第192話 崩れる思考回路
東条が立ち去った後、さっきまで東条に抑えつけられていた女子生徒はゆっくりと態勢を起こそうとする。
新島が手を差し伸べようとすると、女子生徒はそれを払いのける。
「貴方どうするつもりなの?東条と真っ向から一人で敵対して無事で済むと思ってるの?」
「私は私のまま普通の生活を続けるつもり。それに私は一人じゃない、友達だって沢山いるし」
「その友達との交流関係から潰されるのよ」
「さっきみたいに退学させられると脅して?
それなら問題無いよ。私の友達が少なかったらまだしも、私には友達と呼べる人は十数人もいる。そんな人数を退学に追い込む事なんて理事長にすら出来ないから」
数十人も退学させたなどと世間に知られたら大変な事になるだろうから、せいぜい退学に追い込めるのは2,3人。
それにいくら理事長とはいえ正当な理由が無ければ退学などさせる事は出来ない。だから仲間を信じて共に行動し、退学になるような理由を作らず、仮に難癖付けられても庇い合う、これが出来れば良いのだ。
そうするだけで東条のあの「親に言いつけてやる!」というこの学校の生徒への必殺技を防げる、新島はそう考えていた。
「…あんたの友達全員の心がそんなに強いとは思えない。きっと内側から崩れるわよ」
「私が崩れさせない。しっかりと今日あった事と私の考えを皆に包み隠さず話せば皆も納得してくれるだろうし、どうにかして東条さんに折れない結束を作ってみせる」
「…成績1位の奴がこんな感情論で動く奴とは思わなかった。でもね、多分その思い切りの良さが命取りになるわよ」
女子生徒がそう言ったタイミングでチャイムが鳴り、休み時間が終わる。すると女子生徒はトコトコと教室の方へと歩き出した。
新島はまだ一つ彼女と話したい事があり、彼女の腕を掴む。
「もしも貴方が東条にされた事の証言者になってくれれば、きっと少しでも有利になると思うの。私の友達に説明する時も、実際にイジメに遭ったという人と私に繋がりがあるというだけで説得力も変わるだろうし、もし良ければ…」
「悪いけど無理…私はもうこの問題には関わりたくない。だからあんたの味方も、アイツの味方だってしない」
「で、でも貴方が協力すれば…」
「協力すれば東条に勝てる確率が上がるんでしょ?でも協力するというのは、負けた時に私が退学に追い込まれる可能性が発生するって事にもなるのよ。そんなリスクは負いたくない、だから私にはもう話しかけないで。
…アンタ見返りを求めない善行をするのが好きなんでしょ?なら私の力抜きに東条と戦ってよ。
これなら私がリスク負わなくても東条っていう厄介な存在を消えるし、私の為になる行動だよ。あんたなら拒否しないよね」
さっき自分が同意した「見返りを求めない善をばら撒く事で気持ちよくなれる」というのを使われて頼まれたので、新島はそれを拒否出来なかった。
この頼まれ方に少しモヤッとしたが、新島はそれを受け入れて彼女とはもう絡まずに東条と戦う事にした。
そしてお昼休憩の時間、それをクラスで過ごす友達7人に話す。他クラスにも友達はいるが、先ずこの事を話すのはこの7人にした。
「…という訳で、東条さんと少し揉め事を起こしちゃったんだ。
でも安心してほしいの。向こうは多分私の友達である貴方達との友情から切ろうとしてくるけど、こっちが警戒していれば絶対にそんな事にはならないから」
新島の説明を聞いて一同は不安気な顔をしていたが、新島の自信溢れる表情から不安は和らぎ、7人は新島と共に抗う事を約束してくれた。
「東条の親の権力には負けないぞ!」
「正当な理由が無いと退学にはならないもんね、皆絶対にそんな事しないし大丈夫だよね!」
「なに企んでるかは知らないけど、もしも向こうから退学理由作りを仕掛けてきても皆ので庇い合おう!」
全員がそんな様子で、新島は心の中で仲間に心底感謝した。共に戦ってくれてありがとうと。
そして後日、他クラスの者を含めた総勢30人の友達のチャットグループにもこの事を説明すると、皆から賛同を貰えた。
そもそも成績トップで優しく素行が良い新島か、成績2位のイジメがストレス発散法の東条か、どちらの仲間に付きたいかなんて考えるまでも無い。
東条の親の権限のせいでそう一筋縄では選べなかったのだが、退学の心配は新島の説明でどうにかなると一同は思ったので、新島の味方をした。
〔理由を付けて私の友達に絡んできても、絶対に論破して返り討ちにしてやる。私を信じてくれた友達には絶対に手を出させない!〕
そう新島は心に決意を固め、学校生活を過ごしていった。
それから二日程経過したある日の休み時間、新島は1階の階段付近で大量の書類を抱えて階段に登ろうとしている生徒を見つけた。
「大丈夫?手伝うよ、どこまで運ぶの?」
「…情報室」
「分かった、半分持つから貸して」
新島はその者の荷物を半分持ち書類の運搬を手伝った。3階の情報室へと到着すると書類を教員の机の上に置く。
すると手伝ってもらった女子生徒は新島に目を合わせる事も、礼をする事もなくその場から立ち去って行った。
モヤッとはしたが、その日は特に気にせずに新島は教室へと戻って行った。
だが、これを機に何かを手伝っても礼を言われない事が多くなっていった。
あまり仲良くないクラスメイトに「宿題見せて」と言われたので見せてあげても礼は無い。
頼まれたから委員会の仕事を代わりにやってあげても礼は無い。
そんな事が1ヶ月程続いた。
これを見ていた新島の友達は「もう全員に優しくするのはやめた方が良い。しっかりと礼を言える人にだけ手を貸そうよ」と言っていた。
だが新島が考える良い行いとは、見返りを求めて行うものではなかった。なので新島はそれでも変わらずに人助けを続けていった。
その更に1か月後、新島の友達の『北川 唯奈』が1か月の停学処分を喰らった。理由は他生徒へ掴みかかり暴行したからだと言う。
北川は新島と同じく正義感の強い者だが、怒りに任せて暴行する者とはとても思えず、新島達は何があったのか詳しく北川に話を聞く事にした。
すると最近起きている事の真相も見えてきた。
放課後の教室で、北川はある生徒数人の会話を聞いた。それは新島についての会話だった。
「東条さんの友達から聞いたけど、あの子東条さんに反抗したんだとさ。しかも結構前に!」
「知ってる知ってる!新島が本当に見返り無しでなんでもやってくれるのか試してるみたいだよ!」
「じゃあ私達もそれに参加した方が良いのかな?
次の学年で東条さんと同じクラスになるかもしれないし、今のうちに気に入られれば安全だろうから…」
そんな会話を聞いて北川は黙ってられず、3人の会話に割って入り言い合いになった。
東条なんかに媚び売るのは間違っている、新島の味方をするべきだという北川の意見。
東条が怖いから逆らいたくないという3人の意見がぶつかり合ってヒートアップした。
そして北川が一人の襟元を軽く掴んだ時、廊下の方からパシャリと写真を撮る音が聞こえた。
「付け入る隙みーつけた」
教室のドアに付近で北川にスマホを向けていたのは、今の話の当事者である東条だった。
東条にそんな写真を撮られてしまい、北川は停学にまで追い込まれたのだ。
その場には5人しかいなかったが、襟元を掴まれた者はここで被害者面をして暴行されたと言えば東条に気に入られると考えて東条サイドに付いてしまい、誰も北川の無罪を証言出来る者が居なかった。
友達のそんな話を聞いて黙っていられず、新島は東条に話をしに行くが
「私は北川があの子の襟元を掴んでいた所を偶然見かけて、そこで写真を撮っただけ」
と、白を切られて話にならならなかった。
それ以降、一部の生徒しか知らなかった新島が東条に反抗したという情報は学校中に広まった。
そして友達含めて皆が新島と関わるのを怖がる様になった。次は自分が北川以上の事をされるのではないかと。
新島の友達も
「もうこれ以上は一緒にいられない」
「ごめん…私達の為にもう関わらないで」
と言って離れていってしまい、1学期が終わる頃には新島の周囲にはもう誰もいなかった。
〔私は何も間違ってない。あの時東条にぶつけたのは全て私の本音だし、何も悪い事なんて言ってない。
皆が私に近寄るのが怖いっていうのも分かるけど、私はここで折れたくない。だから一人でも戦う…戦って勝って友達を取り戻す!〕
自分が『正義』であると信じていた新島は、友達を失っても心折れずに進む事が出来た。
復帰した北川にも新島から「あまり私の近くに居ない方が良い」と言い、新島は友達に被害が及ぶのを避ける事にした。
こうして新島はボッチになった訳だが、辛くなどない。全員が自分の事を心配しており、心では皆と繋がっていると信じていたからだ。
いつまでも心折れない姿を見せれば東条はいずれ諦め、そうなれば自分の勝ちになるだろうと、強い心を持って学校生活を送っていった。
そんな状態で2学期の半分を過ごしていたある日、新島は東条に呼び出された。
何度か廊下で会うたびにジロジロと顔を見られたりする事はあったが、話をするのはかなり久々であった。
「…何?」
「あら、顔に余裕が無いわね。ストレス発散でもしたらどう?」
新島の顔色は以前よりも確実に悪くなり疲れ顔になっていた。
それでも新島は人助けを続けていたし、普段と変わらずトップの成績を取っていたが、余裕はほとんど無かった。
「今朝だって用務員のおばちゃんの手伝いをしたし、生徒と違ってお礼も言ってくれたから久々に幸せな気持ちになれたわ」
「あらやっぱりお礼を求めるのね。それって見返りを求めない善行なのかしら」
「そうじゃなくて…ただこの歳にもなってお礼すらも出来ない人が多いんだなって思ってただけ…ま、全部貴方がお礼を言うなって命じてるんだろうけど」
「あら、別に全員には命じてないわ。噂が一人歩きして勝手にそうしてる人が大半よ。
それよりもあなたを呼び出したのには理由があるの。これを見てちょうだい」
東条はニヤニヤと笑みを浮かべながら新島にスマホで撮った写真を10枚程見せてくる。
それはどれも人助けをした後の新島の表情を撮ったものであった。
最初の3枚の新島は笑顔だったが、残りの7枚に映っている新島の顔はどれも暗い顔をしている。
その違いは、それが助けた者に礼を言われた時かそうじゃないかだった。
「この写真見たら分かると思うけど、あんたお礼を言われなかったらこんな顔をしてるのよ。とても善行を行ってストレスを発散できている顔には見れないわ。
ねぇ、今でも見返りを求めない善行で気持ちよくなれるだなんて言うつもり?」
「…確かにお礼を言われないと気分は良くないけど、かと言ってお礼を言われるためにやってる訳でもないのよ」
「じゃあ何の為にやってるの?正義の為?」
「…正しい行いをするのに理由は要らないでしょ」
「ふーん、「正しい行いをするのに理由は要らない」…ね。
…本当は気が付いているんでしょ?それが自分の本心なんかじゃないって」
「だから私はそんな事…」
「じゃあ次はこの動画を見てよ。動画で見た方が分かりやすいと思うし」
東条は先程以上にニヤニヤして新島の顔を見ながら、ある動画を新島に見せる。その動画は教室のロッカーから隠し撮りされているもので、新島が他の者に代わって黒板を綺麗にしていた時の映像だった。
本来黒板掃除をすべき者が急用が出来たと言ってきたので新島が代わりに掃除したのだが、その者は「ありがとう」の一言も言わずにその場から去っていった。
そして問題はここからだった。
その者が何の感謝の言葉も言わずに去った時、新島は豹変した。
去っていく者の背中を睨み、舌打ちをしていたのだ。黒板消しクリーナーを持つ手には力が入り、その後黒板にそれを叩き付ける。
当の新島は自分がそんな事をしているとは思っておらず、これは東条の捏造としか思えなかった
「え…わ、私はこんな酷い顔してない!舌打ちなんてした事ない!こんな物に当たり散らしたりなんてしてない!」
「してたのよ。これだけじゃなくてね、最近撮ったものはどれもそんな顔をしてたし、物に怒りをぶつけてたの。
いや~善行をしてストレスが無くなった後にこんな事になるなんて不思議よね」
クスクスと東条は笑うが新島はそれどころではなく、そんな東条の笑い声は耳に入らなかった。
〔これは私じゃない…私がする訳がない!
だって私は皆の為に動いてきたんだもん!これは私じゃない!
だってこれじゃあ…まるで…〕
「情けは人の為ならず…自分の為にやってるんでしょ?
感謝の言葉を浴びるのが気持ちいいからやってるんでしょ?
良い行いをしてストレスが無くなるんじゃなくて、感謝の言葉を浴びてストレスが無くなるんでしょ?」
その通りだった。新島は感謝の言葉をもらう為に善行をしてきていたのだ。
『善』は自分が気持ち良くなる為の道具でしかなかった。なので『善』で形成されていた新島の思考回路も、自分が気持ち良くなる為の道具でしかなかった。
それに気が付いてしまいこれまで積み上げてきた自分の像が崩れ、それと共に新島は膝から崩れ落ちた。
そしてそんな様子を見て、東条はこれまでに見せた事ないほどの笑みを浮かべて高笑いする。
「ふふ…ハハハハハ!
あの時私の言った通り、あんたは自分ですら気が付いていなかった化けの皮を被ってたのよ!
どうよ一枚皮抜けた気分は!本当の自分を見れた気分は!本当の自分がどんなのか気が付いた気分は!」
東条は床に手を付けている新島の顔前に手持ち鏡を出す。すると新島の顔にはこれまでに見た事ない程表情が死んでいる自分が映っていた。
〔誰の顔だろう…これが私の顔な訳がない………鏡で見る私の顔はいつだってもっと輝いてたもん……だからこれは私の顔じゃ…〕
表情が死んでいる新島と、最高に気分上がり舞い上がる東条、その差は月とすっぽんであった。
それ以降、新島は徐々に成績を落としていった。
それだけならよかったが、今まで積み上げてきた自分の思考回路が崩れてしまい新島はもう笑えなくなっていた。善行もしなくなった。学校に休む事も多くなった。
もはや以前のアイドルみたいな輝かしい新島はそこにはいなかった。
そして2年生に上がった頃には、その学校に『新島 藍』はいなかった。
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