第14話姫、意志を曲げない
アネモネが教会に帰ってきたのは二日後の午前六時だった。愚妃は気怠そうにただいまと言い、ベンチに横になった。窓から入る、黄色い陽光が煩わしいから、目元を右腕の前腕で覆い、左腕はだらりとベンチから垂らす。二日間列車に揺られ、ほぼ何もせずにまた二日も列車で座っていたのだ。十四歳の少女にとって、その疲れは想像を絶するものだった。
教会の奥の扉が開く音がした。建付けが悪いのか、甲高い音がエントランスに響き渡る。
「えーと、誰かいますか?」
「私よ、リリィ」
「アネモネちゃん!?」
アネモネは寝ながら手を天井に向けて上げ、横に振る。その後、すぐにまた左腕をぶら下げた。アネモネが帰ってきたことに安堵した様子のリリィはほっと息を吐く。愚妃が横たわるベンチまで歩き、膝立ちになってアネモネを見た。
「もう、心配したんだよ? 出かけるなら、私に一言声をかけてくれても」
「あー、悪いけど、説教は後にしてくれないかしら。予想外に疲れたのよ」
覇気なく言うものだから、恩人の少女は文句を言おうにも言えない。諦めたようにため息を吐き、リリィは話題を変えて質問をする。
「アネモネちゃん、ハルの家族に会いに行ってたんだよね。会うことはできたの?」
「えー、できたわ。でも、あんまり良い顔はされなかったわね」
アネモネはリリィにハルジオンの家族について話す。そして、彼らは娘に会いたいが、それが彼女を不幸にしてしまうかもしれないと考えていることも伝えた。
「えーと、それじゃあ、ハルはお母さんとお父さんに会えないどころか、思いを知ることもできないの? そんなの、あまりに可哀そうなんじゃ」
リリィがそう思うことは想像に難くないことだった。愚妃はサイネリアからくすねてきた鞄を指差す。
「その中に、手紙があるわ。あの人たちの直筆のね。でも、あまり読むことは勧めないわ」
恩人の少女は鞄から一通の手紙を取り出す。封に収められた、綺麗な折り目のついた紙を広げ、内容に目を通す。すると、思わず口元を手で押さえてくぐもった声を出す。
「なにこれ。これじゃあ、ハルが」
「やっぱり、帰ってきてたんだな」
リリィは突然聞こえてきた声に反応して振り向く。声の主は廊下に繋がる扉からこちらを見ていた。声の主はサイネリアだ。彼の目には喜びからか涙が浮かんでいる。少年は二人の少女に駆け寄り、リリィの手にある手紙を見つけた。
「それ、ハルの家族のだろ? すぐに渡してくる」
リリィの手から強引に手紙をとり、サイネリアがハルジオンの元へと走って行こうとする。堪らず、リリィは制止の声を上げようとしたが、それよりも早くアネモネが口を開く。
「待ちなさい、愚か者」
アネモネの声というより、言葉が気になったのだろう。サイネリアは苛立ちを露にして愚妃を睨みつける。
「なんだよ。これ、ハルに向けて書かれた手紙なんだろ? だったら、早く見せた方がいいだろ」
「……嫌われたいのなら、見せるのもいいかもしれないわね」
首を傾げるサイネリアに、アネモネは手紙を見るように言う。少年は訝しみながら、手紙の内容に目を向けた。そして、僅か数秒後に驚きと怒りを瞳に湛える。
「な、なんだよ、これ。どういうことなんだよ。これはよ!」
「簡単なことよ。ハルジオンの親は彼女に会いたくないのよ。不幸にしてしまうから」
アネモネは淡白に言い、手紙の内容を思い出す。
手紙の要点をまとめれば、会う気はない、私たちはお前が嫌いだ、私たちのことなど、さっさと忘れてしまえ、その方が幸せだろ、だ。
どう読んでも嫌われるために書いていることがわかる。小賢しいことに、手紙は丁寧に折りたたまれていたため、アネモネも開けるのを躊躇った。開けていなければ、面倒くさい事になっていただろう。
これをハルジオンに見せて、これを書いたのは君の親だよなんて言ってみて欲しい。嫌われるどころか、一生恨まれてもおかしくはない。ある意味、アネモネはサイネリアを救ったと言えるだろう。
「な、なんでこんな内容の手紙を持ってくるんだよ。こんなの、誰も求めるわけがないじゃねぇか」
「そんなの、私も貰いたくなかったわ。借金を抱えた私はクズですって言っている人に求めても無駄なだけだったようね」
愚妃は辛辣に言う。その後に、疲れと呆れを吐き出すように言葉を紡ぐ。
「貴方の思い通りに行かなかったことはわかっているわ。でも、これは私にとっても同じよ。文句なら、他をあたって頂戴」
「でもさ、こんなことがさ、こんなことがあっていいのかよ!」
サイネリアはベンチを蹴り、叫んだ。少年は憤慨している。だが、対照的に愚妃はあまりにも冷静だった。
「リリィ、まだ朝食は残っているのかしら。私、お腹が空いたわ」
「え? うん、残ってるよ」
アネモネは食堂へ向かうため、ベンチから立ち上がった。そのまま、エントランスを抜けてドアに手をかけたから、サイネリアは我慢できずに怒鳴る。
「待てよ! これで終わりかよ。こんなんじゃあ、ハルが報われねえよ」
「報われないって言ったって、彼女がしたことは求めるだけだと思うのだけれど」
「そんなわけない! 情報がないから、自分で町中を歩いて、俺と一緒に働いて稼いだ金で列車に乗って聞きまわっていたんだよ。あいつなりに頑張っていたんだよ! 何も知らないくせに、馬鹿にすんなよ」
「別に馬鹿にした気はないけど。まぁ、わかったわ。全部、食事の後に考えましょう」
そう言い、少年から文句を言われながら、愚妃はドアの向こうに消えていった。
時間は経過して午前六時半。食事をして、後片付けを終えたアネモネは隣で今か今かと待っているサイネリアとリリィに目を向ける。
「あのねぇ、少しは休ませて貰えないかしら。そんなに見られていると気が休まないわ」
「食事の後に考えようって行ったのはお前だろ。待つくらい、いいじゃないか」
アネモネは嘆息する。
「まぁ、仕方がないか。それじゃあ、始めましょうか」
アネモネは欠伸をして目元を擦る。少年はもの言いたげだが、苦労をかけた相手だからと大目に見ることにした。
「と言っても、私は堂々と渡した方が良いと思うのよね。意見を曲げる気はないわ」
愚妃の言葉に慌てるのは聞いていた二人の少年少女だ。堪らず反対だと口にする。
「あんな手紙をかよ。それじゃあ、ハルを傷つけるだけだろ」
「そうだよ。こればっかりはアネモネちゃんに賛成できないよ。考えを改めることはできないかな」
愚妃は不貞腐れて口を噤んだ。だから、代わりにサイネリアが口を開く。
「そうだ、俺たちが手紙を書けばいいんじゃないか? そうすれば、ハルも満足してくれる」
「で、でも、嘘は良くないと思うの。いつかバレちゃった時に、傷つくのはハルだから。二人には申し訳ないんだけど、言わないほうがいいんじゃないかな」
見事に三人の意見が割れてしまった。どこまでもハルジオン思いの二人に愚妃はため息をつく。
「あのねぇ、なんで傷つくことが悪いことだと思い込んでいるのかしら」
「な、なんでって、人の悲しむことをするのは、良くないから」
言い淀むリリィを見て、アネモネは言う。
「子供のような考えね。私は、傷つくことは良いことだと思うわ。ただし、前提として人を嫌って言う悪口みたいな、人の尊厳を侮辱する行いによるものじゃないわ。現実を見て、自分の理想との齟齬に絶望して、だけど、それを噛みしめて生きていく。きっと、彼女はこの手紙を見たら落ち込むと思うわ。もしかしたら、立ち直れないかもしれない。でも、例えばの話だけど、貴方たちが支えてくれたら、前を向けるかもしれない。なら、いいじゃないの」
アネモネの言葉に二人は目を丸くする。
「そ、それじゃあ、わざと傷つけるってのかよ。それでハルがどうなろうとお構いなしってか? 冗談じゃねぇよ!」
「やっぱり、かばうのね。でも、それは貴方がたくさん傷ついてきたからなのよね。その必至さ。予想だけど、傷つくことはとても辛いことだとわかっているから、まだ傷の浅い彼女には知ってほしくないんじゃないの?」
少年は苦い顔をする。どうやら、図星のようだ。
「どうあっても傷つかない人生なんてない。馬鹿みたいに駄々こねても、手に入らないものは入らないものよ」
アネモネは残念だけどと小声で付け足した。
「でも、傷ついた分だけ、人は成長できるものよ。良い方にも、悪い方にもね。ハルジオンはどこにいるのかしら」
アネモネは欠伸を一つして、リリィに案内を求めた。サイネリアは自分以上にハルジオンのためを思っている愚妃を見て、悔しそうに顔を歪める。
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