第16話姫、少女を救う

 約束の日が来た。借金取りたちが今か今かと待ちわび、少女は来ないで欲しいと心から願い、叶わなかった日。


 時刻は午後三時。昼下がりの陽光が未だ眩しい時間。洗濯物を取り込む時間。皆と楽しく話せる時間。手伝いをしない子を叱る時間。あまりにもたくさんのことが詰まっている時間にドアが蹴破られた。壊れたのではないかと思うほど勢いよく開くドアの向こうにいたのは、先日、少女の働く娼館までやってきた借金取りの三人の男だ。男たちは声を荒げ、教会内を見回す。


「おい! ……はどこだ! 今日が納期のはずだぜ?」


 悪鬼のような男たちがぞろぞろと教会内に入ってくるものだから、雑談をしていた少年少女たちは突然の出来事に大いに慌て、パニックになる。一人の少年が男たちに向かって歩く。勇敢に歩く少年はサイネリアだ。しかし、足が震えている。当たり前だ。彼はまだ、十歳の少年なのだから。


「おい、何してんだよ! ただでさえ建付けが悪いのに、壊れちまったらどうすんだよ!」


「文句は……に言いな。俺たちは貸したもんを返して貰おうとしているだけだ」


「返してもらうだ? お前たちみたいなやつに貸し作る奴なんてここにはいねぇんだよ!」


 サイネリアがそう言うと、三人のうちの一人が少年を殴る。殴られた少年は後ろに倒れ、床に強く頭を打ってしまったのか、血が出ている鼻と頭を押さえて蹲った。

 殴り飛ばされた少年の元にぬいぐるみを抱えた少女が駆け寄る。少年の有様を見て、ハルジオンは少年と男たちを隔てるように前に出た。ぬいぐるみが強く抱かれているから、誰が見ても恐がっていることはわかるだろう。


「かわいいなぁ。嬢ちゃん、何歳だい?」


 九歳と答える少女に男たちは静かに笑った。


「勇気があるねぇ。決めた。この子を娼館に売ろう」


「おいおい、見ず知らずの餓鬼を売るって誘拐だろ? んなもんに賛成したかねぇよ」


「いやいや、……が金を出せなかったらこの子を代わりに買うってことよ。いいアイディアだろ?」


「なるほど。それなら合法だ。頭がいいじゃないか」


 涙目の少女の前で男たちはゲラゲラと笑った。その男たちの前に件の少女が現れた。子供たちをかき分け、震える足で歩んでいく。


「お、来たぞ。やっと出てきてくれたんだね」


 少女は口を開いた。緊張しているのか声は上ずっている。


「あ、あの、教会には来ないって言ってましたよね?」


「だって、遅いから。俺ら、待てなくて来ちゃったよ」


「今日の夜九時までって話でしたよね?」


「三時も九時も変わらないよぉ。それよりも、お金は用意できたの?」


 男たちはにやにやと笑い出した。金は用意できる。今夜に。九時に娼館で給料が渡される。それを差し出す話だったのに、この人たちは知っていて早く来たのだ。少女が用意できないのを知っていて来たのだ。


 少女は男たちに怒りを覚え、また、教会の子供たちに知られてしまったことに悲しみを覚えた。サイネリアたちに見られるのが辛い。今まで気づかれないように必至に過ごしていたのに、全てが泡となった。少女は自分の顔を見ていてほしくなくて俯いた。だが、顎を掴んで無理やりに顔を上げられる。少女の目には下卑た笑みが三つ見えた。


「用意できたのって聞いてるんだよ? リリィちゃん」


 悪魔のような三人は高笑いをして、手を離す。悔しそうに顔を歪める少女、リリィはまた俯いた。そんな少女を助けようとシスターが発言する。


「あの、一時間……いえ、三十分待ってはいただけないでしょうか。そうすれば、お金は用意します。だから」


「いや、無理だ。今すぐ用意しろ。それにしても、今日が納期だと知っているのに、何故金を用意出来ていないんだ? おかしいなぁ」


「ご、ごめんなさい。でも、九時って約束だったから」


「時間を言い訳に使うのか。そんなもの、誰でも言うんだよ。時期が悪いから。見つけるのが遅かったから。そう言うやつがお前の父ちゃんみたいに借金しちまうんだよ」


 リリィを嘲り、また笑った。ここが娼館であれば愛想笑いをしていた。だが、教会でそんな自分を見て欲しくなくて、少女は唇を噛みしめて耐えた。


「なぁ、もしも納期を今夜の九時まで延ばしてやるって言ったらなんでもするか?」


 嫌な質問だとリリィは思った。従わざるを得ないのに、聞いてくるなんて。


「……はい、やります。なんでもやります」


「おぉ、素直だなぁ。それじゃあ、裸になって土下座しな。そして言え。私のせいでお手を煩わせてしまい、申し訳ありません、今後一切皆様に迷惑をおかけしませんってな」


 男たちはまた笑った。口を大きく開けて少女が気持ち悪くなるほど。リリィは涙をこらえて服を脱ぐために、青色の胸まである前掛けを外し、白色のワンピースに手をかける。


「お、おい、やめろよ、リリィ姉!」


 少年が制止する声が聞こえるが、無視した。無視せざるを得なかった。リリィは我慢できずに涙を流した。もう、私には居場所がないのだろう。そう思ってしまった。


「あら? 何の騒ぎかしら?」


 声が聞こえた。それは聞き覚えのある少女の声だ。リリィが思わず顔を上げると、扉を左だけ開けてこちらを眺めている少女、アネモネの姿があった。


「貴方たち、どちら様? もしかして、お祈りに来てくれたのかしら?」


 どこか、楽しそうに弾む声を出すアネモネはどう考えても場違いな態度をとっている。調子を狂わされた男たちは舌打ちをして、不機嫌そうに言葉を発した。


「あのなぁ、嬢ちゃん。俺たちはな、このリリィって子が借金を背負っているからそれを回収するために来たんだ。阿呆みたいに騒ぐようならよそへ行ってくれや」


「あら? 阿呆みたいに笑っていたのは貴方たちだと思うのだけれど」


 アネモネは挑発するように首を傾げた。愚妃の言葉に男たちが怒りを覚えるのは当然と言えるだろう。


「そういうことはな、相手を選んで言うもんだぜ? なぁ、わかるかい?」


「わからないわね。だって、相手は選んでいるもの。貴方たちに言うものだと心得ているから私は言い返しただけよ」


 アネモネは見下すために顎を上げた。


「なぁ、それは俺たちに言っているのかい?」


「それ以外に誰がいるのよ。ここには、貴方たちみたいに脳を筋肉で押しつぶした奴はいないのよ? わかるかしら」


 思わず、三人のうちの一人がアネモネの胸倉を掴む。つま先立ちになる愚妃は苦しそうだが、余裕があるのか笑みを浮かべている。


「まぁ、落ち着こうや。まずは話をしよう」


 男はアネモネの胸から手を離し、説明をする。


「この嬢ちゃんの父親がな、多額の借金を背負って死んじまったわけよ。この嬢ちゃんは、親父さんに売られそうになったから逃げた。それを知っていたから、この嬢ちゃんを見つけて、つい二か月前に死んじまった親父さんの代わりに払ってもらっているわけなのよ。何も可笑しなことはしてないよな。わかるかい?」


「いいえ、わからないわ。何故払っているのよ」


 説明をしていた男が叫ぶ。


「なんでわかんないんだよ。簡単なことだろ? 死んじまった父親が残した借金を娘であるこいつが肩代わりしてんだよ。馬鹿は話に入ってくるんじゃねぇよ!」


「馬鹿はどちらかしらね。貴方たち、相続放棄って知っているかしら? この国じゃあ、最近出来た法律だから、まぁ、わからなくても仕様がないわね」


 勝ち誇った笑みをアネモネは浮かべた。その笑みに怒りを覚えた男がまた、愚妃の胸倉を掴む。


「あぁ、知らねぇな。お前の口がなかったらの話だが。お前をミンチにしてやれば、こんな話は誰も聞かなかった。今からお前を殺してしまえば……なぁ! お前たちは今の話は聞いてなかったよな!」


 男の声が教会に響く。慄く子供たちは一言も発することができない。しかし、アネモネは違った。


「いいえ、聞いているわよ。教会内の人だけじゃなく、外の人もね」


 アネモネは左手で閉じられていたドアを開く。その奥にいたのは、警察だった。帽子を被り、制服をしっかりと着ている。彼らを見た三人の男は顔を青く染めた。アネモネから一歩も二歩も引いて、思わず叫ぶ。


「な、なんで、こんな。ありえないだろ! 今日、この時間に来ることはこいつも知らなかったんだぞ? なんでわかったんだよ。何者なんだよ、お前はよ!」


 愚妃は自分を指差して首を傾げる。


「私? 私は二週間前に突然城から追い出されて、窃盗に遭い、追剥に遭い、暴力に遭い、そして、その少女と出会った。あまりにもみすぼらしい姿で救われ、今は恩返しに救おうとしている。お金も償いと恩返しのために使い、何もなくなった資産ゼロエルのこの国のお姫様……アネモネ・ブバルディアよ!」


 少女は前かがみになって挑発するように再度口を開く。


「貴方たちみたいな輩がリリィに手を出すなんて百年早いのよ。警察の皆さん。手間だけど、こいつらを連れて行って貰えないかしら」


 振り返ったアネモネに敬礼をした警察たちは三人の男の身柄を取り押さえ、教会から立ち去って行った。その様子をどこか、夢見心地で傍観していたリリィに愚妃が近付く。


「大丈夫かしら。怪我はない?」


 アネモネの言葉を聞いて、どこか安心した様子のリリィは気絶した。

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