第10話少女は知り、姫は会話する

 恩人の少女は目を覚ました。太陽が山々から顔を覗かせるまだ早い時間。少女はベッドから這い出し、目元を擦りながら部屋を後にしようとしていた。


 けれど、何か違和感がある。一度、ベッドを振り返る。いつもは二段ベッドの上に寝ているアネモネはすこぶる寝相が悪い。恩人の少女がベッドから出ようとすると、いつも目の前に毛布がだらりと垂れているのだ。今日はそれがない。

 怪訝に思った少女は上のベッドを覗く。すると、アネモネがいないのだ。


 焦った少女は顔も洗わずにエントランスにいるシスターの元へと向かう。シスターはこの教会に住んでいる誰よりも早起きなのだ。少女は口を開き、まだ頭が回らないが、懸命に説明をする。


「あの、朝起きたら、アネモネちゃんがいなかったんです! ど、どこにいったのかな」


 あたふたとする少女をシスターは落ち着かせた。


「落ち着いて、まずは深呼吸をしてください。アネモネさんなら私が起きた頃にはもう支度を済ませて出かけましたよ」


「で、でかけたんですか? どこに……あ」


 少女の疑問はすぐにとけた。アネモネの人柄を考えるとなくはないといった具合の可能性だが、なぜか核心に近い気がした。奇しくも少女の考えは正しい。


「今朝、会った時にハルジオンさんの家族に会いに行くと言っておりました。遠出をするなら昨日の内に伝えて欲しかったのですが、言っても意志を曲げそうにはなかったので軽く安全の確認をしてから出かけてもらいました」


 苦笑するシスターに少女は驚きを隠せない。アネモネがするには意外な行動。アネモネに対する偏見がないとは言い切れない少女だ。思い立ったが吉日とでも言うような愚妃の行動に少女の心は荒れに荒れ、後に残ったのは心配の二文字だった。




 時刻は午前七時。アネモネは目が覚めた。


 アネモネが目が覚めた場所は機関車が引く客室の内の一つ。壁に張り付いた長椅子が入り口から覗いて左右にあり、奥には窓がある。荷物は盗られないように自分の傍らに置く。この個室には他に客はいないようだが、後々来るかも知れないことを思うと、少々億劫だ。なぜなら、幼いからという理由だけでじろじろと見られそうだからである。だから、そっとため息を吐き、頬杖をついて窓の外を見た。




 時間は進んで午後四時。アネモネは読書をやめる。


 教会内には様々な子供がいる。その内の一人の少年は読書が好きだ。だから、三冊くすねてきたのだが、もう二冊ほど持ってくれば良かったと後悔する。半分読んだ本にしおりを挿して閉じる。


 あまり、気乗りはしないが、車内を歩いて見ることにした。当たり前だが、特に目を引く物はない。ただ、廊下と左側に先ほどいた部屋があるだけだ。


 欠伸をしながら廊下を歩く。これがまだ一日半以上も続くのねと苦い顔をする。

 すると、廊下に膝をついている老人を見つけた。だいたい六十歳くらいの男性だろう。どうしたものかと珍しそうにアネモネは観察をして、困っているように見えたため、声をかけた。


「貴方、どうしたの? そんなところに蹲って」


「うん? あぁ、いや、気にしないでくれ。いつもの膝痛だ」


 嗄れ声の男性は膝の痛みが相当ひどいのか、呻いている。そんな様子の老人をどう見過せと言うのだろうか。アネモネは仕方ないからと老人に肩を貸す。


「ほら、しっかりなさい! 貴方の部屋まで送るわ」


「いや、いいよ。そんなことされなくても」


 老人は苦笑いを浮かべる。だが、アネモネは聞く耳を持たなかった。


「膝が痛いんでしょ? 私の肩を貸すから、今ぐらい甘えなさい。何も迷惑になんか……強いて言えば遠慮される事のほうが迷惑に感じているのだから」


「あぁ、いや、うーん。そうかい? じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかな」


 老人は苦しそうにまた笑った。アネモネの行いは老人の役にたったのかは定かではない。もしかしたらアネモネの自己満足かも知れないが、その時は老人がとても優しいことが分かるだろう。


 アネモネは無事に老人を部屋まで送り届ける。窓から眩しいほど夕日の橙色の陽光が差し込んでくる。


「あぁ、助かったよ。何か、お礼がしたいんだが……」


「別にお礼なんか……いえ、やっぱり貰うわ。私の話し相手になりなさい」


 老人は首を傾げる。


「いや、何かをくれっていうのが普通じゃないのか? それに、こんなおいぼれでも良いのかい? 俺なんかよりもいい人はいるんじゃ」


「私が話したいの」


 アネモネはドカッと老人のいる一室の椅子に腰を掛ける。


「ところで、おじいちゃんはなんで汽車に乗っているの? 膝が痛そうなのに」


 初対面にしてはなんだか、孫を彷彿とさせるような人懐っこさだ。少し早くに孫と再開したような嬉しさを老人は感じた。


「あぁ、膝が痛いのは仕方がない。老化を防ぐすべはないからなぁ。でも、孫には会いたいからね。いつもは来てくれるから、今度はこっちから行きたくなったんだ」


 お茶目にウィンクをする老人にアネモネは笑顔を見せる。


「いいわね。お孫さんは男の子? それとも女の子?」


「両方いるんだ。それも、双子でね。すごくはないかい? 双子が生まれたと手紙で知らされた時は驚いたものだよ」


 遠い目をする老人は懐かしそうだ。アネモネは双子が羨ましいと思った。


「羨ましいわ。こんなに良いおじいちゃんがいて」


「そうかい? 嬉しいことを言ってくれるね。でも、君にもいるんじゃないかい?」


「えぇ、私にもいたわ。とても良い人だった。私、稽古を幾つかやってたんだけど、おじいちゃんは無理をしちゃいけないっていつも気遣ってくれたわ。私が苦しいときにはいつも声をかけてくれて。本当に心を見透かしている見たいだったわ」


「へぇ、そりゃ、すごいなぁ。ていうか、稽古をしてたってことは、嬢ちゃん、貴族のお偉いさんかい。どうりで立派だと思ったよ」


 老人は驚きながらも嬉しそうに言った。


「えぇ、まぁ、そうね。あんまり好きじゃないけどね」


 悲し気に少女は俯いた。


「あぁ、えーと、そうだったのかい。すまないね、変なことを聞いちまって」


「いいえ、いいわ。貴方に聞かれても特に嫌ではないから」


「あぁ、そうかい? あぁ、じゃあ、嬢ちゃんはなんで汽車に乗ってるんだい? どこか、行きたいところでも?」


「そうね。ちょっと知り合いが家族に会いたいっていうから。その子、まだ九歳なのよ。だから、会うようにお願いするか、出来なければ手紙でも貰おうと思っているわ」


「へぇ、その知り合いの子のために遠路はるばる旅してきたってのかい。嬢ちゃんは偉いなぁ」


 感心したように老人は言う。アネモネは別に辛くはないから老人の反応が大げさに見えた。老人の反応を見てクスっと笑う。


「そんなにすごくないわよ。それに、その子に酷いことをしちゃったから少しだけ申し訳なくってね。私なりの償いよ」


「へぇ、若いのにそんなことを思えるなんてねぇ。俺が若いときは家族の手伝いだけしてあとは近所の野郎どもと遊んでたぞ。少し、気にしすぎじゃないのかい? 気にしすぎることも体には毒だよ」


「いいのいいの。ちょっと苦労をするだけであの子が喜んでくれるなら、私の心も軽くなるわ」


「はあ、そうなのかい。なら、あんまり心配するのも野暮ってもんだね。頑張ってね。努力ってのは目には見えない形で成果があらわれるものだから」


「えぇ、そのつもり。貴方も、おじいちゃんも頑張ってね。膝が痛くなったらいつでも呼んでね。どこからでも飛んで行くわ」


 アネモネの言葉に老人は豪快に笑った。


「そりゃあ、良い! 嬢ちゃんのことは一生が終わる時でも忘れないよ」

「忘れないでね。あ、あと、一つだけ良いかしら」


 老人は改まった様子のアネモネを見て緊張感を覚える。少女の一挙手一投足に目が離せない。そっとアネモネは口を開いた。


「おじいちゃん、肩を揉ませて!」


 アネモネが上目遣いにお願いをする。いよいよ、幼い孫を思わせるその様子に老人は思わず、また豪快に笑った。


「改まってそれかい! いいよ。むしろ、揉んで欲しいくらいだ」


「本当に!? ありがとう、おじいちゃん!」


 アネモネは老人の隣に座り、背を向ける老人の肩を揉んだ。


「気持ちいい?」


「あぁ、気持ちいいよ。俺の孫も大きくなったら肩を揉んでくれるかな?」


 嬉し気に声を弾ませる老人にアネモネは返答する。


「きっとしてくれるわ。その時まで、死んじゃ駄目よ」


 老人はまだ遠い未来を想像した。そのおかげか、アネモネの涙声には気づかなかった。

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