第12話 好きだよ

「……………………絵里香?」


 その言葉に、絵里香は遥人に抱き着いた。

 遥人の命を繋ぐ管が取れてしまわないように、気を付けながら。


「遥人!!」


 ぎゅう、と抱き締められる柔らかい圧に、遥人は虚ろだった目を見開く。


「遥人……!」


 嬉しそうに涙を流すのは、ずっと好きだった幼馴染……

 目が合うと、一層瞳に涙を滲ませてふわりと目を細める。

 そのあたたかさが、生きていることを遥人に実感させた。


 『絵里香……』


 ダメだ。目覚めたばかりで、口がうまく動かない。

 でも、これだけは……

 これだけは伝えないと……


「す……き、……だ……」


 かすれた声で、遥人は呟いた。

 絵里香には十分それで伝わった。

 手を強く握りなおして、「うん、うん。私もだよ……」と何度も頷く。


(ああ……よかった……)


 これで、思い残すことは、もう……


 遥人が再び目を閉じようとした、そのとき。

 病室にリン、とした鈴の音が響く。


 遥人は、視線だけで絵里香の背後にあらわれた存在に問いかけた。

 絵里香は、に気づいていない……

 見えていないのだ。


『……今度はなにしに来たんだよ。死神』


『あら? ひっどぉ~い! あたしこう見えて、れっきとした愛の女神よぉ~♪』


 『……追放された身だけど』。と付け加え、女神キューティは嗤う。


『お察しの通り、あなたはまだ半分死んでいる。だって


『…………』


 少し不思議には思っていたんだ。

 『幼馴染を愛で隊』に席を置いていながら、自分のことを何も語って聞かせないキューティに、誰も突っ込まなかった……


 俺はキューティがJKに擬態した女神だと知っていたから、「君の幼馴染は?」なんて話を振ることはなかったけれど。好奇心旺盛な咲愛也ちゃんや、純粋なアリーシアちゃん、察しのいい泉やクラウスさんが全く気にしないというのもおかしい。


 ――彼らは、見えていなかったんだ。


 この……愛を喰らう夢魔の存在が。


『……何が目的だ? 魂が欲しいなら、俺のをくれてやる。どの道もう半分そっちのもんみたいなものだしな。――ただし絵里香には手を出すな』


『あら、カッコイイ~♡』


『すまないが、ふざけてる余裕はないんだよ……』


 視線だけでそう返すと、キューティは、俺の胸元に縋り付いて泣きじゃくる絵里香を透過して、おもむろに俺の顎に手を添えた。

 ゆったりと、つい視線を奪われてしまう妖艶な所作。

 そうして――


(な――!)


 俺の唇にそっと口づけた。


 無論、絵里香には見えていない。

 だが、熱も感触も確かにあった。あたたかくて、柔らかい。

 

 半分霊体な俺にしか感じることができないのだろうか。

 相手がこいつじゃなかったら、どれだけよかったか……


 ――そんなことはどうでもいい。


『なんの、つもりでッ……!』


 脳内で問いかけると、キューティはにんまりと名残惜しむように唇を舐める。


『あ~………………美味しい♡』


『…………』


 こちとら、人生最悪のファーストキスだよ。

 もう、終わりかけているけど。


『……今まで口にした中でも、ダントツに美味しいわぁ♡ 世界で最高の――【存在そのものをかけるほどの愛】……』


『……?』


『ハルヒト。今わの際、あなたは口にしたわね? 自分のできなかった分まで、幼馴染のことが好きな人を救いたいって。それって本当にすごいことなのよ? 自分の存在を放り出して、誰かのために使ってあげるってことなんだから』


『!』


『結果、あなたは多くの『幼馴染を愛する者』を助けて、救ってきた。優しいあなたの魂に惹かれて、数多の世界から道に迷う人達が、雪の中ロウソクの灯りに救いを求めるように、夢で会うという形で集まった。ひとつの信念――【幼馴染が好きだ】という旗印のもとに』


 キューティはうっとりと俺の唇を撫で、さきほど俺から吸いあげた、ナニカの余韻に浸っている。


『幼馴染を愛で隊……幼馴染への想いに溢れた彼らは、見ているだけでも、あの場の空気を吸っているだけでも、かなりの愛を得られたわ。それこそ……失われた女神の力の一端を取り戻せるくらいにまで、ね……』


 キューティはそう言って、再び俺に口づけた。

 今度は、ナニカを与えるように。


『……これで最後。あなたと幼馴染の、互いを想い庇い合う心が、私を完全に覚醒させた。私は自由よ。あの空間の中でしか生きられない夢魔ではなくなった。末端だけれど、女神に戻ったの。そうして、愛を糧に活動し、迷える人間に恩寵を与えるという奇跡を成した――』


『!』


 俺の身体に、熱が、体温が――魂が戻っていく……!


『キューティ……!』


 にこりと微笑む彼女は、なんと紛らわしい存在なのだろう。

 気まぐれで、イタズラで、嗜虐的で。

 俺を勝手に異空間に放り出したりもするけれど……

 でも……ちゃんと女神だったんだな……


 俺を救ってくれた、神様――


 身体に熱が灯ったからだろうか。

 薄っすらと、次第に見えなくなっていく彼女に、瞼の奥で手を振った。


『……ありがとう。キューティ』


 一度閉じた瞼を開けると、最愛の幼馴染と目が合った。


「……絵里香」


 俺たちは微笑んで、ほぼ同時に声を発する。


「「……好きだよ」」


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