第4話

 人生なんて予想できないことばかりだが、まさか高校時代に好きだった女の料理姿を見ることになるとは。


 俺は木製のローテーブルの前に、あぐらを掻いて座っていた。

 ここはダイニング。この家の間取りは2DKなのかリビングはないようだ。

 だからか、彼女のエプロン姿が俺の位置からはっきり見えた。

 飾り気ないの淡い色のエプロンで、台所も使いやすさに特化した生活感が溢れたものだ。


 しかし、朝食に誘われるということは多少は脈があるということだろうか、と考えてすぐにやめた。

 そんな風に考えて痛い目を見るのは、学生時代だけで十分だ。


 わざわざ声をかけれてくれたから、メールをくれたから、帰りに一緒に二人きりで帰ったから──学生時代はその程度で好意を持ってると勘違いしていた。


 だが、社会人になってからは、異性と仕事帰りに二人きりで食事に出かけることだってさして珍しいことではなくなった。


 単純に仕事のことが話せるから。あるいは仕事相手だから。そして、親密になっておけば仕事がしやすくなるから。常にそんな打算が裏にはあるだけだ。

 社会人になってから厳しく接されることと同時に、優しくされることも増えたが、それも結局のところ貸しを押し付けられているだけ。

 無視しつづければ、いつか利子をつけて返せと言われるのだろう。



 とはいえ、本当に好意をもたれてる可能性が捨てきれないのも男の性だ。

 どれだけ年齢を重ねたところで、精神は高校生のときと何も変わっちゃいない。


 変わったのは痛い目を見た経験が増えたことと、趣味に課金するようになった金額が遥かに大きくなったこと。……頼むから少しは大人になってくれ、俺。



「はい。簡単につくったやつだから、たいしたことないけど」


 水瀬がローテーブルに、おにぎりが盛られた皿と味噌汁がはいった器を置いた。

 味噌汁からは湯気がたち、おにぎりのお米が心なしか艶っぽく光っているようにも思える。

 昨日は接待ばかりで、腹には酒以外ほとんど何も入れていない。

 正直、米は今一番食べたいものだ。


「堀越くん、他人が握ったおにぎりとか大丈夫?」

「ああ。特に気にしたことはない。家では床に落ちても、見なかったことにして食べてるぐらいだから」

「それはさすがに捨てなさいよ」


 水瀬は呆れていた。


「でも、今更だけど本当にいいのか?」

「うん。まあ、元々準備してたものだし。それに、今、君の家の冷蔵庫なんにも入ってないんでしょ?」

「……なんでそんなこと知ってるんだ?」

「君が酔っ払ってるときに嘆いてたから」


 おい。昨日の俺、何もかも喋ってんじゃねぇか。うっかり、預金口座の暗証番号とか喋ってないよな。


「だから、気にしないで。知ってて放っておくのも、ちょっと良心痛むもの」


 どうやら朝食をご馳走してくれるのは、彼女に憐れまれたからのようだった。

 だが、今更だ。せっかく準備してもらったのだし、ここはご相伴に預ろう。

 水瀬が「どうぞ」とお皿を押し出してくる。

 俺はおにぎりを手に取って口に入れるが──


「……美味い」


 おにぎりは絶妙な塩加減で、パリッとした海苔がマッチしていた。

 味噌汁を啜ると、身体の芯からぽかぽかと温まってくる。生姜が入っているみたいだ。味噌の塩っけもまたおにぎりと合っている。


 気軽さという観点で俺は朝食にパンを選びがちだが、やっぱり米はいい。

 炊飯器で炊く面倒さがなければ、毎朝食べたい。

 そして俺が美味い美味いと連呼しながら食べていると、


「……君、それわざとじゃないよね?」


 水瀬は何故か半目を向けてきていた。


「わざとって……何が?」

「別に。わざとじゃないなら、いいけど」


 水瀬はふいっと顔を背ける。

 しかし、彼女の耳の端っこは熱を持ったように朱色に染まっていた。


「……堀越くん、変わったよね」


 水瀬は顔を背けて綺麗な横顔を見せたまま、ちらりと視線だけ向けてきた。


「高校のときは、私が話しかけてもあんまり相手してくれなかったでしょ」

「そうだったか?」

「うん、ちょっと素っ気なくて寡黙って感じだった」


 それは、多分、単純に何を話していいかわからなかっただけだ。

 だんだん思い出してきた。俺が素気なかったのは、クラスの、それもトップクラスに可愛い女子に話しかけられたからだ。


 確か、最初は「何の本が好きなの?」とかだったと思う。


 当時、俺はクラスで本を読んでばかりいた。

 だから、水瀬は気を利かしてそんな話題を振ってくれたのだろう。

 何と答えたのかは覚えていないが、家で「なんでもっと上手く話せなかったんだ」と思い出しては、ベッドの上でジタバタしていたような気がする。


「でも、印象深かったのは最初に君に本の好みを聞いたときかな」

「本の好み?」

「あのとき、『女の子が表紙にたくさん描かれてる、タイトルがやたら長い本』を紹介してくれたでしょ。もっとカッチリした本を読んでるイメージだったから、それが意外で」

「…………」


 当時の俺、クラスメイトになに答えてんだ。

 よりにもよってラノベかよ。なんでわざわざそれをチョイスしたんだ、十年前の俺。


「そういえば、あのときって『表紙に騙されないで欲しい。読めばわかる』って熱く推してくれたよね」

「そ、そうだったか」

「『人生のすべてが詰まってる』って言ってなかったっけ?」

「そ、そう……だった、か……」

「登場人物の女の子ことを『嫁』とか何とか言ってなかったっけ?」

「…………」


 頼む。頼むから、誰か当時の俺を一発ぶん殴ってくれ。そして、その口を永遠に黙らせてくれ。十年前の俺、マジで何言ってんだよ。

 多分、水瀬に話しかけられて舞い上がってたんだろうが、いくら何でも酷すぎる。


「それを言うなら、水瀬も変わっただろ」


 俺はこの話題を変えるために口火を切る。

 幸いにも、水瀬は乗ってくれた。


「そう? 変わった?」

「変わったよ……大人びただろ」


 具体的に変化したところを挙げようとしたが、何も思い当たらなかったことに驚いた。

 大人びた、という印象は決して嘘ではない。

 しかし、見た目や性格という意味ではそれほど変わっていない。

 というか、むしろどこが変わったんだ?


 そこで、気づく。


 十年の間に変化した部分に、ではない。気づかなかった理由に、だ。

 結局のところ、俺は水瀬彩奈という女のことを今も昔も知らないのだ。


 昔はただのクラスメイト。

 そして、今は十年ぶりに再会しただけの元同級生。

 会話した数も少ない。高校生のときは傍から眺めてるだけ。それで水瀬のことを知っているという断ずるのは、あまりにも傲慢だろう。

 それは、水瀬にとっての俺も同じだ。


「なにそれ。お互いに年取ったんだから当たり前でしょ」


 水瀬は微笑む。

 だが、それは的を得ていた。

 そう。当たり前。十年前も経っているんだから、多少の変化は当然だ。

 そんな一般論でしか語れないほど、俺たちはお互いのことを知らなかった。

 昔も──そして、これからも。


 このときはまだそう信じて疑わなかった。







「色々ありがとな」


 朝食を食べ終わり、俺は帰宅のために玄関で靴を履いていた。

 せめて朝食の代金を払おうとしたが、水瀬に受け取ってもらえなかった。たいしたことをしていないから、らしい。


「じゃあ、またいつか」


 俺は玄関の取っ手を握り、顔だけで後ろに振り返って別れを口にした。

 十年前に好きだった彼女との交流はこれで終わりだ。

 今後連絡を取り合おうだなんて思ってもいないし、水瀬も思っていないだろう。

 そもそも、俺たちが再会すること自体、神様が悪ふざけしたような偶然だ。

 たまたまマッチングしただけ。あとはもう擦れ違うこともない。

 俺と水瀬の関係性なんてそんなものだ。

 しかし──


「またいつか、は結構早いと思うけどね」


 どこか苦笑したような水瀬の声。

 俺は玄関を開けていたが、その声なんかほとんど聞こえちゃいなかった。


「…………は?」


 玄関の向こうの景色は、見覚えがあるものだった。

 なんてことのない住宅街。

 マンションやアパートが立ち並んでいるだけの、静かな街だ。

 だが、その光景は俺の家から見える景色とまったく同じだ。

 というより、


「……俺の家のアパート同じ?」


 二階建ての木造アパート。水瀬の家には201と表札に刻印されていた。

 隣を見ると、表札には202の文字とともに「堀越」との記載。

 堀越──つまりは、俺の家ということで。


「……い、いつからだ?」


 何かおかしいとは思っていた。

 大量に積まれたダンボール。どこか見覚えがある部屋。

 そして何よりも、俺が倒れたのは自宅アパートの前だったのに、どうやって水瀬の部屋まで上がっていったのか。酔っ払った俺がそう遠くにいけるわけがない。


「引っ越してきたのは、一週間前。でも、隣の『堀越』が堀越くんだとは思わなかったけど」


 俺が唖然として振り向くと、水瀬はどこか面白おかしそうに笑っていた。

 だけれど、辻褄は合う。

 俺はこの一週間、朝から晩まで会社にいることが多かった。徹夜続きで帰らなかったときもある。隣に新しい入居者が引っ越してきたところで、わかるわけがない。


「だから、これからよろしく──堀越くん」


 水瀬が大人の余裕に溢れた笑顔で言う。

 まるで、十年前に初めてクラスメイトになったときのように。


「君が『おかえり』が欲しくなったら、今度は飲み会でもしよっか」

「…………俺、酔っ払ってるときにそんなことも言ってたか?」


 その発言が導き出された経緯を予測すると、水瀬は言葉にはしない代わり満面の笑顔で返答した。……多分言ってたんだろうな、昨日の俺。

 だが、この水瀬の発言が社交辞令であることはわかっていた。

 二八年も生きてると、明らかに社交辞令であるお誘いは何となくわかる。まあ、それでも勘違いすることはたくさんあるのだが。

 だけれど、水瀬のどこか揶揄うような笑みはその証左だった。

 だから、俺も社交辞令で返す。


「ああ、そのときはよろしく」


 こうして、俺は十年ぶりに高校時代好きだった元同級生に再会し、彼女が隣に住むことを知った。




 だが。

 俺が知ったのは、それだけではなかった。




「彩ちゃん、どこ……?」


 部屋の奥から現れたのは、小さい女の子だった。

 歳はわからないが、幼稚園児や小学校低学年にはとても見えない。ということは、小学校中学年ぐらいだろうか。眠そうに腕で瞼を擦っている。

 その女の子はうとうとしながら顔を向けてくるが、天使みたいなあどけない顔立ちをしていた。将来はかなりの美人になることだろう。知らんけど。


「えーっと……その子は?」


 いったい誰だろうか。

 思わず聞いてしまうと、水瀬ははっきりと宣言する。


「この子? この子は私の娘。ねー、愛莉あいり

「…………うん」


 水瀬によしよしと頭を撫でられつつ、女の子──愛莉はよくわからなさそうに適当に返事をする。

 しかし、その二人の関係性は確かに親と娘そのもので。


「…………マジ?」


 俺は、十年ぶりに再会した元同級生に『娘』がいることも知ったのだった。






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次回は、9/7更新予定です。

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