5章
1話
その地は、人が住めぬほど荒れ果てていた。
降り注ぐ太陽の光、空気中の水分はなく、草木は生えず、土地は乾燥してヒビ割れる。
この過酷な地に適応した生物は少ない。
そのどれもが屈強で、とても人類が敵う存在ではなかった。
そんな場所に一人の男が現れる。
中世ヨーロッパを模したこの世界に、似合わない平らな顔と、160cmほどの小柄な体格。
頭には布の帽子みたいなものを被っており、表情は見えない。
その帽子は、うなじの部分で服と繋がっている。
手触りが良さそうな黒色の布で作られた、見たことも聞いたこともない服。
ズボンは厚手っぽいが、鮮やかな紺色で足首まである。
靴は底が平な物。
戦闘も発生するこの地は、
にもかかわらず、男は舗装された道を歩くように平然としていた。
その背後から近づく影があった。
男の背を優に超える大きさ。
なのに、大地を踏みしめる音はしない。
この地に住む猛獣の一種。
一歩一歩が人の歩幅の数倍はあるため、猛獣の射程圏内にすぐさま男は入ってしまう。
男に死の風が吹く――
ズゥゥーーン!
大きな影……ライオンっぽい見た目のモンスターは、男へ飛び掛かった瞬間、地に伏した。
瞳に光はなく、誰が見ても明らかに死んでいる。
……ここに確認できる人間はいないが。
「……あちぃ」
男はモンスターに興味を示さず、目前の空中を人差し指で差す。
その直後、荒廃した大地に変化が訪れた。
空に雲が集まりだし、広い大地に影を作る。
そのまま、ポツポツと雨が降り始めた。
ここ数十年、雨など降らなかった大地にだ。
雨はすぐに、ザーザーと大きくなっていく。
だが、不思議と洪水は起こらない。
降るとともに地面へと吸い込まれていく。
まるで魔法のように……いや、これこそ男が使った魔法なのだろう。
この広大な大地全体に及ぶ大魔法を、事も無げに使った。
男はいったい何者か? それを知る者はいない。
かなり長い時間、雨は降っていた。
そして、漸く雨が上がり始めた頃――
「……芽吹け」
水滴一つ滴っていない男が、再び指を動かす。
その途端、大地が揺れた。
いつの間にかヒビがなくなった大地、そこへいくつもの亀裂が出来る。
その亀裂から茶色いモノが、天高く伸び始めた。
至る所で、間隔を空けて、次々と……
人間5人分ぐらいの高さになると、今度は横へ枝分かれしていく。
何度も枝分かれしていった後、一斉に緑の葉をつけた。
気がつけば、地面も草花で覆われており、分厚い雲も消えている。
眩しいのか、男は天に手の平を向け、大木の隙間からの日差しを遮った。
………………
…………
……
男が荒廃した大地を、緑豊かな自然に変えて、数年が経った。
男はこの地に家を作り、一人で過ごしている。
日がな一日、空中に視線を向けてボーっとしたり、寝たり、と長閑な毎日だ。
家の近くでは、石や土でできた生物……ゴーレムが畑を耕し、木材の調達などをしている。
周りを囲む森からは、イノシシのモンスターを抱えたゴーレムまで出てきた。
男が、暮らしを便利にするため生み出した、労働力のようだ。
このような日がずっと続いている。
特に町を探すわけでもなく、ただただ一か所にずっと。
だが、この日は違った。
いつもと同じように、外で昼寝をしていた男。
数刻そうしていると、近くの茂みが揺れる。
男が音に顔を上げた時だ。
茂みから、人間大の影が――
「ハァハァ……ここは?」
「私たちは……助かったの?」
「家? 人が居るのか!?」
飛び出してきたのは三人……いや。
少し容姿が異なる。
二人は絶世の美女、少なくとも男からしたら、これまでに見たことないほど美しかった。
神話の神々が来ていそうな服、かなり薄手で……何なら透けそうな感じだ。実際に透けてはいないが。
体のラインが強調されている、でも厭らしい感じはない。
靴は履かず、裸足のまま地面に立っている。
そして、何よりも耳。先端部分が長く、そして尖っている。
残り一人はかなり小柄だ。
日本人男児にしては小柄な男より、さらに低く100cmほどしかない。
少し丸みを帯びた体型で、紳士服っぽいものを纏っている。
顔は……外国人みたく彫りが深い。
中性的な顔立ちだが、声の高さからこちらも女性と思われる。
良くファンタジー創作物で出てくる、エルフとレプラコーンみたいだ。
男が黙って観察を続ける間、三人は慌てていた。
「どうしてここに人族が!?」や「姫様、今すぐにお逃げを!」などと叫んでいる。
男はどうでも良くなったらしい。
瞳の色が一瞬だけ変化し元に戻った後、眉間に少しの皺を作り、首の後ろを手で撫でる。
そのまま、昼寝用の揺れるイスへ戻って行った。
「……攻撃してこない……?」
身構えていた三人は男を警戒したまま、首を傾げている。
しばらく固まっていたが、少しずつ横になった男へ近づいていく。
「スースー」
イスを覗き込むと、男は気持ちよさそうに眠っていた。
「……無警戒すぎじゃないかしら?」
「お姉さま……気にすることは、そこではない気がいたします」
気が抜けたエルフ二人に対して、レプラコーンは「今のうちに逃げましょう!」と急かし始める。
「……いえ、ここで少し休みましょう」
「正気でございますか!? この人族がいつ――」
「こちらを殲滅するならば、既にやっているはずよ」
ここの場所は、は温かくとても居心地が良い……
先ほどからフラフラしていた三人は、相当疲れていた様子。
欲に耐えられず、誘われるように寝てしまった。
夜
エルフの一人が目を覚ます。
「ここは……!?」
寝ぼけた眼を擦っていたところ、唐突に昼間のことを思い出したようだ。
慌てて周りを見れば、近くで寝ている二人を発見し、胸に手を当て息を吐きだした。
安心して気付けば、自分たちに布が掛けられている。
心当たりがあるエルフは、男の姿を探した。
すると、家の前で何かをしている。
エルフは静かに起き上がって、男に近づいていく。
「起きたのか」
「!?」
後ろから近付いていたのに、男はエルフを見ずに声を掛けてきた。
エルフは自分の体を両手で抱いて、警戒心を強める。
「何があったかは知らん……だが、腹は減ってるんじゃないのか?」
「……」
「毒は盛っとらんし、食えと言ってる訳じゃない。好きにしろ」
そう言って、男は一人で食事を始めてしまった。
作っていたのはスープのようで、大鍋のようなものが焚火に吊るされている。
唐突に「グゥ~~」と可愛い音が鳴った……エルフの方からだ。
まるで茹でられたように赤くなったエルフは、男の方へ近寄る。
男はエルフへ、スープの入った器を渡した。
「美味しい」
まるで久しぶりの食事だったように、あっという間に平らげるエルフ。
名残惜しそうに器を見ていた。
「おかわり、いるか?」
黙って器を渡し、スープを注いで返す。
そんなやり取りが数回続き、起きてきた残り二人も同様だった。
………………
…………
……
男と三人が出会って、さらに月日が経つ。
その間に色々なことがあった。
まずは、三人がそのまま定住したことだろう。
エルフしか知らない貴重な薬草や野菜などを、魔法を使って栽培。
男の食卓や生活に彩りを与えた。
また、妖精種は魔法が得意と言うこともあって、男の魔法を教えることになる。
まぁ……男は、言われたことを物凄い速さで理解・吸収してしまい、すぐに教えることはなくなったが。
それから会話が生まれた。
三人はとにかく男と話す。
今日の天気から、自分が行っていることの報告などなど、内容は多岐に渡った。
だが、男の素性については、一切触れない。
その距離感を男は好んでいたようだ。
この地に住み始めて誰とも会わず、表情が死んでいた男に少しずつ笑顔が戻る。
他には、三人以外の住人が増えたことだ。
一人、また一人。時には団体で。
様々な種族の者が集まった。
ドワーフ、ホビット、獣人、竜人、モンスター系統……
数十と集まったことで、男一人であったこの地は、いつしか村と呼べるまでになっていた。
しかし、人族は男一人である。
それでも男は誰の過去も詮索しない。
ただただ日々を過ごすだけの男を、村に集まった者たちは村長と呼んだ。
………………
…………
……
村長と呼ばれるようになった男も、それなりに歳を重ねたある日。
人族の団体が村を訪れる。
彼らの装備は、白っぽい色と同一の紋章で統一されており、観光……という訳ではなさそうだ。
その軍団はいきなり現れ、村を取り囲んだまま待機していた。
交渉するような感じでもなく、ジーっと村人たちを睨み続けている。
村人たちは軍団と対峙しながら、不安に表情を曇らせ、男に対処を任せるようだ。
男は警戒することしかできなかった……そして、それは悪手だった。
状況は突然動き出す。
最初にやられたのは、男の横に付き添っていたエルフ。
そう、最初にここに来た三人の内の一人。
男の視界には、胸に矢が突き刺さり、血が噴き出しながら倒れるエルフが入った。
それが合図だったかのように、軍団が攻撃を仕掛けてくる。
大量の弓矢による攻撃。
包囲されているため、村人たちには逃げ場がなく、右に左に慌てふためくしかない。
戦える村人もいるが、そういう者が真っ先にやられていく。
おまけに、矢に毒が塗ってあるようで、掠っただけで倒れる村人が続出。
軍団は、そういった村人に容赦なく矢の雨を降らせてきた。
男は倒れたエルフを抱き起こす。
エルフの顔に生気はなく、真っ白になっている。
男はエルフとのことを思い出しているのか、周りの惨状に気付かないまま放心していた。
「突撃ィィ!」
抗える村人がいないと判断したのか、取り囲んでいた軍団が突っ込んでいく。
逃げ惑う大人を刺し、斬り、吹き飛ばしながら殺していく。
女子供も同様だ。
どんなに命乞いをしようと、どんなに泣き叫ぼうと。
皆、同じように殺されていく。
放心していた男に、軍団の一人が近づいていく。
周りとは違う、高級感あふれる装備。
おそらく、この軍団の指揮官だろう。
「我ら神の代弁者。人族こそ秘宝。雑種を匿っていたお前も一緒に殺す。ただし、お前は最後だ」
男の顔を殴りつける。
男の体は力なく宙に浮き、地面を転がった。
「正義は我らに在り! 全てを殲滅せよ!……そこで見ているがいい、自分の愚かさを後悔しながら」
まさしく地獄。
村人の悲鳴が村の中に木霊する。
男は、指揮官が踏みつけているエルフを呆然と見ていた。
眼が泳ぎ、焦点が定まっていないながらも。
それは、ほんの僅かな時間。
気付けば、男は両手を握りしめ、奥歯を噛みしめていた。
「……ああ……お前の言う通り、俺は愚かだ……」
「ほぅ……漸く気付いたか! だが、神の意志に背いたのだ! 黙って見ておけ」
「違う……そっちじゃない。俺が愚かと言ったのは――」
男が全てを言う前に、近くの兵士が斬りかかった。
背中に斬撃を受けた男は倒れる。
「貴様! この方誰だと――」
兵士が言えたのはそこまでだ。
鮮血が舞って、兵士の頭が地面に転がる。
反対に、男が平然と立ち上がった。
剣で斬られて見える肌には、傷一つない。
「なっ! 今斬られたはずでは――」
「お前らに付き合う暇はねぇんだよぉお!」
叫びと共に、男の背後に小さな太陽が出現する。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇ!!」
太陽から小さな火が飛んでいく。
一つ一つはとても小さい。だが、その速度は異常だ。
人の目には残像も残らないだろう。
それが四方八方へ……村人たちを今まさに殺そうとしている兵士に殺到する。
「誰も死なせねぇ! 死なせねぇからなぁ!」
『
それは、神話にしか登場しない伝説の魔法。
本来、人に行使ができる魔法でも、使用が許される魔法でもない。
しかも、兵士の掃討をしながらだ。
だが、男は使える。とある理由により。
エルフへ走って近づきながら発動した魔法は、村全体を覆う。
どんなに遺体の損傷が激しくても、何もなかったように。
いつもの日常を取り戻すかのように。
温かな光と共に村を包み込んだ。
駆け寄った男の腕の中では、エルフが静かに眠っている。
その顔は、帰るべき場所に帰れた子供のように微笑んでいた。
この一連の事件、男には思い当たる節があったようだ。
村人の全員が、ここに来て初めて男を見ると、怯えや怒りといった表情をしていた。
そして、先ほどの指揮官が言っていたこと……
『他種族狩り』
世界は、人族至上主義が根強いようだ。
男は決心する。
村を守るために全力で抗うと。
男にも、怒り狂ったまま人を殺めたことに思うところはある。
だが、それを考える暇はなかった。
あの日から村は襲撃を繰り返される。
その度に男が撃退。
酷いときは殲滅した。
全員蘇生できたとは言え、村人の心には深い傷が残る。
それを何度も抉られる辛さは、言葉に変えられるモノではない。
男は現状を変えるために、思考を巡らせた。
………………
…………
……
世界全体を巻き込んだ種族間戦争が終結。
その頃には、この地から村がなくなっていた。
村があったことを証明するものは何一つなく、残るは手つかずの自然だけ。
村があったことすら誰も知らないのだ。
そんな地へ、いつしか人が集まり始める。
何者も手を付けていない自然と言う名の資源に、夢を求めた者たちだ。
そこに商人たちが続く。
人が集まれば、食料や生活用品などの物資が必要になる。
物々交換などで交易を行い、商人は手に入れた資源を別の町で売った。
そうやって経済が回っていく。
自然とただの広場が村っぽくなり、村から町へ。
そして、重要都市へと変貌して行った。
そんな変遷の中、とある冒険者によってダンジョンが発見される。
突如現れたダンジョンに、都市だけでなく国も心躍った。
ダンジョンも資源の塊。
一つあるだけでも、国の豊かさが変わってくる。
それこそ、自然とは比較にならないほど……
そうした時代を経て、この地はパンタラントと呼ばれるようになる。
<<SIDE:ダイガク>>
「…………はぁ?」
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