第48話姫と乙女と盗人は約束する

 日が経つのは早いもので、今日で六月も終わりを迎える。時刻は午前五時を回る少し前。朝日は未だ山間に埋もれ、しかし一日の始まりを知らせる青白い陽光が地平線から覗く時間帯。

 リリィはアサガオの旅立ちを見送るため、繁華街を訪れていた。彼の実家であるパン屋の前に止まった馬車の前に青年とその家族がいる。純粋な少女は青年の元へと行き、スイートピーの押し花を渡す。無垢な青年は喜び、それと共に本を一冊手渡す。受け取った少女もまた笑った。

「すぐに戻ってくるよ、リリィ。その時にまた、あのカフェでお茶でもしよう」

「うん、約束だよ。待ってるからね」

 別れの挨拶をすませた青年は馬車に乗り、出発する。ゆっくりと進みだした馬車は次第に速さを増していく。リリィは少しでも長く彼といようと馬車の後を追い、手を振った。馬車の窓から顔を出した青年も手を振り返した。馬車は速度を緩めることはなく、もう追いつけないことを悟ったリリィは最後に叫んだ。

「バイバイ、行ってらっしゃい!」

 道路に残った少女は清々しい笑顔で見えなくなるまで馬車を見送った。

 その様子を遠くから見守っていたアネモネは隣にいるクリスに疑問を投げた。

「一年よね?」

「長いほうだろ」

 何が一年なのかは言うまでもなく、アサガオが街を離れる期間だ。なぜ、青年は街を離れるのかは、リリィから叱られたあの日に聞いた。

「私たち、一か月で別れるから」

 少女の発言にアネモネとクリスは間抜けな声を出す。しかし、それを無視してリリィは続けた。

「前々から、お店の商品のレパートリーを増やそうとしてたんだって。それで案として街を出て他店舗の商品を自分の店にも取り入れることはできないかって話が出たの。それにアサガオさんが立候補したのが半年前。今月の初めにアサガオさんと出会ったけど、その時に話してくれたよ」

 リリィは凛然と言った。最初から全てを知ったうえで付き合いを続けていた。さくらだのなんだのと騒いでいたが、全てアネモネの杞憂だったわけだ。

 馬車を見送ったリリィが二人の元に戻ってくる。愚妃と盗人の少年がアサガオに会いに行ったことを未だに根に持っている少女は青年に向けていた笑顔から切り替えてしかめっ面を作る。

「もう、本っ当に許さないんだからね」

「悪かったって言ってるじゃない。いつになったら許してくれるのよ」

 困った顔をするアネモネを見て、純粋な少女は言った。

「……クリスと一緒に謝ってくれたら許す」

「なんで俺?」

 アネモネは頭を下げた。

「ごめんなさい。はい、クリスも」

「嫌なんだけど」

「私のために頭を下げなさい……これから昼寝の邪魔はしないと誓うわ」

「対価が釣り合ってないから貸しな」

 そう言うとクリスも頭を下げて謝ってくれた。しかし、リリィは物足りないと唸る。

「まだ足りないの?」

「うーん、あ、じゃあ、夏祭りで何か奢ってくれるなら」

「貴方も強くなったわね。まぁ、いいわ」

「八月の二十四日。絶対だよ? クリスもね」

「……急にシフト入っても許せよ?」

「その時はアキレアに連れてきてもらうわ」

「勘弁しろよ」

 クリスはため息をつく。お金にがめつい彼は奢るという行為を基本的に是とはしない。あまり気乗りはしないが、リリィの機嫌をとるには致し方ない出費なのかもしれない。盗人の少年は再度ため息をついた。

 流石に無理を言ったかと心配になったリリィはやっぱりいいやと首を振る。

「奢らなくていいから、一緒に行こう?」

「……わかった。無理言ってでも休む」

 純粋な少女はクリスの返事を聞いて舞い上がる。幸せそうな笑顔を向ける少女を先頭に三人は帰路についた。

 その道中、占い師の人に感謝を言おうとリリィが言ったものだからついて行く。大通りの出入り口前、四角い家の窓を黒いカーテンで隠した店の前を通る。時刻は五時を回ったところだから店が開いている訳もなく、少々気分が上がりすぎていたことに乙女は反省し、再度帰ろうとした。

 カン、と木の棒か何かが地面を突く音がした。

 未だ太陽も顔を出さないような時間だ。人っ子一人いないような場所で音がすればそちらに無意識に顔を向けてしまう。三人が振り向いた先にいたのは、黒いローブを頭から羽織った老年の女性だ。ローブから僅かに覗く唇は震えながら声を紡ぐ。

「よもや、こんなところでお会いできるとは」

 しゃがれた声を目の前の老婆は出す。

 リリィは目の前の女性を見て、声を聞いて確信する。

「あの時、占ってくれたおばあちゃんだ」

 アネモネは胡乱げに老婆を見つめ、記憶の片隅にあった彼女の素性を思い出した。

「貴方、もしかしてプリムラかしら?」

「おぉ、覚えておいでですか。そうです。いかにもわしがプリムラ・マラコイデスです、アネモネ様」

 弱弱しく老婆はお辞儀をする。そんな彼女を追いかけるように黒い服の女性がこちらに駆け寄ってきた。この黒い服を着た女性は見覚えがある。占い師の女性ではないだろうか。

「貴方、こんなところで占いをしていたの?」

「えぇ、老いた体ではどこにも行けませんし、なにより、孫と一緒に暮らせるのは幸せですから」

 黒い服を着た女性がお辞儀をする。話の流れからして彼女が孫なのだろう。祖母の姿を見て占い師を目指したのなら、老年の女性にとっては嬉しいことこの上ないだろう。

「えーと、何の話をしてるの?」

 リリィが首を傾げて耳元で尋ねてきた。そういえば、説明をしていなかったとアネモネはリリィとクリスの方を向いた。

「彼女の名前はプリムラ・マラコイデス。以前、貴族の間で占いが流行ったことがあってね。その時に何度も王宮に呼んだ人よ」

 愚妃の言葉を聞いて、二人は目を丸くした。

「お、お城に行った人なの? そ、そんな人に占ってもらったの、私!」

「まぁ、そういうことになるわね」

 愚妃は肯定する。すると、孫である女性が老婆に問う。勝手にお客さんを占ったのかと。続いてリリィに頭を下げて謝っていた。純粋な少女は気にしていないどころか良い経験だったと話した。

「プリムラ、貴方も孫を困らせちゃ駄目よ」

「こんな歳なんだから、好きにやらせて欲しいものですよ」

 老婆は引き笑いをした。

 思いがけない再開を果たした三人は笑顔で別れる。別れ際、老婆がアネモネに向かって口を開く。

「アネモネ様、お気をつけください。これから、貴方に困難が、苦悩が、そして選択という運命が待っております」

「それは、どれほど苦しいのかしら?」

「もしかしたら……いいえ、確実に人生を歩む中で最もお辛い経験となるかと思います」

 愚妃は驚きを胸に秘め、笑顔で別れを告げた。

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