第19話盗人は立ち去り、姫は泣き止む

 愚妃の目の前で繰り広げられた衝撃的な展開の数々をアネモネは理解できない。泣き続けてはいるものの、話が聞こえないというわけではないのだ。しかし、サイネリアが元窃盗犯であったことや、その仲間がここに来ているなどといった目まぐるしい現実の連鎖に姫の脳は追いつけない。だから、とりあえず無視して、泣き止むまで待っていようと傍観することに決めた。


「シスター、大事な物全部奪われるぞ! 早く追い出してくれ。頼む」


 シスターはサイネリアの慌てように目を白黒させる。少年が狼狽えることは別に珍しいことではない。それどころか、一日として見ない日はないほどだ。だが、それを踏まえても今まで見たことがない少年の様子に、だが、シスターは逡巡した。


 喚くサイネリアの言葉を聞いて、口を開いたのは帽子を被っている少年だった。


「あぁ、サイネリアか。見ない間に変わっちまって分からなかった。そう、俺が懺悔したいのはお前にも関係があるんだ。聞いてもらってもいいか?」


 弱弱しい少年の声音にサイネリアは動揺する。

 サイネリアの沈黙を肯定と受け取った少年は懺悔した。


「実は、サイネリアの言っていた通り、俺……私は窃盗を繰り返して生活をしてきました。毎日商店街や大通りで窃盗を繰り返して、そしたら、ついに私は捕まってしまいました。あぁ、捕まったってのは逮捕って意味じゃなくて、恨みを持った奴らに手を掴まれてそのまま袋叩きにされたんです。それから、怪我で三日間動けなくて。その時に思ったんです。私に天罰が下ったんだって。恨みを持たれても仕方がない生き方をしてきました。でも、どうか。許しをいただかなくてもいい。せめてもチャンスを。私に更生する機会を下さい」


 少年は手のひらをそろえて組み、地面に突っ伏した。見ているものにとってはあまりにも懸命で、それはそれは、見事に改心しているように見える。


 シスターは困ったような顔をしてサイネリアを見る。サイネリアは怒りを湛えているように見えた。我慢できない程の憤りを帽子を被った少年にぶつける。


「てめぇ、よくも言えたな。俺を裏切っておいて。そのせいで、俺の家族が……どうなったのか、知ってんのか? お前のせいで皆いなくなっちまったんだよ。返せよ! 返せよクズ野郎!」


 真っ赤な顔から涙がつたっている。サイネリアの心からの叫びなのだとシスターは気づいた。


「あぁ、知っている。だから、殴ってもいい。蹴り殺してもいい。ただ、俺の気持ちが本当なんだって知ってほしい。神様、お願いします」


 おでこを地面につけ、すがるように言葉を発する少年にアネモネ以外の人物が心を痛める。


「……大丈夫ですよ。貴方の行いは確かに許されないことです。ですが、それを悔い改めることができるのなら、貴方にも神は手を差し伸べるでしょう。だから、顔を上げてまた、人生をやり直せば良いのです。安心してください」


 シスターの優しい言葉に帽子を被った少年は信じられないものでも見るように目を潤ませる。顔を上げ、シスターとサイネリアを見つめた少年は良かったと言い、気絶した。

 二人は突然気絶した少年を心配して寝室まで運んでいく。


 三人がいなくなった部屋で、アネモネは思う存分泣いた。


 それから一時間が経過し、時刻は午後四時。目覚めた少年は寝室で休んだ後、清々しい顔で入り口のドアに手をかけた。


「皆さんのおかげで、助かりました。なんだか、生まれ変わったような気がします」


 静かに告げる少年にサイネリアは言った。


「まだ、お前を許したわけじゃないからな。お前は信用できないから」


「それは、重々承知している。まぁ、見てろよ。俺は変われたんだからさ」


 そう言って、帽子を被った少年はドアノブを捻り、外に出た。


「ありがとうな、サイネリア」


「お、おう」


 純粋な感謝の気持ちを告げられ、サイネリアは戸惑う。その間に少年は立ち去ってしまった。


「本当に変わっちまったのか。嬉しいけど、なんだか嫌だな」


 少年は正直に今の気持ちを口にする。

 アネモネの声にかき消されて聞こえなかったが、シスターは嬉しいのだろうと予想して、サイネリアに笑いかけた。


 事件はその三十分後に起きた。


 サイネリアが感慨深い気持ちで寝室に入った時に、ベッドの下に隠していた箱が顔を覗かせていたのだ。ここにはアネモネに渡し、返ってきた少年の全財産が眠っている。その箱が誰かから動かされた後があるのだ。背中に嫌な汗が吹き出てきたサイネリアは中身を確認した。すると、空っぽだった。何一つお金が入っていなかったのだ。サイネリアはエントランスに走り、シスターに声をかける。


「な、なぁ、シスター! 俺のへそくり、盗った? 盗ったって言ってくれ!」


 サイネリアが二度も尋常じゃない慌て方をしたため、シスターの顔も困惑に染まってしまう。


「い、いえ、盗るもなにも、どこにあるかわからないですし、皆さんのものは皆さんのものです。私が奪っては、それこそ神様が私の手を振り払ってしまうでしょう。そんな行いを私はいたしません」


 シスターの言葉を聞き、サイネリアの顔から血の気が引く。


 そこで、リリィが帰ってきた。ただいまと元気よく口に出し、扉を開いて中に入ってくる。

 少年は最後の希望だと思い、恩人の少女の元へと駆け寄った。


「なぁ、リリィ姉。俺の金を借りたか? 借りたよな!」


「え、ど、どうしたの、急に。借りたなら、声はかけるよ」


 首を傾げる少女を見て、サイネリアは体から力が抜けるのを感じた。勢いよく椅子に腰を下ろし、呟く。


「やられた」


 さらに三十分後、盗まれたのはサイネリアの金だけではなく、教会に住む少年少女たちのお金が盗まれたことが判明した。金を盗まれ、困惑する子供たちの姿が寝室を埋め尽くす。


 そんな中、一人エントランスで泣いていたアネモネはようやく泣き止み、鼻水を啜った。エントランスに来たリリィは落ち着いた様子のアネモネを見つけ、声をかける。


「ア、アネモネちゃん。大丈夫だった? 落ち着いた? お金、盗まれてない?」


「……うん、大丈夫。もう、落ち着いたから」


 アネモネはまた鼻水を啜った。


「そうだ、それよりも、思い出したの。教会に来た人、あれ、私からお金を盗んだ人よ」


 愚妃がそう言うと、リリィは首肯した。


「うん、わかってる。その人に、皆のお金が盗まれちゃったんだ」


「そうだったの。だから皆騒がしかったのね」


 エントランスにも聞こえる子供たちが嘆く声にアネモネは納得したように頷いた。それから立ち上がる。


「少し、出かけてくるわ。シスターには夕食前には帰るって伝えてもらえないかしら」


「え? うん、わかったけど、どこに行くの?」


 先ほどまで泣いていた少女は鼻声で言った。


「知り合いに会いに行くだけよ」

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