第28話少年と少女は戯れる
アネモネはクリスを連れて教会に帰る。現在の時刻は十一時半。教会にいる子供たちは昼食を作っている時間だろう。だが、働きに出ている子供が大半だから昼食は二、三人の子供たちが作り、他は外で遊んだり、お話をしたりしている。
教会の扉を開くと、おかえりという言葉もなしに子供たちは口を開けて呆けている。理由は愚妃の横にあった。
そんな子供たちを見回し、一つ咳ばらいをしたアネモネは笑みを作る。
「戻ったわ。それと、彼を連れて来たわ。貴方たち、仲良くして頂戴」
クリスは大きくため息をついた。その様子に子供たちは肩を震わせた。皆が厨房の方へと逃げていく。愚妃としては思ってもみなかった行動であったため、小首を傾げた。
「あら? 少しは慣れたかと思ったのに。やっぱり、一回話した程度じゃあ心を開くのは難しいのね」
「何を当たり前のことを言っているんだ、まったく。出ていっていいか? お前が俺を更生させようと思おうと知ったこっちゃない」
盗人の少年は踵を返して外へと行こうとするが、少女が腕を掴む。クリスは振り向いて怒鳴る。
「いい加減にしろよ。お前の勝手で俺の時間をとるなよ」
しかし、怒声をよそにアネモネは外へと向かう。腕を引っ張られて転びそうになった少年は目を丸くした。
「お、おい! どこ行くんだよ」
「貴方の望み通り、外に行くのよ。帰らせはしないけどね」
アネモネは裏庭に足を運んだ。クリスの手を離し、久しぶりに駆け回る。子供のように無邪気な少女に少年は魅入っていたが、頭を振って抵抗を覚えながら後ろを向いて歩いて行こうとする。だが、少女の声がクリスの足を止めた。
「貴方もこっちに来なさい。いつも盗むことばっかり考えていたら疲れるだけよ」
少年は躊躇いつつも振り返る。横目にアネモネを見て目を逸らす。
「なによ。遊ぶことに不満でもあるの?」
「遊ぶって言ったって、何やるかわからないし。何が面白いんだよ」
少年の言葉に、上を向いた愚妃は真剣な表情をして答える。
「そうねえ、ただ走り回るだけでも楽しいし、なんだったら、鬼ごっこでもしましょうか」
「鬼ごっこ?」
愚妃の言葉を繰り返した少年に頷いて少女はルールを説明する。
「警察と犯罪者みたいなものよ。鬼はただ逃げる人を追って捕まえるだけ。逃げられる範囲はこの裏庭。簡単でしょう?」
「……あぁ、簡単だな。だけど、俺を捕まえることなんてできるのか? 追ってくる警察から何度も逃げ切って来たんだぞ?」
挑発する少年は心なしか楽しそうだ。まだ遊ぶことに抵抗があるようだが、乗り気ではあるため、アネモネは煽り返した。顎を上げて不敵に笑う。
「甘いわねぇ。私から一度逃げ切った貴方を私は二度も見つけて捕まえたのよ? 勝敗なんて決まっているようなものね」
「どっちも邪魔者がいた。今回はタイマンだぜ? 粋がってんじゃねえよ」
二人は笑顔のまま睨み合い、次の瞬間、両者同時に動き出した。アスリートのような綺麗な姿勢で追うアネモネと体勢を低くして追われるクリス。どちらも真剣そのものだ。
走って逃げれば大概は端に追い込まれる。円形の裏庭を駆け、一直線に端に向かうクリスはしかし、体を傾けて庭の円周を駆ける。遠心力を使って加速する。流石のアネモネも真似はできないが、直線となれば少女に分がある。
だいたい、鬼ごっこは足の速さにそこまで差がなければ鬼が有利だと作者は思う。だから、この後の展開は容易に想像できるだろう。
しかし、クリスに追いついたアネモネが手を延ばすと、後ろを振り向いた少年は優れた反射神経を活かして少女から逃れる。思わぬ事態に驚いて勢いを殺しきれなかったアネモネは転びそうになる。そんな少女を見てクリスは笑った。
「間抜けめ。悔しかったらもっと速く走るんだな」
この言葉に何故だかアネモネは不敵に高笑いをする。クリスを指差し言い放つ。
「覚悟なさい」
殺気のような圧を感じた少年は逃げる。だが、すぐに少女が追いついてくる。未だに笑い声を上げながら追ってくるから、思わず大声を上げながら逃げてしまう。仕方がないと先ほどと同じように逃げようと振り返り、伸びてくる少女の手を避けるが、少女は小さくステップを踏んでもう片方の手を伸ばし、とうとうクリスは捕まった。走った勢いのまま、押し倒され、少年は地面に背をつく。アネモネは勢いのままに前転をして受け身をとり、大の字に寝転がった。いい汗をかいた少女は喜びのあまり、拳を掲げて高らかに言う。
「私の勝ちよ!」
「ここが路地裏なら勝てたんだけどな」
「あら、負け惜しみ? 格好悪いわよ」
馬鹿にされたクリスだったが、思いのほか楽しかったため、あまり嫌な気持ちにはならなかった。そこで、一つの疑問が浮かんだから、少年は聞いてみた。
「なぁ、なんで俺を更生させようとするんだ? お前にとっては嫌な奴に変わりないだろ?」
金と服を盗んだしと付け足して言う。クリスの質問にアネモネは本音を言う。
「前にも言った通り、犯罪は悪いことだからってことと、そうねえ……真似かしら」
「真似?」
意外な言葉にクリスが復唱する。アネモネはおかしいでしょと言って笑った。
「ただ、リリィのようになりたいって思ったのよ。昨日、最初にお金を返した女子よ。彼女、あまりにも愚かな私を助けたのよ。食器はひっくり返すし、小さな女の子には怒鳴るし。こんな私なのに、リリィは傍にいてくれたの。恩人も恩人、大恩人よ。そんな彼女に憧れるなっていうほうがおかしいとは思わない?」
「じゃあ、俺を更生させようって思ったのは俺のためじゃないんだな」
「当たり前じゃない。人のために何かをする裏には必ず自分の利益を考えるものよ。リリィのようになりたくて私は貴方を更生させようと……助けようと考えたのよ。だから、少しは付き合って頂戴」
アネモネは起き上がり、少年に手を伸ばす。クリスは伸びてきた手をとって立ち上がった。
「さて、今度は私が逃げる番ね。いつでも来なさい」
「……おう」
そう言い、二人はまた駆けだした。
時間は少し進み、正午。土と草まみれになった二人は食堂に赴いた。やたらと少年を煽る少女は機嫌よく厨房に行き、舌打ちをした少年は渋々、アネモネについて行った。
「これで私が三勝二敗ね。私を敬うといいわ」
「五回中、三回もお前が追う側だったからだろ。制限時間も決めないでやるなんて卑怯だろ」
「あら、今頃気づいたのね。もう少し思慮深くなったほうがいいわよ」
アネモネは笑い声を上げる。食事中の子供たち全員が少年は機嫌が悪いだろうと予想したが、それが見事に外れていることに気づく。
スープの入った皿を持ってアネモネ、次いでクリスが厨房から姿を現す。その時に見た少年の口端がほんのわずかに持ち上げられていた。
少年が笑うところなど一度も見たことがなかったから、子供たちは大いに戸惑った。
「さて、これからどうするのかしら」
子供たちから離れた位置に座り、アネモネは尋ねる。向かいに座ったクリスは問い返した。
「どうって?」
「盗みを続けるのか続けないのか。貴方はどうしたいの?」
「どうもなにも、盗みをしなくちゃ生活ができない。盗みとは切っても切れない縁があるんだよ」
「そういうと思って、提案があるわ」
アネモネはコップに入っている水を一口飲み、言う。
「この教会に住みたくはないかしら。ただでとは言えないけど、それでも今の生活を変えることができるわ。もちろん、お仲間さんを誘ってもいいわ」
クリスはスープを掬ったスプーンを一度、皿の上に置き、訝しむ。
「お前が勝手に決めていいのかよ。住みたいって言った矢先に断られるのがこっちとしては一番辛い」
「まぁ、シスターと神父には相談しなくちゃいけないわね。でも、結構緩いから住もうと思えば誰でも住むことができるわ。しいて問題を上げるなら、貴方とサイネリアね。このままずっと仲が悪いのなら、きっと教会に住むことはできないわ。今の生活を変えたいのなら、ちゃんと話し合いなさい」
サイネリアは苦い顔をする。スプーンを手に取り、スープを一口啜ると、口を開いた。
「考えてみる」
その後は無言で食事をし、一時になる前にはクリスは教会を後にした。
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