第6話
なんでも、愛莉は水瀬の姉貴の子供らしい。
年齢は8歳。小学3年生。水瀬の姉貴が結婚した旦那さんとの間に生まれた女の子。蝶よ花よと愛情を注がれ、幸せそうに暮らしていたそうだ。
当然、水瀬自身も可愛がっていた。
仕事から帰るとその足で姉貴の自宅へと向かい、愛莉と一緒に遊んでいたことも多かったらしい。旦那さんも大らかなひとで、そんな水瀬を快く迎い入れていた。温かな家庭を築いたようだった。
だが、その全てが壊れたのは昨年のことだった。
水瀬の姉貴とその旦那さんは海外出張が頻繁にある職種についていたらしい。
そんな二人にたまたま海外出張が重なった。そして、二人は愛莉を水瀬に預けて海外出張に行くことを選択したらしい。
その会社の慣習などにもよるが、海外出張に行くことが昇格などに関連する場合もある。場合によっては、出張しないことで村八分にされることもある。だから、海外出張に行くという選択もわからなくもない。
しかし、想定外だったのは二人とも戻ってこなかったこと。
出張先で二人は行方不明になったようだった。
水瀬は愛莉とともに待った。
一日、一週間、一ヶ月──だけど、彼らはどれだけ待っても帰ってこなかった。
俺も他人から聞いた話だが、通常七年間生死不明であれば死亡した扱いになるらしい。
だが、水瀬の親戚たちは彼らを死亡したと見做した。
そうして、誰が愛莉を引き取るかで、醜い争いが内輪ではじまった。
「……最初は、少しおかしいなと思うぐらいだった。でも、親戚のみんなと話すうちにだんだんとわかってきたの。ああ、このひとたちはお姉ちゃんのことが嫌いなんだなって」
水瀬は夜の街並みを見つめながら、虚な目で静かに言葉にした。
「うちの親戚のなかじゃ、お姉ちゃんはおかしいひと扱いなの。多分、働きながら子育てやるってのが気に食わなかったんでしょうね。そんな甘いもんじゃない、今すぐやめろって親戚の女性陣に言われてたし」
「…………」
「だから、二人して海外出張に行ったのが信じられないって。誰が愛莉を引き取るかって話なのに、誰もそんなこと話してなかったわ。みんな、お姉ちゃんを責めてた」
「だから、水瀬は……」
「そう、愛莉を引き取ったの。このひとたちに、お姉ちゃんの愛莉を渡したくなかったから。……まあ、最初からそのつもりだったし、大好きな愛莉と離れたくないって方が大きかったけど」
それで、水瀬の話は終わりのようだった。
俺は水瀬の親戚たちと実際に会ったわけでもなければ、話したわけでもない。見聞きした話だけでその親戚のことを、どうこう口出しする権利は俺にはない。
だから、俺が気にかけたのは別のことだった。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫。余裕というわけでもないけど、二人なら何とか暮らして生けるし、愛莉はしっかりしてるし──」
「それはあるけど、水瀬は大丈夫なのか?」
姉貴とその旦那さんを失くして、精神状態が確かに保てている保証はない。
それに話を聞いていると、頼れる親戚がいないようにも思える。
そして、もっと言うなら、水瀬には高校生のときのアレもある。
だから、水瀬のことが心配になった。
「…………っ」
俺が訊ねたあとの、彼女の表情の変化は目まぐるしかった。
最初は、驚いたように。
それから、一瞬だけ唇をきゅっと結んで。
最後には、彼女はパッと輝くような笑顔を浮かべていた。
「うん、大丈夫。今は愛莉と一緒だし、毎日が楽しいから」
その笑顔は、嘘臭さがまったくない完璧な笑顔で。
だからこそ、嘘としか思えない笑顔だった。
そして、それは同時に、俺に対する拒絶の意思表示でもあった。
「……そっか、ならよかった」
ならば、俺も踏み込まない。
それが彼女の希望なら、その意思を無視するのはお節介を通り越してただの迷惑だ。
「あっ、もうこんな時間。夜遅くにごめんね」
俺が聞いたにもかかわらず、水瀬は律儀にそう口にした。
これも、もう終わりという言外の意思表示。
その意図を汲み取り、俺は頷く。
「ああ。おやすみ」
「うん。おやすみ、堀越くん」
最後にそう言って、水瀬は自宅へと戻っていった。
「……はぁ、わかんねぇ」
彼女を見送ってから、俺は小さくため息ついた。
相変わらず何を考えているか読み取らせてくれないやつだ。
フレンドリーかと思えば、途端に一歩引く。高校生のときもそうだった。
だからこそ、簡単には手を出せない神聖不可侵のアイドルだったんだろうが。
あるいは、女心というやつがそうなのかもしれない。
だとしたら、一生わかる気はしない。無理無理。そんなものがわかっていたら、大学の時に振られてないし──
「あ、堀越くん。最後に一つだけ」
いつの間にか、水瀬がベランダに顔だけ出して戻ってきていた。
水瀬は真っ直ぐとこちらを見つめ──それから、少しだけ視線を外してポツリと。
「その……私のこと、心配してくれてありがと。それだけ」
水瀬は今度こそベランダから消えて自宅に戻る。
今までのどんな言葉よりも、素っ気ない声音。
しかし、何故か今までのどんな言葉よりも、彼女の本心が混ざっているような気がして。
「……わかんねぇ」
やっぱり水瀬のことはわからない。今も昔も。
俺は缶を煽って、温くなったビールを飲み干した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「彩ちゃん、どうしたの? 外、暑かった?」
私がベランダから自宅に戻ると、愛莉が出迎えてくれた。
さっき寝てしまったと思ったのだが……どうやら起きてしまったみたいだ。
愛莉は可愛い可愛い、私の天使だ。
私は愛莉に視線を合わせるように跪きつつ、ぎゅーっと抱きしめる。
「んー? なんでそう思うの?」
「だって、彩ちゃんのほっぺた赤いから」
「…………」
私は少し考えた後に、笑顔で答える。
「うん、ちょっと暑かったかな。愛莉も外に行くときは、ちゃんと日焼け止め塗ろうね」
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次回は、9/10(土)更新予定です。
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