第10話 俺が死んでも

「え……遥人?」


 きょとんと目を見開く、俺の幼馴染――絵里香。

 周囲を舞うコウモリの羽音と風に、色素の薄い髪が揺れて、まるでスローモーションのように瞳が大きくなっていく。


「なんで遥人が……? ……え? 『幼馴染を愛で隊』の隊長って……えっ?」


「あははははっ! バレちゃったぁ……!」


 会議室に嗜虐的な声が響く。

 瞬間。全員の背後に元の世界に繋がる扉が現れて、室内を飛び回っていたコウモリたちが消えた。


「なっ――!」


 驚きに声をあげる泉の異能コウモリを掻き消すように、空間が支配されて、扉が大口をあける。


「「隊長っ――!?」」


「やだっ、私……! まだ隊長に『好き』って、きちんと告白し直せていないのに……!」


 涙を浮かべ、俺に向かって手を伸ばすアリーシアちゃん。咄嗟に握り返そうとするも、俺の右手は虚しく空を切って……

 『幼馴染を愛で隊』のメンバーは、俺と絵里香とキューティを残して、全員が元の世界へと吸い込まれていった。


 にまにまと、JKの変装を解いた黒ドレス姿のキューティが俺ににじり寄る。


「……約束。忘れてないわよね?」


「『想いを寄せる幼馴染同士が来た場合、先に在籍していた隊員は、幼馴染であることがバレてはいけない』……だったか?」


「そうよ。だって、そんなの本末転倒でしょう? 『幼馴染を愛で隊』に件の幼馴染が来たら、そこでもう両想いが確定みたいなものなんだもの。そんなの意味がない。この隊……空間自体の存在が揺らいで当たり前だわ」


「え……? キューティさん? 遥人も、なに言って――」


 驚きに尻餅をついている絵里香の置いてけぼり感は否めない。

 しかし、正直俺も今はそれどころじゃない……!


 俺は、床に手をつく俺の目の前に仁王立ちするキューティを、睨むように見上げた。


「キューティ……お前は俺の……敵なのか? 味方なのか?」


「ふふっ。さぁね? 娯楽が途切れたらオシマイにしちゃうあたりは敵かもしれないけれど。そもそもんじゃあしょうがない。でも、味方じゃなかったらそもそもあなたの魂をここに留めたりはしないでしょう? 死にぞこないの……未練たらたら幽霊さん♪」


「くっ……」


 「本当に女神か?」と疑いたくなるようなやたら棘のある言い方だが、事実は事実。俺はキューティの助けがなければ、幼馴染へ告白できなかった未練と、絵里香への想いを残したまま死んでいくただの高校生だった。


 今さらになって、それを思い出す。


「でも、ハルヒトは私が思うよりも遥かに、優しくて人望の厚い人物だった……『隊長』としては百点満点。あなたの集める『愛』や『恋』は、私のお腹を甘~い魔力でい~っぱいにしてくれたわ、ありがとう♡」


 ぺろりと舌なめずりをするキューティは、まるで「喰い足りない」といった風に、絵里香を見つめる。


 ――ああ。そういうことか。


 この、悪神め。


(落ち着け……身バレはしたが、この空間は維持されている。まだ、やれることはある……!)


 俺はキューティを見据えた。


「……まだ、絵里香の好きな幼馴染が、俺だと決まったわけじゃない……」


 俺達には、もうひとり幼馴染がいる。

 七島ななしまケイトという、もうひとりの幼馴染が……


 ――だが。


「……私が好きなのは、遥人だよ……」


 他でもない絵里香が、そう口にしてしまった。

 潤んだ瞳で、祈るように両手を握りしめてから、その手をそっと俺に伸ばす――


 俺は思わず、絵里香のその手を握り返した。


 瞬間。理解した。


(……ああ。俺は、この一瞬のために、生かされていたのかもしれないな……)


 この、人の恋路を食い物にする性格の悪い女神に拾われて。

 『幼馴染を愛で隊』の隊長として、会議室でしか存在することを許されない。

 その命綱である部屋は、今この瞬間にも女神の指パッチンひとつで消え去ってしまうかもしれないというのに……


 でも……それでも……


 この一言になら、俺の存在のすべてをかけられる――


 俺は、まっすぐに絵里香を見つめた。


「絵里香、好きだ……」


「!」


「俺も……絵里香のことが、ずっと好きだったよ……」


 きょとんと瞳が見開かれ、そうして絵里香は、不思議そうに首を傾げる。


「……だった?」


「…………」


 そうだよ。

 『好きだった』――過去形でいいんだ。


 だって、俺は……


「ごめん、絵里香」


 俺は、繋いだ手を引っ張って、絵里香を異空間――に繋がる扉の前に立たせた。

 そうして、扉を開けて、押し出すように絵里香の背を向こう側へ押す。


「えっ……? 遥人? なんで? どうして……? 私、まだ遥人と話したいことが――!」


「ダメだ。『幼馴染を愛で隊』がその存在意義を揺るがせている今、この空間は、目を瞑れば次の瞬間には崩れ去ってしまうかもしれない。危ないから、絵里香は先に行くんだ」


「待って!? わけがわからないよ! 遥人!?」


「そっちの世界……昔の俺に会ったら、よろしく伝えといてくれ。『いつまでも、昨日と変わらない日々があると思うなよ』って。『後悔のないように、限界まで胸をはって生きろ』って……」


「昔の……?」


 その言葉に、俺はふわりと微笑んだ。


(絵里香の目に映る、最後の俺は。せめて優しい笑顔の俺でいたいから……)


「絵里香。いままでありがとう。大好きだったよ」


 朝、玄関先で出くわすと「おはよう」って言ってくれるところとか。

 部活中に目が合うと、小さく手を振ってくれるところとか。

 幼稚園のとき、そこまで足が速くないのにリレーの選手に選ばれた俺につきあって、一緒に特訓してくれたよな。

 夏休みに、家が近いからって理由で学校の花壇に一緒に水やりに行ったり。

 春先にピクニックへ行って、花冠をのせあったり……


 思い出す絵里香は、いつだって笑顔で可愛くて。

 小さな手で俺のことを引っ張って……


 ――『こっちにおいでよ。遥人』って……


「ぜんぶ、ぜんぶ……大好きだった」


 言葉を失う絵里香に、隊長として――

 ――いや。幼馴染として。

 精一杯のエールを送る。


「俺が死んでも……幸せになれよ、絵里香」


「!?」


「俺は、絵里香の幸せをいつだって願っているから。夢から醒めても……それだけはどうか、忘れないでくれ」


 ◇


 絵里香が目を覚ますと、窓の外には真っ赤な夕焼けが広がっていた。


(え……あれ……? 私、寝ちゃってた……?)


 自室でうつらうつらと目を擦ると、瞳からひとりでに涙がこぼれだす。


「え? あれ……?」


 絵里香はぽつりと、わけもわからないまま呟く。


「……遥人……?」



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