第18話姫は号泣し、盗人は来る

 朝の五時を過ぎ、子供たち全員が起きてきたにも関わらず、アネモネは号泣し続けていた。泣く声は赤ちゃんをも凌駕する大音量だ。


 十四歳の赤子を見たサイネリアは堪らず口を開く。


「あぁ、もう、なんで泣いてんだよ」


 泣き止んだ時に弄って悶絶させようとサイネリアは記憶しておこうと考えた。だが、それは最初の話。少年が起きて、アネモネを笑い始めてから五分が経過した頃に、イライラとした。いい歳こいた少女がずっと泣いているのだ。これが生後三か月の赤子とかならまだわかる。十四歳にもなって子供のように泣き続けているのだ。耳障りでしかない。


「パパ―! ママー!」


「だ、大丈夫だよ。落ち着いて。ほら、どうどう」


 リリィはアネモネをあやすが、声量は小さくなるどころか、大きくなる一方だ。しまいにはシスターが来て、アネモネを席に座らせ、背中をさするなどをして落ち着かせようと奮闘する。


 現在、エントランスに集まっている子供たちは顔を洗うこともそっちのけで今起きた出来事について質問を飛ばす。


「なぁ、あんな生意気だった奴がなんで餓鬼みたいに泣いてんだよ。なんかあったのかよ」


「えーと、私がちょっと早起きしたら、アネモネちゃんも起きていたみたいで、お礼として何かしてほしいことはって聞いたの。そしたら、パパとママに会いたいって。それから泣き始めて止まらないね」


「アネモネお姉ちゃんが泣くところ、初めて見た」


「ハル、私もだよ。教会に来てから、本当にいろいろなことを頑張っていたから、我慢の限界が来ちゃったんだね」


 気にしてあげてとハルジオンに伝える。こくりと頷いた少女はアネモネの前まで行き、ぬいぐるみを差し出す。親から貰った大切なぬいぐるみだ。それを渡してもいいと思うほど、アネモネに気を許したのだろう。


 だが、気を許しすぎると不運はやってくる。


 ハルジオンからぬいぐるみを受け取った泣いている少女はぬいぐるみを強く抱きしめる。苦しそうにひしゃげる熊さんにハルジオンはおどおどと慌てる。そして、可哀そうなことに、今のアネモネは目から涙を流し、鼻水を垂らす程号泣している。そんな彼女が熊のぬいぐるみを抱いたら、顔中から溢れんばかりの液体がぬいぐるみの綺麗な毛並みを汚していくのは必然だろう。

 また一人、泣く子が増えた。


「おいおい、どうにかできないのかよ」


 嘆く少年に恩人の少女は首を振る。


「こればっかりは仕方がないよ。満足するまで泣いてもらうしかないと思う。そしたら、きっといつものアネモネちゃんに戻ってくれるはずだから」


 リリィは確証のないことを言った。


 時間は過ぎて、午後三時。一向に泣き止まないアネモネに懸命に言葉をかけるシスターの姿が教会にあった。


「大丈夫ですよ。また会えますから。そんなになく必要はないですよ」


 シスターの言葉は馬の耳に念仏だ。泣くことに没頭している愚妃には届かない。

 どうしたものかと頭を抱えていると、教会の入り口のドアが開いた。誰かが帰ってきたのかとシスターが玄関に目を向けると、そこには汚れた服に身を包んだ少年の姿があった。教会に住む子供たちではないと一目見てわかる。


 シスターは微笑みを浮かべる。アネモネに声をかけ続けることに疲れたのか、苦笑気味だ。


「ようこそいらっしゃいました。神を信仰するため、教会にいらっしゃるとは、素晴らしい行いです。神は、貴方を守護してくださるでしょう」


 シスターは初めて教会に訪れた人へ言う決まり文句を口にする。だが、少年はうめき声を漏らしてよろめきながら入ってきた。腹を押さえ、喉を鳴らしている。どう見ても神へ祈りを捧げに来たとは思えない。


 シスターは少年の異様な様に眉を顰め、また声をかけた。


「どうかしたのですか? 具合でも悪いのですか?」


 少年に近付き、体を労わる。少年は首を縦に振ると、震える声で頼んだ。


「た、食べ物をください。三日も、何も口にいれていなくて」


 掠れた声がシスターの耳に届く。異常事態だと判断した彼女は少年をアネモネから少し離れたところに座らせると、愚妃から一時的に離れ、キッチンへと走っていく。


 少年はその間もお腹を鳴らし、苦しそうに声を漏らしている。だが、その全ての音がアネモネの声でかき消される。少年は泣き続ける愚妃に目を向ける。ずっと観察を続け、廊下に続くドアからシスターが現れたから、帽子を目深に被りなおしてまたうめき声を上げた。


「これをどうぞ。足りなかったら、まだありますので、遠慮なく言ってください」


 少年は渡されたスープを見て生唾を飲み込むと、勢いよくスープを飲んだ。スプーンを使わなかったから、相当お腹が減っていたのだろうとシスターは想像する。空になった皿を少年はシスターに差し出した。


「足りましたか? それなら良かったのですが」


「……あ、ありがとうございます。本当にお腹が減っていて。今にも倒れてしまいそうでした」


「いいえ。困ったときはお互い様ですよ。またお腹が空いたときはいらしてください。いつでもスープはありますので」


 シスターの言葉を聞き、少年は涙を流した。


「ありがとう。本当にありがとうございます。あの、シスター。この機会に、俺……私の懺悔を聞いて欲しいのですが」


「いいですが、懺悔室はないので、話が筒抜けになってしまいます。それでも、よろしいですか?」


「えぇ、構いません。私の話など、誰が聞いてもつまらないものですから」


 汚れた服を着た少年が息を吸った瞬間、また、入り口のドアが開かれた。静かに開かれた扉の前には教会に住む少年、サイネリアの姿があった。


「おいおい、まだ泣いているのかよ。夜までには泣き止んで欲しいんだけど」


「サイネリアさん、おかえりなさい。ちょっと、アネモネさんをキッチンまで連れて行っては貰えませんか。この方のお話をお聞きしたいのです」


 少年は不満の声を上げるが、懺悔だと察したからシスターの言葉に従い、アネモネの元まで行く。懺悔する人物が大人というには、覗き見える顎や手が若いから、気になって件の少年を凝視してしまう。そして、気づいた。目深に帽子を被る少年の正体に。


「シ、シスター! そいつは、そいつは駄目だ! 今すぐ教会から追い出してくれ」


 突然叫ぶ少年にシスターは瞠目する。


「ど、どうしたのですか? 私は彼の話を聞かなければならないのです」


「いや、駄目だ! 絶対に。そいつは、窃盗犯だ。街で噂の。それに、ここに来た時話しただろ。仲間に売られたって。俺を、警察に売ったのは、そいつなんだよ!」


 シスターは帽子を被っている少年を見る。少年は俯いた。そして、ほくそ笑んだ。

 

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