第36話姫は赴く

 五月一日の午前十時、アネモネは城の大広間へと通ずる扉を開いた。荘厳で常人ならば委縮して王の呼吸一つにすら意識を集中し、自分の命運に固唾を飲んでしまうような場所を、アネモネは前髪をかきあげてまるで一流のモデルのように白い床を歩んでいく。


 現在の愚妃は赤色のドレスを身にまとい、金色の髪を赤色のかんざしでまとめている。いつも城下町で着ている茶色のワンピースと白色の前掛けなどは王並びに王妃の前では失礼であるらしく、意義を申し立ててもメイドたちは聞く耳を持たなかった。

 そのため、今、今世紀最大級の怒りを堪えながらムスカリとランタナの前にいる。追い出したあの日のように不機嫌を露にしている娘に、二人の親は苦笑した。


「アネモネよ、あまり変わりがないようだな。一か月も民草と暮らせば遠慮容赦の言葉を覚えるかと思っていたが」


 ムスカリはため息をつく。なんだか、呆れたという様子を表現しているだけであって、本当は嬉しさを誤魔化すためにやっている仕草のように見える。


「パパ、演技はいいから。それより本題に入ってもらってもいいかしら。私を呼んだ理由はなに?」


 アネモネは両手を腰につけて聞く。それから、手に持っていた手紙を広げて二人に見せつける。この手紙は、アネモネが手紙を出した三日後。つまりは四月の最終日に届いたものだ。


 手紙の内容は、五月一日の午前九時に使いの馬車を寄越す、だから、城に来い、これは命令だ、とのことだ。


 絶賛反抗期である愚妃は手紙を破いて届かなかったことにしたかったのだが、そんなことをしてしまっては何を言われるかわからない。お前は罪人だ、などと言われてもおかしくないような別れをしたから、アネモネとしては頭が痛いことこの上ない。だから、今日渋々だが馬車に揺られて城へと赴いたのだ。


「高い羊皮紙を使ってたったの三行しか手紙を書かないのはなんでよ。もっと書かなくちゃいけない内容があったでしょうに」


「喜ぶ姿がみたかったからが理由だが、よくよく考えれば、グラジオ男爵が手を焼くことだから厄介なことでもある。まぁ、言ってしまおう。仕事を用意した。グラジオ男爵の第二子であるツユクサ・グラジオの講師として働いてもらう。給料はこれを果たしたのなら十六万エル。一日六時間だ。休みは毎週日曜日。これを一か月だ。休日はどこに行くも自由だ。好きにするが良い。だが、それ以外は家の者の許可が降りない限り、グラジオ男爵の敷地外に出ることは許さない。良いな?」


「……てっきり、仕事は自分で探せと言われるものだと思っていたわ」


 アネモネは目を丸くする。


「誠心誠意働くのだぞ。服装は自由だ。アネモネの好きなものを選びなさい」


「じゃあ、今日着てきた服を着させてもらうわ。なんだか、いやに派手なのは性に合わなくなっちゃって。でも、姫の威厳がなんだというなら、私から譲歩してあげてもいいけど」


 ムスカリとランタナは瞠目する。


「お前からあの服を着ようと言うとは。まぁ、良かろう。何か文句をつけようものなら、爵位の剝奪でもするから、安心して行くがよい」


 王は呵々大笑しているわけだが、金を払ってアネモネから技術を学ぼうとしているわけであって、要するにアネモネが粗相をしてあちらが不利な立場になるのは間違いであるとアネモネは感じた。


「それはやりすぎよ、冗談がすぎるわ。とりあえず、私のやり方でやらせてもらうから。あちらが気に入らないというのであれば、私はそれを受け入れるつもりよ。だから、邪魔はしないで頂戴ね」


「ほう、お前からそんな言葉が出てくるとは、嬉しいことこの上ないな。良かろう。馬車は用意している。頑張るのだぞ」


「えぇ、わかってるわ。あと、感謝するわ」


 アネモネは振り返り、大広間を後にする。ムスカリとランタナは少なからず、アネモネの成長を感じたのだった。




 時刻は午後一時。また馬車に揺られてたどり着いたのはレンガ造りの宮殿のような家だ。門を開けると広い道と噴水がある。この国は噴水が好きだなとアネモネが思っている内に玄関についた。読んでいた本を閉じ、執事に促されて馬車を降りる。石畳を踏む心地の良い音を耳に入れ、扉の前へと行く。執事が扉を開くと、目の前には正装を身にまとっている男性と女性の姿があった。きっと、グラジオ夫妻だろう。しかし、男爵を名乗るには質素な装いだ。


 アネモネはワンピースをつまんで少し持ち上げる。右足を後ろに引いて頭を下げた。


「お初にお目にかかりますわ。グロウガーデン王国第一王女、アネモネ・ブバルディアですわ。一か月という期間を私の我が儘のために下さってくれたことに感謝がつきませんわ」


 アネモネは堂々と猫を被った。


 よく考えてみて欲しい。アネモネが手紙を出したのは四日前。そこから三日後に手紙が届いた。つまり、父は二日程度でアネモネの仕事を用意したのだ。きっと、王の権限をフルで稼働して見つけたのだろう。これは、愚妃が話したからこのような機会が出来たわけで。王が娘のために張り切ったがためにできた機会であるため、これをじゃじゃ馬娘の我が儘と言っても過言ではない。しかし、せっかくの機会であるため、最大限に活用させてもらうこととする。


「サルビア・グラジオ男爵です。こちらはスズラン・グラジオです。こ、この度はようこそいらっしゃいました、アネモネ様。お城からわざわざお越しいただいて私の愚息にご教授いただけることのなんたる光栄か」


 頭を下げて男性が挨拶をする。青い顔をしているから、緊張でもしているのだろう。今思えば、彼らが質素な服装なのは姫のご機嫌をとるためではなかろうか。過激な貴族は自分よりも豪華な装束をしている人がいれば即刻喧嘩するものもいると聞く。噂は怖いもので、きっと、彼らもアネモネが愚妃と呼ばれていることくらい知っているだろう。まったく、嫌なものだ。


「さて、早速ですけどツユクサ様とお話をさせていただきたいですわ」


「ア、アネモネ様、私の息子に様などつける必要は」


「いいえ。私は講師として雇われている立場ですわ。そのことを念頭においていただきたいですわ」


 アネモネが強くそういうものだから、グラジオ男爵は受け入れる。


「わかりました。それでは、案内します」


「えぇ、お願いしますわ」


 サルビアの後をアネモネは追った。

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