8話

いきなりの出来事に、丘周辺の空気が固まった。

皆、南を見たまま動けずにいる中、一人、北を見ている俺。


しばしの時間が経って。



「自分の腕を投げた? そんな……そんな挙動なかった……ESになかったじゃん。なんで……なんで!?」


自分の感情を処理できず、体の震えが大きくなる。

怒りではない。ただの恐怖だ。



無理だ無理だ無理だ無理だぁ!?

考えて行動するモンスターに……レイドボスに勝てるわけがない!


目と口を大きく開いたまま、体から力が抜けて、その場に両膝をつく。

両腕がダラ~ンと、意思なく下がった。


後は逃げるだけの状況で、遠距離攻撃の手段を習得した魔神。


最悪だ。逃げようとした瞬間、狙われる。

……いや、投げられる腕は一つ。もう弾丸となる腕はな……い……っ!?



魔神の左上腕に、光が集まっていく。

夜の闇の中、空に輝く恒星のように強い光が、一瞬だけ視界を埋め尽くす。

光が収まった時、魔神のシルエットは元に戻っていた。



……そうか、『生命神のチョーカー』

部位欠損も状態異常扱い……


「ハハッ、ハハハハッ、アッハハハハハハハハハハ」



乾いた笑い声が響く。

俺一人、壊れたおもちゃのように、無意識に笑っていた。



なんだよそれ。そんなん勝てるわけねぇじゃん!

チートだよ、チートぉ!


絶望し、どうしようもなくなった時、人は無気力になる。

全てがどうでもよくなってしまう。

自分の命さえも。



もうお終いだ……サクッと死んで、人生リセットだ。


そうやって笑いながら、頭を抱えた俺だった。






「ダイガク殿。そなた一人なら逃げられるか?」


少しして、声が聞こえた。

顔を上げると、こちらを向いている領主の姿。


「何を……」

「そなた一人であれば、逃げられるだろうか?」


強い意志を持った眼で、同じ言葉を繰り返された。


「できると……思います」

「そうか……」


目を閉じて、上を向く領主。

ほんの少しだけで、すぐにこちらへ向き直った。



「では、ダイガク殿。逃げてくれ。時間は我々が稼ぐ」


……言っていることが理解できない。

逃げてくれ? 俺一人で?


「あなたたちは……どうするんですか?」

「ここで、あの巨人を足止めする」


無理だっ! そんなことできるわけがないっ!


俺は心の中で否定する。が、領主は次々と指示を出す。


「戦える者は集まってくれ! ロイっ、ロイはいるか?」

「ハッ! ここに」

「騎士の大半を突撃させる。残りは民の避難だ」

「それは……責任重大ですな……人生の最後に、華を添えるとしましょう!」

「縁起でもないことを言うなっ! ……俺も残る」

「なっ!? ミゼル様はお逃げ……」

「ここは俺の領土だ! お前たちは俺の騎士だ! 逃げる必要がどこにある!」

「……分かりました。全力で護衛させていただきます!」




「ファミル。お前は逃げろ」

「お父様。私も貴族の端くれ。ここに残り、民を守るために全力を尽くします」

「ダメだ。お前は逃げろ」

「失礼ですがここに、私以上に回復魔法を使える者はおりません。私も共に戦います!」

「ファミル……」

「お父様と一緒に戦いたいのです。逃げたとしても、死ぬかもしれない状況。ならばっ! 私は戦うことを選びます」

「……分かった。ただし、前へ出るなよ」

「分かっております」


他にも、冒険者ギルドのマスターへ「逃げたい者は逃げていい。強制依頼ではない」と、指示を出したり。

逆に「全員、参加しますよ。領主様を置いて、逃げれませんから」と、言われたりしていた。






その光景を見ていた俺は、思わず呟いていた。


「なぜ……どうして……」


聞こえていたのだろう、領主が寄ってきた。


「私の行動が不思議か?」

「……」

「何、簡単なことだよ。私は貴族だ。領民を守る義務がある。それだけだ」

「……」

「貴族は基本、領の税で生活をしている。領も税も、民なしでは成り立たない。つまりは、私と私の家族も民に支えられている。おそらく、ダイガク殿も知っていることだろう?」

「……」

「いつも支えられている私たちが……こんな時にこそ、勤めを果たさねばならんのだ!」

「……」

「……これはできればでいい。逃げた先で避難を呼びかけてくれ。いつか、巨人が移動できるようになるかもしれん。できるだけ遠くへ逃げるように、呼びかけて欲しい」


手を後ろで組み、胸を張って堂々と話す領主。



「ど……して…………れ……ない」

「ん? すまぬ。聞き取れなかった」

「どうして……どうしてっ! 俺に命令しないっ!? 俺の力を見ただろう? あいつと戦えって。領民のために死ねって。どうして命令しないんだっ!?」

「……」


もう、人生を諦めた俺だ。唯一、魔神と戦えそうなのも俺だけだ。

なのに、どうして何も言わない。どうして、どうしてだっ!


「言って欲しいのか?」

「!?」

「……フッ。冗談だ。そなたが逃げる、これが一番生存率が高い。我々は、奴の脅威を広めねばならん」

「……そのために、民に死ねと」

「言うとも……ダイガク殿は、気付いていないようだが、既に大勢の死者が出ている」

「!? 一体いつ……」

「そなたが巨人に挑む前、巨人が山だった残骸を蹴っただろう? あの時、土だけでなく、岩や大きな石が一緒に飛んできた。それが~~」


そこまで聞いて、後の話が頭に入ってこない。

確かにそうだ。仮にも山があった場所だ。

そこを蹴れば当然、土砂以外にも飛んでくる。

いや、土砂だけでも脅威だ。




呆然としていた俺は、誰かに肩を叩かれて現実に戻った。

見ると、領主は少し遠くに移動して、指示出しに戻っている。

俺の肩を叩いたのは、ロイと呼ばれていた騎士だった。


「おい、大丈夫か?」

「……ぁぁ」

「良かった。生気がない顔をしていたから、心配になってな」

「……」

「……これは独り言だ。ああ見えて、ミゼル様も恐怖を感じている。あなたと話をしていた時、手を後ろで組んでいただろう? あれ、手が震えていたんだ! 自分と娘の命を危険に……いや、死神に渡そうとしているんだから、正気じゃいられないのだろう」

「ど……う……して」

「簡単だよ。領民を……いや、国を……国の民を救いたいのさ。そのために、領民の命も含めて、一緒に死ぬ覚悟をされたのだろう。今、あの方の背中には、数百万の命がかかってるんだ」



ロイの言葉に顔を上げる。


俺の目には、ちょうど昇ってきた朝日に照らされる、領主……ミゼルの姿が。

周りを飛んでいる、小さい砂ぼこりに反射した光も相まって、体に黄金のオーラを纏っているように見えた。

とても美しい。俺には絶対なれない、そう思わせる姿。



俺の中で、何かが固まった。

今まで感じたことのない感覚。これが覚悟……なのか?




そして、一つだけ、現状を打開できそうな方法が思い浮かぶ。

よしくも魔神と同じ、ES関連だ。


だが、問題が二つ。



内一つは何とか出来そうだ。


もう一つは……


「ミゼル様っ!」

「!? どうしたっ!」


立ち上がって、こちらまで来てくれたミゼルの眼を見る。


「一つお願いしたいことが……」

「何でも言ってくれ。私が叶えられることであれば、必ず応えよう」

「もし……もし、あの魔神を討伐できた場合……」

「あれは、魔神なのかっ!? ……いや、先を言ってくれ」

「私の、今後の生活を保障してくださいますか?」

「……生活の保障?」

「はい、私が死ぬまで、面倒を見てもらいたい」

「……よかろう。そなたの一人や二人、面倒を見よう」

「ありがとうございます」



これで、問題はすべて解決だ!



緊張している俺は、震える指で、ウィンドウから『贄システム』を起動する。

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