第29話盗人は急いて姫に叱られる

 あれから五日が過ぎた。依然としてクリスの仇であるグロキシニアについての情報は入ってこない。代わりに、クリスが教会に訪れるようになった。快く出迎えるのはアネモネである。毎回九時ごろに来て、昼食を食べ終えると帰っていく。今のところ、奇跡的にサイネリアと出くわすことはないが、今後、どのような要因で会うかはわからない。会えば喧嘩だろうから、しっかりと話し合える場を設けるようにしたいとアネモネは考えていた。


 時刻は午前十時。三日前から療養期間として仕事を休んでいるリリィとクリスが椅子に座って会話をしている。


「クリスさんって、大通りで盗人をやってたんだよね。でも、私は一度も盗まれたことがないよ。なんでなの?」


 リリィの素朴な疑問に少年は答える。


「毎回、お前の顔を見ると酷くやつれていたからな。化粧で誤魔化しているようにも見えたから、盗むにも盗みづらかっただけだ」


「へぇ、案外優しいんだね」


 笑顔を向ける少女から顔を逸らしたクリスは言う。


「別に。今にも死にそうな奴から何かを盗もうなんて思わないだろ」


「ありがとう、私を気遣ってくれて」


 少女からの純粋な感謝の言葉を受け取り、少年はあぁと適当に返事をした。


 二人の様子を傍観していたアネモネは口元に人差し指を持っていく。まず、懸念が一つ消えたことに少女は喜びを覚えた。クリスはあれでいて会話が下手なわけではない。最近はまだ距離はあるが子供たちと遊んでいるところを目にする。人と接するうえで大切なコミュニケーション能力は少年は低くない。

 懸念はまだ二つあり、一つは教会に住む権利だ。シスターに相談してみたのだが、そう上手くことが進むはずもなく、クリスの態度と神父様の反応次第だと言われた。まぁ、これは時間の問題だろうとさほど気にしてはいない。

 問題はサイネリアとの関係だ。最後の懸念として残るこれはいかに態度が良くても過去を引きずるサイネリアにとっては意味がない。更生したと子供たちやシスターと協力して大々的に説得をしようとも、クリスとの溝が狭まることはない。やはり、話し合うことが必要なのだと思う。


「アネモネちゃん。噂って信用ならないね」


「当たり前よ。噂の内容が全て当てはまることなんて稀だもの。それよりも、相続放棄の方はどうだったの?」


 そう聞くと、リリィは大きく頷いた。


「うん! ちゃんと出来たよ。おかげでこれからは夜ぐっすりと眠れるよ」


「そう、良かったわね。これで私も安心して眠れるわ」


 アネモネは相槌をうち、さてと言って本題に入る。


「クリス。貴方、サイネリアと話し合うことができるかしら?」


「どういうことだ?」


「貴方たちが犬と猿のままだと困ると言っているのよ。話したでしょ、私は貴方を更生させたいって。できれば仲は悪くても喧嘩をするほどじゃない関係にまではなってほしいのよ」


 少年は顔を俯かせた。思い悩むようにため息をつく彼にリリィは声をかけた。


「確かに、仲良くなることは大切なことだよ。でも、そんなに急いでもサイネリアにその気がないのなら空回りするだけだと思うの。焦らずに心の準備が出来たときに話し合えばいいんじゃないかな」


 リリィの甘い言葉に愚妃は同感だと意を示す。急がば回れという言葉がある。今回のこととはニュアンスが違うのだが、要は焦りが原因で失敗をするという意味で間違いではないだろう。冷静な考えが成功を呼ぶのだ。


「リリィの言うとおりね。あんまり急に押しかけてもあいつが混乱するだけね。まぁ、気長にやっていきましょう」


 そう言い、アネモネは欠伸をする。このままゆっくりとやっていけば問題もなく彼は教会に住むことができるだろう。どうやら、クリスもそれを望んでいるようだし、焦る必要などないのだ。


 だが、本気で住むことを望む彼は行動することに決めた。




 問題は翌日に起きた。時間は午後二時。大通りより少し離れた場所で二人の少年が殴り合いの喧嘩をしていると買い物の帰りに噂が耳に入った。アネモネはもしやと思い、その場に駆け付けた。すると、クリスに馬乗りとなって殴りつけているサイネリアの姿が目に入った。クリスは大の字になって抵抗している様子がないため、一方的な喧嘩だと感じた。


 だが、おかしい。非常に変だ。だって、なぜ十四歳の少年の上に十歳の少年が乗っているんだ?


 成長期を迎えたクリスのほうが体格が圧倒的に有利で、一回りも小さいサイネリアが敵うはずがないのだ。だから、あまりにも奇怪な出来事に少女は疑問が尽きない。


 ずっと見ていても良いことがあるわけではないので、アネモネは二人の元へよった。


「二人とも、何をしているのよ」


 サイネリアが手を止めて少女を見る。その顔は怒りやら悲しみやらによって歪んでいる。


「お前か。だって、こいつがいきなり俺の前に来て」


「殴られでもしたの?」


 そう聞くと、サイネリアは首を振った。


「いや、謝ったんだよ。頭を下げてさ。覚えているか? この前、こいつが更生したやらなんやら言って俺たちから金を盗んだの。こいつ、同じことしようってんだよ。また引っかかる馬鹿だと思ってんだよ、俺のことを! そんなの、許せねえだろ」


 サイネリアの叫びを聞いてアネモネは眉間をつまんだ。何をしようとしていたのかだいたい見当がついた。


「事情は分かったわ。クリス、気長にって言ったじゃない。これじゃあ、とんだ間抜けだわ」


「……ごめん」


「お前も共犯かよ!」


「そんなわけないでしょ愚か者」


 頭を冷やすために叫んだ少年の頭を叩いた。イライラしていたため、つい強く殴ってしまった。まぁ、いつものことだから気にしなくてもいい。


「とりあえず、ここは人目が多いから教会で話しましょうか。いいわね?」


 そういうと、少年は素直にクリスの腹からどく。それから彼を見て舌打ちをすると、教会の方へと歩いて行った。アネモネはクリスに手を貸して肩を並べて教会に戻った。

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