第27話姫は盗人と交渉する
長らく夢を見ていたように錯覚する。クリスは対面する、この国の姫を名乗る少女を頭がおかしいようでしかし、なぜだか疑うのもはばかられるような、そんなふうにぼんやりとした眼差しを向けていた。
ずっと何も言わない少年にアネモネは嫌気がさしたようにため息をつく。そりゃあ、十分も影がさして見えない彼の顔を見ていたのだ。話をしようと言い、話題を投げても無言が返事として返ってくる。そんな奴にこれだけ待ったのだから、我慢強くなったほうだと思う。アネモネは回れ右をしてドアへと歩いて行く。
「ああ、もういいわ。話をする気はないのね。だったら、私はこれで帰るわ」
「待て」
久しぶりにクリスの声が聞こえた。なぜだか懐かしく感じるが、勘違いだから振り返ってまた相対する。
「何かしら。女性を待たせておいて」
「お願いがある。グロキシニアを捕まえてくれ」
「グロキシニア。闇金と麻薬で成り上がったっていう犯罪者ね。こっちだって頑張って探しているのだけど、難しいのよ」
「頼む。なにがなんでも探し出したい。あいつだけは許せないんだ。お前の情報網なら、見つけることもできるんじゃないのか」
「残念なことに。考えてみて頂戴。姫が扱える諜報機関ですら手を焼いているのよ? その名だって偽名の可能性がある。あなたが見た顔も偽造かもしれない。どうやるのよ」
アネモネはお手上げだとアピールする。だが、それでもクリスに諦めた様子はない。少年は必死になって言った。
「あいつの特徴を知ってる。見た目からして年齢は六十歳くらいで髪は白髪が混じった茶髪。声はしゃがれていて、いつも違う靴を履いていた。それと、右足を引きずっている」
少年の言葉にアネモネは思わず瞠目する。
「足を引きずっている? それは本当かしら?」
「あ? ああ、本当、て言えるのか。俺を蹴った後、痛そうに足を押さえながら引きずって家から出て行った。もう治っているかもしれないけど」
アネモネは考えるように唇に人差し指をつけた。じっくり熟考してから口を開く。
「面白いネタね。いいわ、貴方の頼みを聞くわ。だからと言って、見つかるとは思わないことね」
「見つけてくれるのか?」
嬉しそうにクリスが言う。アネモネはフッと笑い、少年を見た。
「ただし、お金を求むわ。五万よ」
「は? そんな額払えるわけがないだろ。最高でも二万だ」
アネモネはほくそ笑んだ。月の食費はだいたい一万エルで済むらしい。実際、一人の犯罪者を捕まえる約束としては安すぎる。情報の依頼料が一万エルという破格の値段であるせいで愚妃の金銭感覚はおかしくなる一方だ。
「わかったわ。二万エルで手を打ちましょう」
少女の言葉はあまりにも意外だったらしく、クリスは驚いた。
「いや、なんでだよ。もっと高くついてもおかしくないのに」
「別にいいわ。私にとっては満足がいく値段よ。それとも、お望み通り守銭奴にでもなりましょうか」
すました顔で言うものだから、少年は首を振って嫌だと主張した。その様子を見てアネモネは頷く。
しばらくして、二万エルを受け取った少女は満足そうに笑った。
「さて、長居しすぎたわ。私は帰るわね」
クリスは納得がいかないような顔をしていたが、不利益なのは少女であると自分に言い聞かせた。
アネモネが向かったのは路地裏だ。また昨日のようにアキレアを呼ぼうとする。だが、さすがに四度目は服を脱がずとも現れる影がある。
いたいけな少女を装った愚妃はまた叫んだ。
「痴漢よー!」
「毎回やるのですか? さすがに、付き合いきれないのですが」
「姫に対して言う言葉ではないわね、悪漢さん」
悪漢、もといアキレアは呆れて言葉もでない。少しの間頭を押さえると、すぐにいつもの固い表情になる。
「さて、昨日の依頼料をお支払いいただけますか? 払えないようでしたら、今後は何をしようと姫様の前に現れることはないでしょう」
強い語気でアキレアが言う。それ相応の覚悟で言っているのだと分かったが、払えるからアネモネが気にする必要はない。
「ほら、約束の八千エル……いいえ、ちょっと待ちなさい」
お金をとろうと前掛けのポケットに手を入れた少女だったが、何も取り出さずにその手を口元に持っていく。集中するとよく出るアネモネの癖だ。
「どうかしたのですか? もしや、期限を延ばせと?」
「そんなんじゃないわよ。ねえ、もしも私が今もなお逃亡している犯罪者の情報を握っているって言ったら、それを情報料として払えるかしら?」
「……その話の内容によります。それが本当に価値がある場合はお支払いしなくてもいいです」
アネモネは笑みを浮かべた。そして、話し始める。
「グロキシニアって男のことは覚えているわね?」
「もちろん。昨日、アネモネ様にお話しましたので」
「そいつの情報よ」
アネモネはクリスから聞いた話をそのままアキレアに聞かせた。その情報のなんと雑なことか。筋骨隆々の男性は呆れた。
「確かに、貴重な情報です。しかし、見た目など変えられますし、靴だってクリサンセマム様が靴磨きをしていたからではないですか。そうなると、足を引きずっているという情報だって、もしも件の男が若かったりしたら意味をなさないかもしれないじゃないですか」
言っていることはもっともである。実際、足は蹴ったから怪我をしたからであって、治っているかもしれない。
しかし、アネモネには心当たりがあった。酒を飲めば声はしゃがれる。足だってちょっとしたことで後遺症が残る。歳をとればなおさら。この程度の特徴は一致することは珍しくないのだろう。だが、これがクリスにとっては奇跡と言えるであろう出会いになるかもしれない。そう思うと、愚妃が止まることは実に愚かだとわかる。
「一人、その特徴と一致する人がいるわ。その人を調べて欲しいの」
「……わかりました。その人物を捕まえれば、芋づる式で機関のメンバーを捕らえることができるかもしれませんからね」
「私が間違っていることを思慮に入れなさい。さて、お金を払うのは後回しでいいわね」
「はい、情報が有益かどうかはまだわかりませんからね」
アネモネは肩の力を抜く。すると、思い出したように手を叩いた。
「そうだわ、やらなくちゃいけないことがあったのよ。何を忘れていたのかしら」
愚妃はアキレアに別れを告げると急いで小屋へ引き返した。
小屋の扉を開くと、クリスが開口一番に尋ねる。
「もう見つかったのか!?」
「そんなわけないでしょ」
アネモネは何を馬鹿なとでも言いたげな表情を作る。
「だったら今度は何の用だよ」
アネモネはクリスの前まで進み、手をとって外へ行こうとする。いきなり手を握られて驚愕した少年はまた尋ねた。
「だから、何の用だって」
「貴方を教会に連れて行こうと考えているだけよ」
やっと返ってきた答えに少年は大口を開ける。
「お前、何言ってんだよ!」
「あら、犯罪をやめてほしいと私が思っての行動よ。おとなしくついてきなさい」
嫌がる少年の手を引っ張って少女は行く。この先、どうなるかがとても心配である。
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