第13話姫は満足し、少女は絶望する
時刻は午後十時半。村は真っ暗な闇に包まれており、どうも落ち着かない。外では虫の鳴く声が響いていて鬱陶しい。アネモネは一人、借りた部屋の中で睡魔に抗いながら今の状況を整理していた。
始まりはリリィとの雑談からだ。会話を盗聴されてサイネリアがアネモネに話しかける。どうも気になったからハルジオンについての情報収集をして、彼女の家族を見つけた。汽車から馬車に乗り継いでやっとの思いでたどり着いたこの村で部屋を貸してもらおうと灯りが見えた家をノックしたらなんとハルジオンの家族に出会った。それも、誰も想像できないほど怯えた態度をとっている。
机に頬杖をついて整理をしていたアネモネは椅子にもたれかかり、目元を両手で覆った。
「なんでこうなっちゃったのよ」
愚妃は嘆く。旅には予期せぬことがつきものだが、目的地に問題があるとは誰が思うだろう。アネモネは大きく息を吸い、吐いた。状況をまとめるのは簡単だが、気持ちの整理は難しい。旅一つで後悔が消えるなどという考えは阿呆の浅知恵だったらしい。
先ほどの顛末の後、今話をするのは時間的にも、そしてなによりも二人の心身に悪いと悟ったアネモネは、とりあえず部屋まで案内してもらうことにした。もしあの時に要件を伝え、そのままハルジオンへ会ってほしいなんて頼んだら、二人は絶対に首を縦に振って従うことしかできなかっただろう。怯えた人に無理やり何かをさせるのは恫喝意外の何物でもない。脅して連れて来られた家族に対してハルジオンは喜ぶことができるだろうか。きっとできない。だから、まずは二人を落ち着かせる。そして話をする。一日も経てば楽になるだろう。
そう考えたアネモネが馬鹿だった。
翌日、アネモネは借りた部屋から出て井戸の水で顔を洗う。冷たい水のおかげで目が覚めたアネモネはいざ、覚悟を決めてリビングへと赴く。時間は午前の六時ごろだろうか。この家には時計がないから正確な時刻が分からない。教会以上に不便な場所が見つかったことにアネモネは内心で驚く。
リビングの椅子に座ったところで二人が二階から降りてきた。リビングのドアが開き、昨日見た男性と女性が入ってくる。彼らの目がアネモネと合う。一瞬で目を見開いた二人は即座に床に頭をついて合わせた両手を天に掲げた。
「す、すみません。待たせてしまいました!」
「べ、別に構わないわ。顔を上げなさい!」
どうやら、たった一日では恐怖が抜けなかったらしい。二人の様子にアネモネはため息を吐く。
「ねぇ、頭を上げてくれないかしら。そしたら裏庭で顔を洗ってきなさい」
冷静になってもらうために指示を飛ばす。
「は、はい! 今すぐに!」
二人は転びそうになるほど慌てて走って行った。アネモネはイライラとして痛かった頭が呆れて面倒くさいと思うようになったことに気づく。一昨日出会った老人がハルジオンの家族であったなら何と楽だっただろうと想像する。意味もないことだが、思わずにはいられない。また、深く息を吐いた。
少しして、戻ってきた二人と目が合う。すぐに土下座しようとしてくる二人に行動する前に頼む。
「待ちなさい。すぐにこちらに来て椅子に座ってくれないしら。頭なんて下げなくても良いのよ。貴方たちは別に悪いことなんてしていないんだから」
「は、はい! すみません」
猫背の二人の大人は愚妃の頼みを聞いて椅子に腰を下ろす。アネモネと対面する形で席に着いたので、本題に入る。食事をしようかと考えはしたが、部屋に入ってきた二人が床に蹲った姿を見た瞬間に嫌になった。だから、ちゃっちゃと済ませてしまおうとアネモネは冷静に考えた。
「まず、確認したいのだけれど、二人はハルジオンを捨……教会に預けたことに間違いはないのね?」
「は、はい。すみません。そ、その通りです。すみません」
「だから、謝らなくてもいいわ。それよりも、私は二人がハルジオンの家族だったことを知ったからこの村に来たの。まずはそれを知っててもらいたいわ」
「は、はい。わかりました。すみません」
アネモネは何度も謝罪されることに対して無視することを決める。
「それで実は、ハルジオンが貴方たちを探しているのよ。理由は知らないけど、たぶん、恋しいのかも知れないわね」
「あ……えーと、り、理由に関しては、そ、その、心当たりがあると言いますか」
「や、やめてよ、あなた」
男性を止めたのは白髪がある女性だ。
「な、なんでだい?」
「か、確証もないのに、そんなこと言ったら」
「い、いや、しかし」
「いったい何を話し合っているのかしら?」
二人の会話に割って入る。また、怯えたように顔を歪めた二人をアネモネは睨みつける。二人は動揺を隠せないようだが、愚妃には関係ない。早く話して欲しいのだ。二人は顔を見合って諦めたように口を開く。
「い、いえ、実は、ハルジオンを預かってもらおうと思って、教会に赴いたのですが、私たちの思いが伝わらなかったらどうしようと考えて、ハルジオンを乗せた籠に熊のぬいぐるみを入れたんです。その熊のぬいぐるみの中に手紙を入れて置いたんです。私たちのことを忘れほしいってことと幸せになって欲しいって思いをこめた手紙です」
男性の話を聞き、アネモネは合点がいく。手紙を見つけた時期はきっと、熊の頭や手足がとれた時なのだろう。彼女が家族が恋しくなったのはその手紙があったからだ。教会にいる孤児たちは全員、家族のいない者たちだ。その中で、自分には家族がいるとわかったら、会ってみたくもなるだろう。忘れて欲しいと思いをこめたのに、裏目に出てしまったようだ。
「だいたいわかったわ。それで、話を戻すけど、ハルジオンが貴方たちを探しているの。会ってもらえるかしら?」
「あ、ああ、会う? ま、まさか。御冗談でしょう?」
「半分本気よ。会うことができないなら、手紙くらいは貰えないかしら」
愚妃の目の前にいる二人の大人は目を泳がし、首を何度も横に振る。
「で、できません。そ、それだけはできません! ハ、ハルジオンには、私たちのような親など忘れて、幸せになってほしいんです!」
アネモネは首を傾げた。
「何故よ。ハルジオンは貴方たちを求めているのよ。なのに、なんでよ。対面が無理なら手紙をくれないかと言っているだけよ」
「だから、それが嫌なんです! 私たちが幸せにしたかった我が子を、私たちのせいで不幸になんかしたくなんかない! 私たちの手紙を読んで、ハルジオンがここに来てしまったらどうするんですか。私たちの姿なんか、見て欲しくない!」
そこで男性ははっとしてだらりと椅子にもたれかかった。
「す、すみません。でも、私の腐りきった今の心で触れたくないんです。そこを、理解してください」
男性は懇願する。急に怒り、急に沈むように落ち込んだ彼にアネモネは質問する。
「ねぇ、何故貴方はそんなにもハルジオンに会いたくないのよ。娘なんでしょう?」
男性は愚妃の顔を見て思いを正直に伝える。
「会いたいですよ。でも、私は、借金を抱えているんです。家内の家族をも巻き込んでおいて、今更どの面を下げて娘と会えと言うのですか」
「その面を下げて行けばいいじゃない。彼女は家族に会いたいと思っているのよ。それ以上でも、それ以下でもないわ。彼女の願いを叶えることもできないの?」
男性はアネモネの言葉に目に涙を浮かべる。だが、怖いのだ。男性は女性の顔を見つめる。そして、俯いた。
「すみません。やっぱり会うことはできない。そんな資格は、私たちにはありません」
男性は口を真一文字に結び、涙を流す。女性は男性の肩にそっと抱きつき、アネモネに顔を向ける。
「もう、いいでしょう? 私たちは会えない。だから、帰ってもらえないかしら」
困ったように、そして悲しむように顔を歪める女性を見て、アネモネは悔しさを覚えた。
「わかったわ。でも、もしもハルジオンに伝えたいことがあるなら、この紙に思いを乗せなさい」
アネモネは白紙を一枚テーブルに置いた。
「ペンとインクはあるわね? それじゃあ、私は荷物をまとめてくるわ」
愚妃は借りた部屋へ戻った。持ってきたものは特にない。お金と下着と服、それからくすねてきた本だけだ。まとめるのなど、五分と経たずに終わってしまう。だから、少々時間を稼ぐために本を読んで待つことにした。
本を読み始めて三十分が経った頃、二人の動向が気になってしまい、集中して読書をすることも出来なかったアネモネは意を決してリビングへと戻る。
リビングには誰もいなかった。きっと、二人はアネモネと会いたくなくてどこかへ行ったのだろう。しかし、その代わりに手紙が一枚、封に入れられてテーブルの上に置いてあった。
愚妃は満足したように笑い、手紙を鞄に入れて家をあとにする。
計画よりも早くなってしまったが、乗合馬車に乗り、駅へと行く。次の汽車が着くまで時間があったため、適当に暇をつぶそうと思い、駅がある街を観光した。
現在の時刻は午後二時。ガーベライズに戻るために乗る列車が駅に到着した。やりきった満足感を胸に列車に乗る。空いている部屋を見つけ、椅子に腰を下ろすと、思い出したように鞄を漁った。
鞄から取り出したのはハルジオンの肉親が書いた手紙だ。しっかりと封に入れられていることから、書いていないとは考えにくいのだが、どうしても気になったため、手紙を読んでみようと封を開ける。綺麗に折りたたまれた紙を開き、愚妃は手紙に目を通した。
少女は夜な夜な、街へと繰り出す。
少女が向かった場所は間違っても、少女が行くような場所ではない。そこは、娼館だ。溜まった性欲を発散するために、男たちが客として訪れる、シスターとしては、教会にいる子供たちの誰にも近付いてほしくない場所だ。
少女はこの娼館に雇われている。だが、奇跡とも呼べるような出会いのおかげで少女は未だに処女を守ることができている。この娼館の主である女性。彼女は有情の心を持つ、優しい人物であった。娼館に来た少女を見て、看板娘として受付に立たせることをさせようと決めた。少女は可愛いが、絶世と言われるほどの美女ではない。ならば、なぜ看板娘に抜擢したのか。
理由は簡単だ。かわいそうだったからだ。同情したからだ。まだ年若い彼女には危ない目には会ってほしくないという優しさがリリィを生かしていた。
しかし、受付だからと言って安全だと断言はできない。例えば、少女を狙う人がいるからだ。
「あれ、……ちゃんがいるぞぉ?」
目的は監視なのか、それとも嘲りに来たのか。きっと、どちらも理由としてはあたっているだろう。まぁ、あたっていようがいまいが、少女にとっては自分の身が危ないのだと如実に知らされるわけだから、嫌なことこの上ない。
少女は無理に笑顔を作り、お客様兼借金取りを見た。
もし、三日後の納期に金を納めることが出来なかったら、覚悟しろと男たちは少女に伝えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます