第12話姫は呆れ、少女は力なく笑う
老人と少し話してから、アネモネは部屋をあとにする。どうも老人は六時に目的の駅についてしまうらしい。
現在の時刻は午後の五時。老人の荷物をまとめるのを手伝おうと思ったのだが、遠慮された。流石にそこまで迷惑はかけられないとのことだ。
元いた部屋にアネモネは戻り、本を読んで過ごした。
時間は進んで翌日となり、時刻は午後六時。クローバードの最寄りの駅についたため、下車する。最寄り駅と言ってもまだまだ先だ。金を出して乗合馬車に乗り、四時間が経つ。やっとの思いでクローバードについた。
夜闇が村中を覆い、しんと静まり返っている。灯りは空に浮かぶ星だけだろうか。
ということで困った。宿屋がない。こちらに到着してから見つけようと考えていたが、どうやら甘かったようだ。灯りがないということは店の全てが閉まっているということであり、また、このような小さな村のどこに宿屋なんてあるのだろう。こんな遠くて小さな村に宿屋が需要を見出すことなどまずありえない。
アネモネは焦る。今夜は野宿をするしかないのかと頭を抱えていた。
だが、希望があった。村中を歩き回っていると一件だけ灯りが灯っている家があることに気がついた。なんという幸運だろうかと感動を覚えた愚妃はサイネリアからくすねてきた鞄を持って件の家へと向かう。
そこはとてもボロボロだった。二階建ての一軒家はレンガ造りの壁にツタが張り付いている。夜だからよく見えないのだが、この家は傾いている。脆くて今にも壊れてしまわないかとアネモネは心配になる。しかし、先ほどから窓からランプの淡い光りが見えている。消し忘れか、読書でもしているのか。どちらに転んでも人が住んでいるのは間違いないと言えるだろう。
意を決してドアをノックする。反応がなかったため、もう一度。だが、やはりドアは開かない。それどころか、ランプの灯りが消えてしまった。居留守をされたことに少女は怒りを覚える。だが、怒りに身を任せても仕方がない。それどころか、野宿をすることが決まってしまうので、怒ろうにも怒れない。だから、今度は声をかけてみる。
「誰かいないの? 誰か出てきて」
すると、家の中から木の板が軋む音がした。その音は段々とドアへと近付いてくる。これが人の歩く音だと理解したアネモネは待った。しかし、ドアが開かないことを訝しみ、首を傾げつつももう一度ノックをしようと腕を上げる。手の甲がドアにあたるその時、軽く握った拳は空を切る。理由はドアが開いたからだ。遠ざかっていくドアをノックしようと体が傾くものだから、アネモネは不格好に倒れた。
サイネリアの鞄がクッションの代わりとなって、怪我一つないが、転んだ衝撃を殺しきれるわけではないから、痛む胸をさすった。
「君、誰だい?」
頭上から男性の震える声がした。低く、静かな声に反応して上を見上げる。
そこには老け顔の男性と白髪の混じった髪を持つ女性の姿があった。汽車の中で老人とあったが、なんだか、二人を老人と表現するには違和感があった。アネモネは二人を観察し、だが、わざとではないのだろうが、転ばされたことを思い出したため、勢いよく立ち上がり、叫ぶ。
「人を転ばせておいて、最初にかける言葉が、誰? て失礼じゃない!」
アネモネの怒鳴り声に驚いたのだろう。目の前に立つ二人の大人は目を見開き、瞬時に怯えたように腰を抜かす。
「ゆ、許してください! なんでもしますから!」
二人は両手を合わせてすがるように頭を下げた。これには流石のアネモネも一歩引いた。
「え? な、なんでそんなに必至に謝っているのよ。すまなかったって一言言うだけで良かったのに」
無論、それだけではアネモネは許さなかっただろう。
愚妃は困った。なぜか、少し怒鳴っただけでこのような有様だ。これから一晩泊めて貰おうと思っているのに、脅して部屋を借りようとしているようで気が引ける。アネモネはため息を吐きつつ、声をかけた。
「別に、そこまで気にしていないわ。だから顔を上げて頂戴」
「ほ、本当ですか?」
「えぇ、本当よ。確かに転んだけど、鞄があったおかげで怪我一つないわ。それよりも、私、今晩泊まる宿がないの。部屋を借りる事はできるかしら?」
アネモネの言葉に男性は小刻みに首肯する。
「で、できます。だから、許して……」
「あぁ、はいはい。許すわ。というか、こんな夜遅くに来た私も悪いんだから、そんな態度でいられると、私が悪人みたいじゃない」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい」
二人の様子がおかしい。夜に来たアネモネに不満の一つや二つ、飛ばせば良いものを、彼らは一度もしない。それどころか、ずっと祈るように床に蹲っている。どうもきな臭い。
家に上がり、少女はまだ頭を下げている二人を見下ろした。そこで勘づいたことがあった。少女は生唾を飲み込んで二人に質問をする。
「ねぇ、貴方たち。サギソウっていう苗字に心当たりはないかしら」
「は、はい! 知っています! いえ、し、知っているというか、私たちがそうです!」
アネモネは瞠目し、心の中で舌打ちを打つ。何ということだろう。残念なことに、目的の人物たちを見つけてしまった。明日、住所を書いた紙を片手に探索しようと思っていたのだが、手間が省けた。だが、このような人物だとは知らなかったし、そうと知っていたなら態度も変えていた。想定をしていた内にも入らない最悪な出会い方をしてしまったことに、アネモネは叫びたくなった。
「もう一つ質問するわ。貴方たち、昔、だいたい十年ほど前に子供を捨てたことがあるわね?」
「す、すて、捨てたわけでは……」
「あぁ、教会に預けたって事ね。しかし、困ったわねぇ」
アネモネは天井を仰ぎ見る。どうやら、今目の前にいる人たちは、ぬいぐるみを抱えた少女、ハルジオンの家族らしい。
その日の夜も、とある少女は街へと繰り出すためにベッドから出る。
淡く光るランプを持ち、周囲を見回す。どうやら、子供たちはちゃんと眠っているようだった。おかげで安心して外に行くことができる。こんな仕事をしている自分は誰にも見て欲しくはない。まぁ、シスターは毎回見送ってくれるのだが。
寝室を出て廊下を進み、エントランスに出る。エントランスにはやはり、シスターの姿があった。
「もう行かれるのですか? まだ休んでいた方が良いと思うのですが」
不安げに目じりを下げる女性に少女は笑いかける。
「いえ、いいんです。寝たらすぐに時間になっちゃうから。なるべくゆっくり歩いて行きたいんです」
少女は行ってきますと言うと、シスターは行ってらっしゃいと返す。部屋の中央を通って出入り口のドアに手をかける。そこで不意に思い出したように少女は振り返った。
「そうだ。また、お化粧貰ってもいいですか? もうそろそろ、なくなりそうなんです」
「えぇ、いいですよ。明日の夜に用意しておきます」
時刻は午後九時。少女の目的地には一時間程度でつくだろう。時間帯も心配の要因の一つだが、彼女がこれから行う仕事のことを考えるとどうも悲しみが湧いてしまう。シスターは少女の背中を見てそっと祈りを捧げるのだった。
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