第30話二人の少年は怒り、それを知った少女は嘆く
教会に戻ったアネモネたちはベンチに腰を落ち着けた。左右にあるベンチにそれぞれ座っている。二人の関係を考えればこの距離感になるのは当たり前なのだが、少女にはどうも気になって仕方がなかった。
「さて、ここなら思う存分話せるでしょう? 喧嘩するなり仲直りするなり、好きにしなさい」
アネモネは言うが、二人が会話をすることはない。ただ重い空気が流れるだけだ。この場を設けたのは少女なのだが、痺れが切れそうになる。アネモネがため息を着いた時、クリスが口を開いた。
「なぁ、アネモネ。お願いがあるんだけど、二人にしてくれないか?」
少年の願いを聞いて、それで変わるのか? とは思ったが、今思えばアネモネは部外者なのだ。二人だけの話に割って入るのは無理だと少女は悟った。
「あぁ、そういうことね。邪魔者は去るわ」
少女は教会の奥へと姿を消す。残ったのは変わらない重い空気と二人の少年だけだ。しばらく、じっとして時間が過ぎていく。意を決して、震える唇でクリスは息を吸った。
「さっきはすまなかった。俺の配慮が足りていなかった」
「配慮の問題じゃねえんだよ。俺に姿を見せてんじゃねえよ」
また沈黙が降りる。口を開く様子もないクリスに良心が残っている少年は嫌々話しかけた。
「なぁ、なんで殴り返してこなかったんだよ。それどころか抵抗もしなかったよな、お前」
話を聞く限り、先ほどの喧嘩のことを話しているのだろう。サイネリアから話しかけてきたことにほんの少し喜び、盗人の少年は質問に答える。
「別に喧嘩したくてお前のところに来たわけじゃないから。ただ純粋に謝りたかった」
「謝る? ふざけるなよ。こっちはてめえに騙されたせいで家庭をぶっ壊されたんだ。それを今頃になってぶり返しやがって。早くどっかに消えちまえよ」
突き放す少年の言葉にしかし、クリスは食い下がる。
「そのことは重々承知している。俺がしたことも全て。だから謝りたくなったんだ。今頃になっちまったけど」
「償いたいって思うなら俺の前に姿なんか見せてんじゃねえよ」
また、沈黙が降りた。ドア越しに聞いているアネモネは顔をしかめる。そこにハルジオンがやってきた。いつも通りぬいぐるみを抱いている。きっと、昼寝でもしていたのだろう、寝ぼけて寝室のドアを開け放している。最近は自分から愚妃に近付くようになったかわいらしい少女は首を傾げ、アネモネに問いかけた。
「アネモネお姉ちゃん、何やってるの?」
「男同士の喧嘩を聞いているの。まぁ、格好よく言ってはあげたけど、要するに過去を引きずったつまらない言い合いね。おこちゃまの喧嘩よ」
アネモネが切り捨てるように言うからハルジオンとしては理解しがたい。
「誰が喧嘩してるの?」
「クリスとサイネリアよ。ハルは間違ってもあんな風に育っちゃだめよ」
サイネリアの名前が出たことに反応して、壁に耳を当てる少女を真似してハルジオンも同じようにして耳をすませる。
「そういえば、ハルは二人と仲がいいわよね。馴れ初めを聞かせてくれないかしら」
「ハルは何もしてないよ。サイネリアはハルにいっぱい話しかけてくれて、クリスお兄ちゃんはたまたま隣に座ったら話しかけてくれたの。二人ともとっても優しいよ」
ぬいぐるみを抱えた少女は二人が険悪な関係だと今知ったようだ。とても悲しそうに見える。というか何か言いたげだ。
「そうなの。なら、なおさら嫌よね、仲の悪い二人を見るのは」
小さい少女は首肯する。
「変えたいなら行動しなくちゃいけないわよね」
少女は再度首肯する。アネモネはこの子なら二人を変えることができるのではないかと考えた。アネモネが口を挟めば邪魔者だが、仲良くあってほしいと純真な心でそう思うハルジオンならば適任なのではないかと。
「ハル、頼めるかしら」
ぬいぐるみを強く抱き、少女は頷いた。その時、ドア越しに怒号が聞こえた。声の主はサイネリアだ。
「だから、てめえに出来る事なんかねえんだよ。消えろよ。なんでそんなに俺にこだわるんだ。お前が不幸にしたのは俺だけじゃないだろ!」
「俺は更生してやり直したいんだ。そのためにここに住みたい」
「じゃあ目的は俺に謝ることじゃないんだな。ここに住むために仕方なく仲良くなろうとしているんだな!」
「そんなわけがないだろ! 俺は本気でお前と友達になりたいって思ってる。だから過去のことも何もかもを悔いて、今こうしてお前の目の前にいるんだよ!」
二人の喧嘩が激しくなってきた。叫び声とベンチを蹴る音がする。そんな中に少女を入れようというのだ。正直言ってアネモネは正気じゃないと作者は思う。だが、アネモネはハルジオンを信じた。
「醜い喧嘩に巻き込んでしまったこと、深く詫びるわ。でも、だからこそお願い。二人を助けて頂戴」
体を震わす少女はアネモネを見た。その顔は呆れて笑っていた。だから、なんだか拍子抜けしたような。おかげで、緊張は和らぎ、覚悟が決まった。そして、意を決してドアを開いた。
ゆっくりとドアが開く。建付けが悪いのか、甲高い音をエントランスに響かせ、喧嘩をしていた二人は思わずドアの方を向いていた。その奥から姿を現したのは、固い表情のハルジオンとしたり顔のアネモネだった。
争いを一時中断した二人は困惑のあと、愚妃の顔を見て、あいつ、やりやがったなと奇しくも同じことを思った。サイネリアがクリスの胸倉を掴み、押し倒すような体勢であったため、二人は離れた。
「二人とも、なんで喧嘩しているの?」
ハルジオンから突然飛ばされた質問に、二人は顔を見合わせ、ため息をついてサイネリアが答える。
「こいつが、俺の家族を殺したも同然なのに、それを今頃謝りたいって言うんだ。嫌だろ」
「なんで? なんで嫌なの? 心をこめて謝っているのに、どうして?」
サイネリアはぬいぐるみを抱えた少女に対して、珍しく苛立ちを隠さずに叫ぶ。
「だから、こいつが俺の家族を殺したんだよ。それ以外に理由がいるかよ!」
「でも、クリスお兄ちゃんは本気で後悔しているように見えるよ」
「それがどうした! そんなの、前みたく演じているだけだ! 絶対に、こいつは信用しちゃいけない!」
「ハルはクリスお兄ちゃんのこと、好きだよ?」
「好き嫌いの話じゃねえんだよ!」
「好き嫌いの話になってるよ! サイネリア、クリスお兄ちゃんの顔を見たの?」
少年は顔を見たのかという言葉にはっとした。顔を俯かせてばかりでクリスの顔を見てはいなかったように思う。
少年はクリスを見た。その目が移したのは、唇を噛みしめ、目を合わせようともしない、いや、合わせることができない少年の姿だった。以前見た彼と比べるととても弱弱しく感じる。
「クリスお兄ちゃんはきっと、本気だよ?」
ハルジオンを見た。涙目になりながらも決して引かないとでも言うような鋭い瞳だ。
「許してあげないの?」
「で、でも、こいつが俺の家族を、父さんと母さんと、そして妹を殺したのは事実、なんだ。絶対に」
サイネリアは顔を背ける。だから、ハルジオンは聞いた。
「本当に?」
サイネリアは何とも言い難い、強いて言うならば哀れに見えた。唇を噛み、それが事実ではないと気がついたのだろう。
ハルジオンは今度はクリスの元へと行く。教会の窓から挿す光が当たり、床に尻をついている少年へ言った。
「本気なんだよね?」
心配そうにそう聞いてくる少女の目を躊躇いながらも見て、肯定する。
「あぁ。じゃなきゃ、わざわざ会いになんか行かないだろ」
クリスは立ち上がり、サイネリアへと言う。
「この前も、そのずっと前も、本当にすまなかった。許されなくても仕方がないことだと思う。でも、この気持ちだけは本当だと知ってほしい」
頭を下げる少年に、サイネリアは居心地が悪そうに舌打ちをして、歩いて行く。玄関の扉に手を当て、振り返らずに口を開いた。
「勝手にしろ。もう、お前を恨むのも疲れた」
サイネリアはドアの向こうへと姿を消した。それを起点にクリスとハルジオンが肩の力を抜く。その場に座り込み、よかったと少年は呟き安堵した。
「仲直り出来てよかったわね」
心底愉快そうにこちらへと歩み寄ってくるアネモネに嫌な奴だと心中で皮肉を言って褒めた。愚妃に笑顔を向けた後、小さくて勇敢な少女にも笑顔を向ける。
「ありがとう。お前のおかげで助かった」
「ううん。ハルは何もしてないよ」
謙遜するにしては若すぎる少女はサイネリアが心配だと言い、走って行った。
「助かった。お前にも礼を言うよ」
「そうねえ、礼を言う前に謝ってほしいわ。あの時、ハルがいなかったら、貴方たちは永遠に仲良くなることは出来なかった。ハルと彼女に勇気を与えた私に謝罪しなさい」
クリスはまた頭を下げた。少年の有様に満足そうに微笑んだ少女は言う。
「今度は気長にね。急いでも良いことなんてないんだから」
「あぁ、そうする。今回のことで身をもって知った」
少年は長く息を吐いた。アネモネはクリスの隣に座り、気になることを聞いた。
「ねえ、サイネリアを警察に売ったのは本当なの?」
「本当だ。あの時、金を集めることに必死になっていたあいつに皆ついていけなくなったんだ」
「皆はあの三人組のことかしら?」
「いや。あの時は別の奴と組んでた。だから、まったく関係はないな」
「その奴らはどうしたの?」
アネモネが鋭い目でクリスを見る。少年は怯えた様子もなく答えた。
「あいつは、俺にはついて行けないって言って離れていったな」
「嘘をつかないで頂戴。裏切ったんでしょう?」
しばらく、何も言わない少年はアネモネと目を合わせる。愚妃は息を飲んだ。自分が間違ったことに手を貸しているのではないかと。
「なんで城から宝を盗むなんて話が出てきたのか。それはそのための資金だと言ってお金を溜めて、最後に裏切って自分だけ逃げるためじゃないの?」
問いへの返事はイエスだった。
「ああ。そう言ってサイネリアも前に組んでた奴も、今の仲間も騙してきた。サイネリアは薬が薬がって言って計画実行を催促してきた。でも、まだ不十分だからといって、前の奴と結託して嵌めた。三人のうち、一人が抜けるわけだからもう一人も降りるって言って出て行ったさ。今の仲間たちも騙して、裏切るつもりだった」
クリスはでもと付け足した。
「裏切るのはやめだ。実際、人と組むのはあの三人が二回目で、裏切るのは初めてだ。うまくいくかわからないから、やるのも迷っていたくらいだ」
力なく、サイネリアが言う。だが、容赦なくアネモネは少年の頬を叩いた。
「まぁ、更生したいのは本気のようだからこの程度にするわ。感謝なさい」
アネモネはこっそりと安堵のため息をつく。そして、
「サイネリアもクリスと同じような境遇だったのね」
と呟いた。
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