第32話姫と盗人は雨に濡れる

「さて、来たわね」


 自分を姫だと言う少女に呼び出された。場所は路地裏だ。


 サイネリアと仲直りをしてから四日が経った。時刻は午後四時。日が傾き、太陽が橙色に輝く時間だ。だが、今日の天気は雨。黒い曇天が陽光を防ぎ、路地裏ということもあって周りはとても暗い。彼女の顔さえよく見えない状態だ。


 呼び出された少年は警戒しながら言った。


「こんなところに何の用だよ。まさか、俺を警察に突き出すのか?」


「そんなつまらないことではないわ。貴方には選択する権利を与えようと思うの」


「選択する権利?」


 復唱したクリスの言葉にアネモネは頷く。


「そう。例えば、貴方の目の前には怪物がいる。人を何人も殺して、その果てに捕まり、断頭台に首を嵌められた恐ろしい怪物が、今にも泣きそうな目で語りかけてくる。その怪物は、自分自身の家族を奪っておきながら、傲慢にも助けてと。そんな事態に直面した時、貴方は怪物をどうしたいの?」


 不敵に笑ったアネモネは横に歩いた。その向こうにいたのは、グロキシニアだった。屈強な騎士の二人に拘束され、口には縄をつけられている。


 意図しない再開にクリスは瞠目する。


「お、おい、なんでグロキシニアさんがいるんだよ」


「まだ、さんなんてつけるのね。まぁ、いいわ。本名はダチュラ・オキザリス。この男は間抜けにも私と汽車の中で会っていたのよ。孫と会うと言っていたことと私の願望を叶えるために話したことから覚えていたわ」


 アネモネはグロキシニア、もといダチュラを見て言う。


「運が悪かったわね、私と会うなんて」


 彼を拘束する騎士の一人がダチュラの口にある縄をとる。目が血走っている男はよだれを垂らしながら叫んだ。その様子を愚妃は悲しそうに見つめていた。


「クソ女! そんな奴と会わせて何がしてえんだ! そもそも、俺を捕まえられる証拠があるとでも?」


「貴方の足跡を辿ったら、麻薬とそれに伴って毒草も発見したわ。この毒草、飲むと体が麻痺して、いずれ死に至るらしいじゃない。言い逃れができるのなら聞いてみたいわ」


 男性はクソと叫びながら、嗄れ声で助けを呼んだ。しかし、ここは廃屋が立ち並ぶ街の一端だ。助けを呼ぼうと誰も聞こえない。


「さて、まずは話をしましょうか。貴方は私の友人四人を貶めたのだから」


 アネモネは人差し指を立てる。


「まずは、クリスね。貴方は彼の母親、ローズを狙った。婚約している父親、ネリネの店に迷惑客、細かく言うと料理をひっくり返したり、物を壊したりするような人たちを店に押し付けた。普通なら警察が捕まえてくれるけど、貴方は買収していたのよね。心身ともに疲れているネリネに毒草の粉を混ぜた麻薬を売る。店はつぶれ、体が動かなくなっていったネリネの代わりにローズがお金を稼ぐために娼館で働いた。この時、忘れずにクリスに薬と称して毒を渡していたわね。しばらくして、ネリネは死に至った。本当はここでクリスも殺して、ローズの心を壊そうとしたのよね、廃人にするために。そうすれば何も考えずにぼったくりといっても過言ではない額の借金を返してくれるもの。けれど、薬が毒だと勘づいていたローズが先に亡くなったため、計画はつぶれた。そうね?」


 ダチュラは叫んだ。


「違う! 証拠を見せてみろ!」


「クリスと、それからタンスの中に入っていた薬が証拠ね。案外残っているものね、あんな場所だと」


 アネモネは続けて中指を立てる。


「次にリリィ。彼女のお父さんは麻薬にはまってしまったからあのようなことになってしまったわね。迷惑客と麻薬、そこから生み出された借金は相当のものだったでしょうね。クリスと違ったことは彼女のお母さんが病弱だったこととそれを考慮して毒を売らなかったことね」


「証拠は! 証拠は!」


「リリィだけね。でも、やり方が同じだから。曖昧だけどね」


 アネモネは薬指を立てる。


「次にサイネリア。彼のことをアキレアに調べさせたわ。追加で一万エルを要求されたときには腹が立ったわね。まぁ、いいわ。彼も同じようなやり方。でも、彼の妹も巻き込んだわね。胸糞が悪いことこの上ないわ。おかげで一家で心中。唯一、サイネリアは警察に捕まっていたおかげで生きている。今は教会に住んでいるわ。クリス、貴方を急かしたのはこれが理由よ」


 急に話しかけられたクリスは戸惑いながら相槌を打つ。


「証拠は? 全然あてにならねえ奴しかねえな!」


「そうね。今回も収穫としてはないわ。サイネリアもよく覚えていないようだし」


 アネモネは咳ばらいをして小指を立てた。


「最後よ。これが本命と言っても過言ではないわ。ハルジオン。彼女の両親は迷惑客による経営難と麻薬に手を染めたわ。けれど、麻薬を含んでいた期間が短かったのね、混ぜられていた毒の影響をさほど受けてはいないわ。それでも半年で多額の借金を抱えたわけだけど。ハルジオンを教会に預けて今は隠れて生活しているわ。貴方たちから逃げるためにね」


「それの何が証拠になるんだよぉ!」


「そうねえ、ハルジオンは何一つ知らないけれど、両親は全てを知っているわよね。麻薬も迷惑客も。というか覚えていたわ。まぁ、当たり前よね」


 愚妃は暗に二人を見つけてたと言っている。少女の言葉を聞くと同時にダチュラは目を丸くして、アネモネを殺そうともがく。だが、屈強な二人の男性に押さえつけられては動くこともままならない。ダチュラは鼻先にアネモネがいるというのに、何もできない哀れな獣と化した。


 アネモネはさてと言って振り返る。その先にはクリスがいた。クリスは未だに事態を呑み込めていないようだ。


「貴方の親の敵が今、目の前で獣のように捕まっているわ。さぁ、選びなさい」


「え、選ぶって?」


「勘が鈍いわね。彼の生死を決めさせてあげると言ったのよ」


 クリスは耳を疑った。普段なら警察に任せるか裁判に任せるかする彼女らしからぬ言葉だったからだ。そもそも、このまま逮捕されるのが当たり前だというのに、なぜそうしないのか。なぜ、彼女の犬であろう彼らに捉えさせているのかがまったくわからない。いや、きっと俺に決めさせるためだけに彼らに捕まえさせたのだ。彼女は本気だ。


「生死って、いきなりすぎないか? 確かに、俺はグロキシニアさ……ダチュラには恨みしかない。でも、それをただの市民である俺が決めるのは間違っていないか? それに、それを国が許すのかよ」


「バレなければ何一つ問題はないわ。それと、何が間違っているの? 社会では人を裁くのは人、でも、被害者本人ではない。それに満足がいくなら、貴方は人がいいわね。私は私にあだなした人を私自身で葬り去りたいわ。さ、早くなさい。私は気が立っているわ」


 クリスは戸惑って言葉も出ない。あまりにも突発な出来事に気が動転し、さらに心を惑わす声が怪物からした。


「なぁ、クリスよぉ。助けてはくれないか?」


 怪物はいつかのように、囁いてきた。


「確かに俺はお前の両親を殺したようなもんだ。それを今になって後悔している。だって、最低だろ? 今までやってきたことを思うと、俺がやってきたことはあまりにも許されないことだ。だけど、俺には孫が出来た。俺の子供たちは小さい内に俺の前から姿を消した。かと思ったら、立派になって俺の前に孫を連れてきたんだ。最初は俺の元から逃げた奴が今頃になって何の用だって思ったよ。だけどな、俺に更生してほしいからって、俺に優しくなって欲しいていう理由だけで俺を通報もせず、ただ孫の顔を見せてきたんだ。その双子の顔を見たときに感じたんだよ、幸せを。そして、思ったんだよ。俺はこれを今まで散々ぶち壊してきちまったんだって。それを思うと、心が痛くて痛くて、たまらなっかった。なぁ、俺はもう、誰も不幸にしたくない。だから、俺と関わるな。お前の手を汚すなよ。不幸の連鎖は、ここで終えないか? なぁ、クリス」


 このまま、殺すことが出来れば父と母の敵をとれる。けれど、この敵討ちは自己満足だ。はっきりと断言できる。俺は更生するためにアネモネについて行った。半ば強制だったが、今となってはあまり後悔はしていない。


 盗人の少年は思い出した。父は自分に優しくなって欲しいと言っていたことを。


 少年はダチュラの生死について考えた。更生、優しくなって欲しいという思い。どちらも、自分の大切な人が自分になって欲しいと思ったことだ。父が、アネモネが自分に望んだことをダチュラの子はダチュラに対して望み、それを彼は叶えたいと思った。なら、殺すのは間違っているのではないか。


 曇天から落ちる雨は止んだ。クリスは、目を泳がせて口を開いた。


「嫌、だ。そいつを殺したくない」


「……理由を求むわ」


「……それが俺の好きな人を否定することになるから。そいつが死んでも誰も喜ばないと思う。俺は腐ると思う。だから、殺すのは間違いだ」


 アネモネは鋭い目ででクリスを見やり、頷いた。


「そうね。正しいわ。貴方は間違っていない。素晴らしいわ」


 その時、雲間から光りが挿した。それはアネモネの暗い顔を照らしていた。


「でも、私は許せないわ。我慢できない。我慢したくない」


 アネモネはクリスの手を引く。橙色の陽光は代わりにクリスのための照明となり、少女は影の中に行く。


「覚えておくといいわ。私が今からすることは間違いよ。これをしたせいで私はお城で孤立した。いえ、アキレアがいてくれたから孤立とは言えないわね。ともかく、こんなことはしてはいけないわ」


 アネモネは暗い目でダチュラの顔を蹴り上げる。男性を拘束していた二人は驚き、止めるように言う。だが、アネモネは止まらない。思わず、一人の騎士が愚妃を掴もうとしたが、アネモネは冷徹に言い放った。


「動かないで頂戴。これは命令よ。破った際には貴方たちの命は無いものと思ったほうがいいわ」


 少女の言葉に騎士たちは従うしかない。それから、またアネモネはダチュラの顎を蹴った。一度だけでなく、三度もだ。合計すると四度蹴ったことになる。


「ただ、むしゃくしゃしたからって、自分のしたいこと、例えば暴力や嫌がらせは自分を殺すわよ」


 クリスは困惑を露にしてアネモネに問う。


「お、おい、なんで蹴ったんだよ。お前には関係ないだろ?」


「関係あるわ。私の友達を不幸にした。それから、私の心も踏みにじった。おじいちゃんに面目がたたないわ」


「それって、どういう」


 その時、クリスの後ろから三つの影が横を通り過ぎた。それはアネモネを掴んで逃げていく。神輿のように担がれてクリスの横を通り過ぎた影を騎士たちは追おうとしたが、アネモネが止めた。


「動くなと言ったでしょ! 先にその犯罪者を牢に!」


「アネモネ!」


 思わず叫んだが、アネモネはもがくことに夢中で気づかない。どんどんと遠くなっていく影をクリスは追った。

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