第33話姫は泣き、少年は慰める
暗く、曇天に太陽が呑まれて光が届かないような路地裏を、アネモネは神輿のように担がれながら疾走していた。愚妃を誘拐した三人組は息を荒くしながら走っていく。担がれている側のアネモネからすれば、、乗り心地は悪いことこの上なく、また誘拐というには大胆かつやり方が雑であったため、彼らは人を攫うことに慣れていないことが裕にわかった。
「放しなさい! 放しなさいったら!」
愚妃は三人の影の上で暴れた。慌てふためく三人組はそれでも走るのをやめない。
「おい、暴れるんじゃねぇ! 早く逃げないと、犬が追ってきちまう。全員、もっと足を動かすんだあ。アジトに戻るぞ!」
先頭を行く大きな影が協力者である残りの二人を鼓舞する。軽快に返事をする二人は気合を入れて大声で叫び、負けじと大きな影も声を張り上げた。
「馬鹿みたいなことはやめなさいったら!」
よくよく耳を凝らすと聞き覚えのある声だ。三人を上から見てみると、一人はやたらと体が大きい。そこから三人の正体を導き出すと、こいつらはクリスと組んでいたあの三人組だということがわかった。
ムカついたアネモネはさらにもがくが、掴む手を振りほどくことができない。万事休すかと思われた。だがその時、一つの声が暗い路地を照らす光のように響いた。思わず足を止めた三人は振り返る。そこにいたのは、一人の少年であった。
「おい、お前たち。アネモネに何やっているんだよ」
三人はアネモネを下ろす。愚妃はこれを好機とみて逃げようかと考えた。だが、何故かここで見ていなければいけないような気がした。
口ごもった二人をかき分け、肥満の少年は前に出る。
「誘拐したんだよ。お前を連れ戻すために」
「連れ戻す? なんでだよ。お前たちも教会に来れば何一つ問題はないだろ?」
太っている少年は拳を握り、叫んだ。
「違うんだよ! 俺たちはさ、お前のおかげで良い場所で暮らすことができるようになったんだ。それに、お前は言った。城の宝を盗めば生活はさらに良くなる、一生遊んで暮らせるんだって。盗みをすれば十中八九俺たちだけだと捕まって殴られた。蹴りを入れられてた。でも、お前が来てから全部が上手くいって。だからさ、城の宝を盗もうっていう計画は突飛すぎて、でも、必ず上手くいくって思ったんだよ。最高の夢なんだよ。なのに、なんだよ。こんな女の言葉を信用して、教会で暮らすって言いだしてさ。そんなの、間違っているだろ!」
顔を赤くする少年に対して、クリスは冷静に言葉を投げた。
「間違ってなんかいない。城の宝を盗むのだって、いつになるのかわからない。そんな無茶をこれから背負いながら生きていくよりも、ここで犯罪をやめて安定した生活をとるのが当たり前だろ」
肥満の少年は大口を開ける。だが、何とか説得しようとまた声を出した。
「じゃあ、俺たちが目指してる夢はどうなっちまうんだよ。こんなに盗む努力をして、夢を追っている俺たちはどうやって生活をしていけばいいんだよ! お前が、ローレルがいなくちゃ、何も出来ねえよ」
肥満の少年は珍しく弱音を吐いた。その様子に困惑したクリスは言葉が出ない。この瞬間を連れ戻すチャンスだと直感的に思った肥満の少年は懇願した。
「なぁ、頼む。頼むよ。戻ってきてくれよ。教会になんか行くなよ。俺たちとまた、夢を追ってくれよ!」
クリスは俯いた。答えはもう決まっている。それを言うべきかを迷っている、いや、言うことができない自分に呆れてしまう。三人を傷つけたくないと思ってはいるものの、これを言わなければ彼らから……盗みから手を引くことができない。
クリスは大きく息を吸い、吐いた。
「小屋の二階。俺がいつもいた、少しの足場しかない場所があるだろ。あそこに積んでいる藁の中にいままで溜めてきた金がある。それで手打ちにしないか」
肥満の少年は一瞬、笑顔を作った。だが、すぐに意味を悟った少年は信じられないとでも言うように呆けた。まだ、クリスを信じたいから、彼に話しかける。
「戻ってきては、くれないのか?」
「……すまない」
肥満の少年の顔は瞠目し、瞬時に顔が悔しさと憤りに染まった。我慢できずに盗人の少年に殴りかかる。仰向けに背をついたクリスの腹に跨って何度も殴る。殴って、殴って、最後は、力なく拳を頬に当てることしか出来なくなった。肥満の少年は目元を擦って、立ち上がり、クリスの元から離れていった。二人の少年も彼を追う。
「ローレル、お前がいなくなって寂しいよ」
三人組は路地裏の陰に消えていった。
クリスは大の字に寝る。何か、大切な物がなくなったような喪失感。心にぽっかりと穴が開いてしまったような虚無感。憂鬱になって、思わずため息をついた。
「ため息をついたら、その分幸せが逃げていくわよ」
声がした。高く、可愛らしい少女の声だ。返事をしないと不機嫌になるだろうと思って、クリスは口を開く。
「誰の言葉だよ」
「おじいちゃんよ。私がため息をついたら、いつもそう言ってくれたわ」
クリスは目を瞑った。眠れば何もかもがすっきりとして良い気分で目覚めることができるだろうと思ったからだ。だが、固い石畳の上では寝ようにも寝れない。せめて、暖かいものでもあったらなと思う。
その矢先、クリスの頭が持ち上げられ、人肌の温もりを感じる何かの上におかれた。そして、全身が暖かい光りにでも包まれた様に心地がいい。
ぽたぽたと頬に雨粒が降ってきたから、少年はうっすらと目を開いた。すると、目の前には顔を覗くようにしてクリスを見ている少女の姿があった。きっと、膝枕でもしているのだろう、やたらと少女との距離が近く感じる。空は晴れて、アネモネの顔には影が差していた。
「ご苦労様ね。まさか、貴方たちの関係に深い溝が出来ていたなんて、知らなかったわ」
「あぁ、最悪だ。仲間と縁を切っただけだっていうのに、こんなに苦しくなるなんて」
「けれど、大きな一歩でもあるわ。歴史に残る、偉大な一歩ね」
クリスは大げさなと呟くと、アネモネは頭を撫でた。
「今度はなんだ?」
「おじいちゃんが私にしてくれたことよ。頑張った後はいつも撫でてくれたわ」
少年はむず痒くなって、手をどけた。恥ずかしそうに目を逸らすクリスに気づいて、アネモネは微笑んだ。すると、また雨粒が顔に落ちてきた。晴れているのにだ。
「……泣いているのか?」
先ほど雨でも降っているのかと思ったが、こんな晴れているのに雨は降らない。クリスは問うが、アネモネは何も言わない。肯定ととってもいいだろう。
「お前の肝っ玉でも怖いと思うことはあるんだな」
「別に、怖いとは思っていないわ」
「じゃあ、なんで……もしかして、ダチュラがお前の心を踏みにじったからか?」
アネモネは息を吸う。嗚咽を我慢しようとしているようだ。
「別に、違うわ。私の自己満足で、あいつに、関わっただけよ」
ところどころに鼻水を啜る音や我慢しきれなかった嗚咽が混じっている。クリスは虚ろに言った。
「話、聞かせてくれよ」
「別に、話なんか」
「そうだな。じゃあ、俺の過去を勝手に聞いたんだから、お前の過去も聞かせろよ」
アネモネは逡巡する。だが、意を決して話すことに決めた。
「私はこの国の姫。だから、いつも過度に稽古を押し付けられていたわ。踊りやら音楽やら礼節やら。皆厳しくて、それが辛くて。それはおじいちゃんの家に言った時も同じ。でも、おじいちゃんは私の弱音を全部聞いてくれたわ。優しくて、あったかい手で、天国にでもいるみたいだったわ」
アネモネはでも、と言った。
「そんなある日、私が十一歳の時のことよ。おじいちゃんの余命が後一年だって知らされたの。おじいちゃんに会いに行った時はいつもベッドの上で寝ていたから、前々から病にでも侵されているんじゃないかって思っていたわ。一年って、短いのよね。私はおじいちゃんに弱いところばかりを見せてきた。だから、立派なところを見せたかったの。いつも嫌だって思っていた稽古を頑張って、頑張って。先生も息を飲むような実力になって。そこでおじいちゃんに会いに行こうとしたの。そしたら、一日遅かったわ」
アネモネはまた嗚咽を我慢するように息を吸った。
「後一日早くおじいちゃんのところに行くことができていれば、私はおじいちゃんに安心してもらうことが出来たはずなのに。悔しくて、たまらなかったわ」
「そんなことが……でも、ダチュラとは関係ないんじゃないのか?」
「いいえ。それが、あの人と会った時、おじいちゃんみたいな、優しい雰囲気を感じたの。半月前、汽車の中で会った時にね。だから、おじいちゃんにしてあげたかったことをあの人にしたの。その反応が、またおじいちゃんみたいだったから。あの人が犯罪者だなんて、知らなくて」
顔に影が差していても、アネモネが泣くことを我慢できていないことはわかってしまう。
「私も、社会に吞まれていたらしいわ」
「それで泣いているのか」
「泣いてないわ。泣いたら、おじいちゃんに顔向けできないじゃない」
おじいちゃんの面影を重ねたのが犯罪者だから、そう言うのだろうとクリスは気づいた。だから、少年はそうかと呟き、気づかないふりをしてアネモネの頭を撫でた。
「お前も辛かったんだな。たまにでいいから、お前の過去も俺に話してくれないか」
「……なんでよ」
「気になるから。お前が辛いとき、吐き出せる場所がないから。溜めこむと、俺みたいに腐るぞ。社会に呑まれた者同士、辛いことは分け合おうじゃないか」
クリスの目が優しく弧を描く。だから、そんな顔を見たことがないからアネモネは笑った。
「……ちなみに、正しくは社会に揉まれるよ」
「……知ってたし」
短い沈黙。静寂を破ったのは、アネモネの笑い声だった。面白かった。すねている彼の顔がとても面白かった。なんだか、居場所が出来たような気がして、ほっとしたら、雨が止まなくなった。
少年は頭を撫で、姫は甘えた。
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