第24話少年の日常の最終日

 クリスの朝は早い。朝日が見えない時間、少年はある場所へと向かう。そこは、未来にアネモネから正体を明かされた場所である、藁が大量にある小屋だ。毎日ここから藁を盗んでいる。気づかれない程度の量だから見張りがつくことがないため、人を警戒する必要がない。楽な作業だ。


 朝日が見え始めた頃、クリスは藁を肩に担いでスラム街へと戻った。すると、運が悪いことに家に石を投げ入れてくる輩と出会った。こちらを見た奴らが驚いた表情をしているため、この邂逅は偶然だったのだろう。


 こんな奴らと会いたくないからゴミが散乱している狭い路地裏を通っているというのに、苦労が台無しだ。


 目の前にいるのはたった二人だが、きっと仲間はまだいるのだろう。嫌われ者を罰した気になろうとする人たちの結束力は馬鹿にできないから。


「おー、俺の嫌いな奴がいるなぁ。なぁ、どうするよ」


「奇遇だなぁ、俺もこいつが嫌いなんだよ。さーて、どうしようか」


 不敵に笑う二人の餓鬼を無視して少年は先へ行こうとする。だが、行く先に二人がいるため、簡単に道を塞がれてしまう。


「無視するなよ」


 少年から見て右にいる男子が頬を殴る。思わず尻もちをついたクリスは、熱くなる左の頬を撫でて舌打ちをした。その態度が気に入らなかったのだろう。二人の餓鬼はクリスに殴りかかった。


「お前らが! あの家を! 奪うから! 俺たちの! 住む場所が! ねえんだよ!」


 少年に何度も蹴りをしながら餓鬼その一は文句を言う。餓鬼その二がクリスの胸倉を掴んだ。


「どうしてくれんだ? あぁ?」


「だったら、押しかけて奪えよ」


 クリスが唾を吐きかけてやると、また殴られた。




 クリスは家に帰った。体中が痛く、服は土まみれだ。持ってきた藁は踏まれて使い物にならなくなっていたため、捨ててきた。鼻血を拭うクリスの心配を両親はした。


「どうしたの、そんなに酷いけがをして!」


 母は少年の真正面にかがみ、体中についていた土埃やゴミを柔らかく叩いて落とす。母の心配する姿にクリスは大げさだと思う。だが、親というものはこれが当たり前なのだろう、父も言葉を投げる。


「誰かに殴られたんじゃないか? その様子だと、体中に傷があるんだろう。今日は極力外にでないで安静にしていたほうがいい」


 ネリネとローズは気を遣う。しかし、クリスからしてみればこんなことは日常茶飯事の出来事だ。いつもは顔を守っていたから気づかれずにすんでいたが、今回は寝ぼけていたこともあって油断していた。そのため、別に大丈夫だと笑いかける。


「気にしすぎだよ。これくらいなら動けるから」


「でも、そんな体で」


 父の言葉を遮ってクリスは大丈夫だと叫んだ。


「そうだ、今日は藁がないって言われて貰うことが出来なかったんだ。昨日の縄を売るよ」


 クリスは藁は貰いものだとネリネとローズに言っている。盗みを働いているなどと言ったら二人は何と思うだろう。少なからず悲しむはずだ。だから、嘘をついて二人には気にしないで貰おうと少年は考えている。


 クリスは強がるが、父は余計に心配してしまう。食い下がろうと口を開いたその時だった。


 窓ガラスが割れた。ひび割れから物が飛来し、行く先はベッドの上にいる父の頭だった。弱り切ったネリネでは反応が追いつかず、投擲された物が直撃する。頭を抱えて伏す父、悲鳴を上げてネリネに駆け寄るローズ。

 この一幕を見た少年は瞬時に起承転結を理解し、同時に憤怒を抱く。心臓が高鳴り、目の前で起きたことに目が離せず目が充血する。目の前が真っ白になった。言葉にもならない叫びを無意識に上げ、ドアを蹴破る。壊れかけの蝶番では支えきれない勢いに扉が壊れる。だが、お構いなしに左右を見回し、また叫んだ。


「クリス!」


 父の声が聞こえた。刹那、この世界に引き戻されたような感覚があった。右を向くと、母に支えられて玄関に立つ父の姿があった。押さえている右の頭からは血が伝っている。だというのに、その顔は苦しそうだが笑顔を形成している。


「落ち着きなさい。これくらい、大丈夫だから」


 思わず、少年は叫んでいた。


「だ、だ、だ、大丈夫なわけ! があるかよ! 笑ってんじゃねえよ、そんな格好で! あんまりだ……こんなの、あんまりだろうがよ!」


 声を荒げながらも、涙を流す。物を投げてきたのは自分に暴行を働いたあの二人だと考える。今すぐあの輩を殴りたくて溜まらないクリスに父は首を振る。


「すまないな。家族には笑顔以外見せないようにしていたんだが、こんな見苦しいところを見せてしまってね」


「謝るなよ! なんで謝るんだよ」


「だって、二人に迷惑をかけたのは僕のせいだからだ。クリス、お前には言いたくなかったが、借金が膨れたのは店が繁盛しなかったからだけじゃない。僕が薬にはまってしまったからだ。それが要因で店に人が来なくなったのも事実だ。だから、恨むなら石を投げてきた他人ではなく、二人を不幸に突き落とした僕を恨んでくれ。いや、恨んで欲しい、頼む」


 ネリネは少年に頭を下げた。そんな父を見て、クリスは拳を強く握った。


「だから、だから何だよ。借金を背負ってでも父ちゃんと一緒にいたいから俺はここにいるんだよ。なのに、なんだよ! なんであいつらをかばうんだよ。おかしいだろ?」


「いや、何もおかしいことなんかないさ。僕はただ、お前に優しくなって欲しいからこう言っているんだ。僕は親失格だと思う。でも、正しいと思うことはあるから、それを教えたいと思ったんだ」


 クリスはそれでも文句を言おうとするが、父が息を荒くしてその場に蹲る。だから、怒りよりも心配が勝ってしまい、父の元に少年は走り寄った。




 時間は進んで昼下がり。父の薬を貰うためだけに店を開いた。そこにいつも通りグロキシニアが来る。


「クリス、昨晩の親父さんはどうだった?」


「昨日は特には。でも、今日石を頭にぶつけられました。頭を切って血が出ています」


 驚いたような顔でしゃがれ声の男性は言った。


「そりゃ大変じゃないか。処置はどうしたんだい?」


「家で一番綺麗な布を使って応急処置をしました。といっても、血を拭って布を巻いただけしか出来ませんでしたが」


 靴を磨く少年を見下ろし、男性は顎を触った。


「まずいなぁ。クリス、覚悟しておけ。今日の内から長くても明日の朝には親父さんは息を引き取っちまうと思っておいたほうがいい」


 クリスの手が止まる。その手はかすかに震えていた。


「そうですか……あの、この際に聞きたいんですが、父の病は薬をやっていたからですか?」


「……あぁ、そっちか。いや、麻薬をやっても幻覚やら精神病やらになることがあるだけだ。お前の話では精神は安定しているみたいだからな。それが原因ではないだろうな」


 グロキシニアは断言する。両方の靴を磨き終えたクリスにいつもの薬を渡し、少年は受け取った。


「あの、これを飲んでももう」


「いや、飲ませておけ。もしかしたら奇跡が起こるかもしれないからな」


 男性はまだ諦めていないのだろう。そう思うと、クリスの目頭が熱くなる。店から立ち去っていく彼の背に頭を下げた。

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