第23話盗人は思い出す
十一年前、ネリネ・ノースポールが経営する飲食店が経営難に陥り、多額の借金を背負う。その一か月後、店はつぶれる。
十年前、ネリネ・ノースポールが病に伏す。生活金を稼ぐためにローズ・ノースポールが娼館にて体を売る。
五年前、クリサンセマム・ノースポールを残してネリネ・ノースポール並びにローズ・ノースポールが死去する。同時にクリサンセマム・ノースポールが行方不明となる。
現在、城下町にて民草と共に生活をしていたアネモネ・ブバルディア殿下がクリサンセマム・ノースポールを発見する。
「おいクリス、親父さんの様態はどうだ?」
パイプをふかしている男性は少年を見下げ、しゃがれた声で聞いた。彼がクリスを見下ろす体勢になっているのにはわけがある。クリスが男性の靴を磨いているからだ。少年は靴磨きをすることで少額だが、お金を稼いでいる。他にも小物も売っているのだが、買ってくれる人も少ないため、あまりいい商売とは言えない。
クリスと男性は今、城下町で一番の賑わいを見せる大通りの入り口付近にいる。もしも、一歩でも大通りに入ってしまえば雑踏に呑まれて小道具は散乱し、靴磨きも出来たものではない。そのため、少々離れて人が多いものの、商売はできる入り口で店を開いているのだ。
店と書いたが、ただ、小物類を地面に並べて客が足を乗せる用の台を置いただけだ。路上で商売をする許可などとっていないし、だからといって小遣い稼ぎにまだ幼い少年が出店をやっているとしか人々は思わないだろう。
クリスは少し汚れた布を手に取り、台に足を乗せる男性の靴を磨いた。茶色い革靴はあまり汚れていない。それもそのはず。彼は毎日、クリスと話すためだけにここへ来ているのだ。
「昨日、吐血しました。三日ぶりでした。食欲もないみたいで、家でやっと出せる食事もあまり喉を通らないみたいです。医者の貴方が見てくだされば、もう少しよくなるかもしれないです」
「生憎、金にならないことはしない主義でね。こちらの生活もかかっているんだ、大目に見てくれないか」
男性はパイプを吸って大きく息を吐いた。空中に漂う白い煙が風に吹かれて霧散する。もう春だというのに、冷たい風が吹くなと靴を磨く少年は思った。
両方の靴を磨き終えたところで男性が懐に手を入れる。取り出したのは折りたたまれたん紙だ。クリスが手を差し出すと、いつもどおりその上へ紙を置く。
「その薬は効いているかい?」
「どうでしょう。日に日に顔が青くなる一方であまりわかりません」
男性はそうか、と呟いた。彼が渡したのは父の薬だ。実際、なんのために飲んでいるのかもわからない。しかし、この渡される薬以外に希望がないから、少年は靴磨きの代金として毎日貰っている。
「晩の食事前に、必ず飲ませるんだぞ。あとは安静にしていること。お前から聞いたことから診断するに、少しでも動くとそれだけ死期が早まると思え。いいな?」
男性の言葉に少年は頷く。
「ありがとう、グロキシニアさん」
「あぁ、いいってことよ。人との関わりは意外なところで繋がっているからね。お前が将来、立派になったら、俺のことも助けてくれや」
そう言い、グロキシニアと呼ばれた男性は小物を一つお金を払って買って人ごみの中に消えた。
日が沈み始めた頃、少年はわが家へと帰った。大通りから遠く離れたスラム街。そこに家がある。窓は割れ、屋根には穴が開いており、ドアも上の蝶番が外れているが、一軒家に住めるだけ運がいいものだ。まぁ、住める理由は忌み嫌われているのに現在の家に永く居座ったからなのだが。
褒められたものではないが、こちらは父親を安心して寝かせることができる場所が欲しかったから仕方がなかったのだ。おかげで毎日石を投げ入れてくる輩がいるが、無視をしている。
外れかけの蝶番がついているドアを開く。玄関から見て右側に小さなキッチンがあり、左側には手前にテーブルと三つの椅子、その奥にベッドがあり、父が微笑みを湛えてこちらを見ていた。
少年がただいまと言うと、おかえりと返ってくる声が二つある。もちろん、父と母の声だ。最初にあるように、父の名前はネリネ、母の名前はローズである。
「今日はどうだった。売れたかい?」
「一つ売れた。あと、靴を磨いたのを含めてこれくらい」
クリスはポケットからお札を取り出した。出てきたのは三百エル。小物一つが百エル、靴磨きが一回で五十エルだから、今日だけで五人の客が来たことになる。
「良かった。売れなかったら僕のせいになってしまうからね」
ネリネが薄く笑う。小物類はネリネとクリスが共同で作っている物だ。しかし、作業の八割は父に任せている。昔に小遣いを稼ぐためにやっていたそうだ。小物は藁を練って作った縄だからあまり苦労はないが、それでも、父にはあまり動かないで欲しいとクリスは思っている。
「そんなことは」
「そうねぇ。売り物はほとんどあなたの領分だから、下手なものを作ったら困るのはクリスよ? 丹精を込めて作らないとね」
クリスの言葉を遮ってローズが言う。きっと、明るい家庭にしようと二人は考えてお茶らけたり、弄ったりしているのだろう。少年は気づいてはいるのだが、病は父の体を否応なく蝕んでいっており、母は毎日、嫌であろうに誰ともしらない他人に体を売っている。借金だって底が見えないほどあるのだから、こんな状況でどう笑えと言うのだろう。
クリスが唇を噛んでいると、母から呼ばれた。食器を運ぶのを手伝って欲しいと言われた。クリスは元気のない返事をし、家事の手伝いを始めた。
「ご飯を食べたら、また出かけるの?」
母がそう聞くから、クリスは頷いた。
「行ってもあまり稼げないけど、少しでも楽にしたいから」
「そう、ありがとう。でも、すぐに帰って来るのよ。きっと、危害を加えてくる人たちがいるから」
ローズは家に石を投げ入れてくる輩のことを言っているのだろう。
ちなみに、クリスたちの噂は町中にまで広まっている。借金を背負い、そのおかげで父は病に瀕している、借金の納期分と生活費を稼ぐために母は娼館に働いているから、そんな環境で息子がまともなはずがないから近付いてはいけない、らしい。嫌悪を抱かれることがどれほどディスアドバンテージかわかるだろう。もっとも、クリスの顔を知っている者は少ないし、噂も自分から服装などの特徴を変えて話しているため、スラム以外の人たちからは特に嫌われている節はない。
「気を付けるのよ。あ、食器を洗うのは手伝ってね」
母は息子に優しく微笑んだ。
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