじゃないですか!」

「だから、今言ったんだよ」


 春野は他人の恋愛話を根掘り葉掘り聞くのが、好きなタイプだ。

 かくいう俺も飲み会の度に何もかも聞かれている。とはいえ、まともな恋愛経験もないので話すことは何もないのだが。


 だが、この春野から、いつまでも最近の水瀬との話を隠しとくのは難しい。

 それぐらい一緒にいることが多く、飲み会も定期開催しているのだ。


 だから、さらっと流せる今のタイミングで言ったのだが……予想以上の食いつきだな。俺の恋愛話なんて面白くも何ともないだろうに。

 とはいえ、俺も俺で彼女に軽くは聞いて欲しかったのかもしれない。

 純粋な女性目線の意見は聞いてみたかったしな。


「じゃあ、飲み会しましょ飲み会! 今日、いつものとこでどうですか!」

「飲み会なら昨日やったばかりだろ」

「じゃあ、来週!」

「来週は仕事が詰まってるだろ」

「え〜、そんなこと言わずに飲み会やりましょうよ〜」


 子供のように駄々こねて抗議する春野。

 その度に、ぶるぶると震えるスーツの膨らみ。目に毒だからほんとやめてほしい。


「でも、高校の同級生が隣に引っ越してきたってドラマみたいですよね」

「そうか?」

「そうですって! 月9ですよ、月9! 絶対恋愛に発展するパターンですって! ……はっ、もしかして!」

「そんな目を向けられても何もないから」


 何を期待してるんだ、何を。

 だが、春野は相も変わらずキラキラと輝く瞳を向けてきていた。

 ほんとに恋愛の話が好きなやつだ。


「……じゃあ、逆に聞くけど、春野は自分が高校の同級生と再会した場合、何か起こると思うか?」

「同級生ですか? う〜ん、ないですね」

「なら、なんで俺にそんなに期待できるんだよ」


 不思議で仕方ないわ。


「だって、高校のとき同級生を好きになることなかったんですもん。でも、堀越さんはそのひとのこと好きだったんですよね?」

「勝手に捏造するな。別にそういうのじゃなかったから。それに……過去にそうだったとしても、今は関係ないだろ」


 確かに、高校時代は片想いしていたかもしれない。

 好き、だったかもしれない。

 しかし、だからといって十年経った今、再会したとしても当時の想いが再燃するかと言われれば話は別だ。


「あれ、そうですか?」


 だが、春野はやや納得いかない表情とともに、思案するように顎に綺麗な人差し指をあてて。


「私は、再会することで当時のことを思い出したりとかあると思いますけど。あ、前と同じで格好いいなぁーとか。優しいなぁーとか、髪が相変わらずくしゃくしゃだなぁとか」

「最後のはなんかやけに具体的だな」


 春野、さっき高校時代に同級生を好きになったことはないって言ってなかった?


「と、当然、たとえばの話ですよ? ただそういうことがあってもおかしくないですよって話です!」

「なるほど……?」

「でも、ちょっと怖くもありますよね」

「怖い?」


 俺が復唱すると、春野は真剣そうな顔つきになって。


「はい。だって、何年も経ってるんですよ? もしかして、好きな人が自分のことを全然覚えてくれてなかったら……自分だけ覚えていたらなんか嫌というか、そのひとの中に私がいなかったことを突きつけられるのが怖いというか……」

「私?」

「た、たとえばの話です!」

「な、なるほど……?」


 春野の剣幕に気圧されつつも頷く俺。

 だが、春野の懸念はなんとなくわかる気がした。

 自分だけ覚えていたら。自分だけ大事にしている思い出だったら、それはどこか虚しい気がして。


 ……女々しすぎるだろ。


 不意に湧き上がった感情に、自虐めいて内心で呟く。

 だが、そんな俺でも取り敢えず言えることはただ一つ。

 自分のことを覚えてくれなかったらだとか、自分だけ覚えていたらだとか──そんなことを言えることほど、俺と水瀬は接点はないということだ。


 今も、昔も。

 それだけは確実だった。



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次回は、9/11(日) 19時更新予定です。

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