7話
「まぁじぃでっ! 動いてくれっ、俺の体ぁ!?」
頭の上から迫って来る超重量体に、全身に鳥肌が立って、ブルブルする。
こんな感覚、親から家を追い出されても感じなかった。
人生で一番の危機、といっていい状況。
恥も外聞も捨てて、大声を出してしまう。が、状況は変わらない。
必死で動こうとするが、体は全くいうことを利かないのだ。
「なんでだよっ! スタミナ強化系や回復系のスキルもあんだろうがっ!? あぁん? ゲームで良くある、一定量まで回復必須系かっ! あああぁぁぁぁぁ!?」
もう、発狂寸前だ。
刻一刻と迫って来る死。
何もできない自分。
魔法で対処しようとする頭など、持ち合わせていなかった。
どんどん迫って来る、巨大な足。
既に視界いっぱいへ広がっていて、暗黒が占める空のよう。
その距離、残り数メートル。
その時だ。唐突に体が動いた。
!?
左に向かって全力で飛ぶ。
小指側から地面を揺らす、巨大な足に対して、親指側に逃げた俺。
轟音とともに、頭を抱えて転がりながら、降ってくる土砂に埋もれていく。
生きた心地がしないまま、体が止まったところで、すぐさま飛び上がった。
ハァハァハァ……死んだっ!
俺、死んだっ!? 生きてるっ?
絶賛、混乱中の頭で、振り下ろされた足を見ていた。
ハァハァ、やった。やったぞ!
避け切ったんだ俺は!
と、喜んだのも束の間。
さっさと離脱しようと思い、魔神に背中を向けた時だった。
視界の左端に、黒い壁のようなものが見えた。
気になって振り向く前に、突然、背中へ衝撃が走る。
いっったぁぁぁぁぁ!?
思考加速が発動し、ゆっくりになる周りの光景。
そんな状態でも結構な速さで、背中を押されながら、前へ進み続けている。
体全体に痛みを感じつつ、町の方へと、進んでいくのを止められない。
ゆっくりと、景色が後ろに流れる世界で、俺は何が起こっているか、理解できないでいた。
徐々に徐々に、町へと近づいていく。
ある程度進んだところで、背中を押す感じがなくなった。
同時に思考加速スキルの効果が終了する。
途端に加速する世界。
体は前へ向かって、猛スピードで進む。
風圧で、四肢は後ろに流される。
両手に持っていた剣は手放してしまった。
顔にも風圧がかかり、目と口を閉じれない。
ゴオオォォォ、という音がずっと鳴っている。
状況が分からないまま、町の城壁が迫って来る。
両腕で防御ができず、目も閉じれないまま、俺は北の城壁に突っ込んだ。
そこからは、恐怖の連続だった。
石造りの城壁を突き進み、貫通するがスピードは落ちず。
そのまま、次々と民家へぶつかり、通過していく。
折れた木材やら、金属の破片やら、色々なものが体に顔に、そして目に飛び込んでくる。
その度に想像してしまう、突き刺さるイメージ。その恐怖。
何度も何度も味わいながら、北の端から中央の噴水を抜け、南の端まで。
まさしく町を縦断して、南の丘へと激突。
丘にめり込んでいく体。
ぶつかった衝撃で、俺の内臓やら何やらが、全部前に寄っていくのを感じ。
腹を思いっきり殴られたような、痛みではなく、気持ち悪さが全身に広がった。
い、息ができない。苦しい……
意識は朦朧とし、体が動かせないまま時間が過ぎていく。
「お……お……いじょ、か……おい、大丈夫か!?」
耳元で声が聞こえる。
相変わらず体は動かない。気分は少し良くなった。
「今から、引っ張り出すから、そのままでいろ」
男の声が聞こえ、少しすると腰を引っ張られる形で、助けられた。
「おーい、生きてるかぁ? 返事をしろっ!」
「あ……あぁ」
「おぉう!? マジで生きてんのか? すっげぇな!」
視線を上げると、鎧を着こんだ騎士が数名、周りを囲んでいた。
「こ……ここは?」
「パンタラントの南にある丘。その中腹だよ。お前さんはあの巨人に殴られて、ここまで飛んできたんだ」
顔を上げてみると、町の向こうに、右拳を戻している魔神の姿があった。
俺は……殴られた……のか?
最初の踏みつけは……フェイク。
俺の動きを制限して……予測して殴りつけた……と
脳が状況を理解していく。
「いやぁ、それにしても、腰が入った見事なパンチだったぜ! お前さんもよく死ななかったな!」
近くにいる、おちゃらけた声で話す騎士。
その言葉に先ほど経験した内容が、フラッシュバックする。
壁にぶつかっていく体、尖った破片に突っ込んでいく光景、生身に固いものが当たる感触。
日本では、どれか一つでも大事故だ。
ぶつかれば跳ね返り、尖ったものは突き刺さる。
紙を丸めて叩いただけでも痛い。
俺の心が折れた瞬間だった。
体が意味もなく震えだす。
寒い寒い寒い寒い……
とっさに自分の体を抱きしめて蹲る。
恐怖による、今まで経験したことのない、人生最大のストレス。
異世界に来て、1年半経ったとしても、平和ボケした日本出身のチート野郎には、想像を絶するものだった。
「は……早く、早く逃げましょう!」
「何言ってんだ? ここまで来れば安全じゃねぇか。あいつはあそこから動けねぇんだし」
「そ、それでも、は、早く逃げましょう!?」
俺は、騎士の腰にへばり付いて、必死に説得する。
既に限界だった。
元々、変化を苦手とする俺だ。
異世界に来て、チート貰って、喜んで。
自分の思い通りになる力があって、気付いてなかったが、ストレスの種はそこら中に散らばっていた。
溜まりに溜まったそれが今、大爆発したのだ。
必死に説得する俺に、困惑する騎士たち。
その後ろから、声が聞こえた。
「その者の言う通りだ! まだ安心はできん!」
騎士たちは、声の方を向いて敬礼する。
横から除いて見ると、中央広場にいた領主とその娘だった。
「動けるものは、先に避難するように通達しろ。できるだけ遠くにだ。無理な者は丘の陰に身を潜めさせろ。隣町の救援を待つ」
返答した騎士たちが、周りに散らばって行く。
「さて、君と話をしたかったんだ。私はパンタラント領を収める、ミゼル・ガナイヤ・パンタラント。こっちは娘の……」
「ファミル・クレイム・パンタラントです。あなたのお陰で、たくさんの領民が救われました。心からの感謝を」
そういって、二人とも優雅にお辞儀をする。
それを見た周りの騎士は動揺していた。
やっぱり異世界の貴族は、中々頭を下げないらしい。
俺の話を肯定してくれたからか、少し震えが収まった。
「い、いえ……俺は、な、何もできませ……せんでした」
「ハハハッ。謙遜はやめたまえ。巨人の攻撃を引き付けてくれた。それだけで、どれだけの民が救われたか……本当に感謝する」
そう言ってもう一度、頭を下げる親子。
褒め慣れていないので、少し照れる。
「これ……これから、どうされ……どうされるんですか?」
「逃げれる者は、すぐにでも逃げさせる予定だ。残りは、隣町からの救援が着きしだい、順次、避難させる」
「救援は……」
「既に早馬を出している。早ければ2日後、遅くても3日後には到着するだろう」
広場で会った時のイメージ通り、先のことを考えて行動しているようだ。
「少しは落ち着いたかね?」
「はい……俺のことを気遣って下さり……ありがとうございます」
「いやいや、パンタラントの英雄殿だ。これでは足りないほどの恩がある。……さて、そろそろ君の名前を、教えてくれると嬉しい。何せ、英雄殿の名前を知らないのは恥だからな」
言われて、自己紹介をしていないことに気付いた。
慌てて返す。
「Cランク冒険者をしている、ダイガクと言います」
「Cランク冒険者!? その実力でかね? Sランクと言われても納得するのだが……」
「訳あって、実力を隠しておりました」
そうか、と言って考え事を始める領主。
……すみません。名前を聞き逃してしまいました。
心の中で謝っておく。
「ダイガク殿は、これからどうされるおつもりで?」
……考えていなかった。
とにかく、この場から離れたい。
魔神に関わりのない、遠い……遠い地で、静かに暮らしたい。
「俺は……」
ビュッ
何かが通った。
それも、かなりのスピードで。
続いて
ドォン、ドォン、ズゥゥゥン、バキバキ
という、重いものが跳ね飛んでいく音と、木々が圧し折れる音がする。
急いで移動して、丘の頂上からその方向、今いる場所よりさらに南を見る。
遠見を発動した俺の目には、木々をなぎ倒している巨大な腕。
そして、赤いペンキのようなシミがある街道が映った。
また、体が震えだす。
そのまま、ぎこちない動きで反対にいる魔神を見る。
そこには左腕のない、綺麗な投球フォームで何かを投げた後の『忍耐の魔神』がいるのだった。
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