第5話姫は愚か者

 アネモネが教会に入ってしばらくすると、外にいるリリィや子供たちは騒がしくなった。アネモネがあーだこーだと言っているが、知ったことではない。私は何も悪いことはしていないと愚妃は思っている。洗濯物の入った籠を蹴ってひっくり返してしまったことが心に残っている。包み隠さず言うと、とても清々しい気分である。あの少女に悪く言われ、怒鳴って泣かせることができたし、きっとあの少女の衣服も入っているであろう籠をひっくり返して土まみれにできた。やり返すことができたため、アネモネは追剥などで溜まったストレスや鬱憤を晴らすことができたため、とても満足している。


 教会のベンチに仰向けに寝ころび、フフッと笑うアネモネの耳にまた子供たちの騒がしい声が聞こえてきた。私の悪口でも言っているのかなと上の空で考えるアネモネは少女を泣かせた優越感に浸りながら目を閉じた。


 すると、教会の入り口のドアが開いた。リリィたちが帰ってきたのかと思ったが、足音が一人分しか聞こえず、違和感を覚えたアネモネは体を起こす。警戒心を抱きながら入り口を見ると、一人の女性がいた。服装から見て、どうやらシスターのようだ。

 シスターはアネモネを見つけると薄く微笑みながら歩み寄ってきた。


「まぁ、貴方が噂のアネモネさんね」


 アネモネは噂のという言葉に少々嫌な顔をした。


「そうよ。私がアネモネ。アネモネ・ブバルディアよ」


 シスターは微笑みを湛えたまま、愚妃に言葉を投げる。


「リリィさんから経緯は聞いています。大変な目に遭ったのですね」


 シスターは心苦しそうに胸に手を置いて視線を向ける。アネモネは彼女の心遣いが面倒くさいと感じつつも、彼女と話さなければ教会に住むことができないため、あまり開きたくない口を開いた。


「えぇ、そうね。とても大変だったわ。でも、気遣いとか哀れだと思うのとかやめて頂戴。とても不愉快だわ」


 下着姿の奴が何を言っているのだと作者は思ったが、彼女がそう言うのだ。アネモネの意志を尊重することとしよう。シスターも同じ気持ちだったようで、すぐに詫びた。


「不愉快にしてしまったとは露知らず。申し訳ありません」


「いいわ。その謝罪を受け入れるわ」


 アネモネはさてと肝心の話をするために接続詞を設ける。


「私をここにおいて貰えないかしら。訳あって私は一年間、この城下町で暮らさなきゃいけないの。本当はこんな不便な場所に住むのは癪なのだけれど、見ての通りの一文無しだから仕方なくよ。さっきの無礼を許したのだから、それくらいはしてもいいんじゃないかしら?」


 シスターは言いたい放題のアネモネへ向ける笑顔が引きつった。無礼というには小さすぎる出来事からこのようなことを言ってくる。揚げ足をとられ、憤りが湧かないわけではないが、事実であるし何よりもこちらに非があると考えたシスターは少しばかり優遇することにした。


「アネモネさんの言う通り、確かに無礼への償いを私はしなければいけません。しかし、だからといってそう簡単に住まわすこともできないのです。まずは、貴方が追剥に合う前のことを教えていただかなければいけません」


 要は身分を証明しろとのことだ。下着姿で住む場所もないことから教会に住んでもらうことは確実とまで言ってもいいほどなのだが、決まりであるが故に形式に従ってもらうことにしようとシスターは考えた。


「私は、この国の姫よ。アネモネ・ブバルディアの名に聞き覚えはないのかしら?」


 この言葉には流石のシスターも困惑を隠せない。姫の生誕祭は毎年行われることからアネモネの名を知らないものはいない。だが、その顔は貴族以外は見ることも叶わない。アネモネ生誕祭では庶民は城下町で屋台を回り、曲に合わせて踊り、打ち上げられた花火を見る。貴族はお城で行われる舞踏会にて談笑する。庶民であるシスターには到底知る由もない姫の顔。名前などいくらでも偽ることのできる世の中だから、名前だけでは判断がつかないのだ。せめて顔を知っていれば変わったのだろうが。


「申し訳ありません。名前だけでは貴方が本物のアネモネ・ブバルディア様なのかが分からないのです。せめて、それを証明できる何かを持ってはいないのですか?」


「……全部盗られたわ。だから、無理」


 先ほどまで威勢が良かった愚妃から露骨に元気がなくなる。どうも悲哀を感じさせる少女の表情は子供好きのシスターには見るに堪えないものだ。


「いえ、えーと、証明できるものが無くても良いのですよ。ただ、仮に貴方がアネモネ・ブバルディア様でしたら、なぜ城下町へと出ていらして、護衛がつくであろうになぜ身ぐるみを剥がされ、そのような怪我を負ったのかを知りたいのです」


「だから、パパからいきなり城から追い出されたのよ! 身の安全は保障するとかほざいておきながら、こんな有様よ。城の人は皆使えない。それでも我慢して姫を続けてきたのに、もう沢山よ。今すぐ城に戻って城の者全員の顔を一発ひったたきたいわ」


 アネモネはいきなりベンチの上に立ったかと思うと、何度も地団太を踏みながら喚く。先ほどの悲哀に満ちた顔から一変、城の皆が知るじゃじゃ馬娘へと姿を変えた。あまりの変貌ぶりにシスターも笑顔を作るのが大変だ。


「えーと、つまり、父親である王様から城下町で一年暮らせと命令を出され、身の安全は保障するからと言われたから渋々街に繰り出してみたら、窃盗に追剥、果てには暴力まで受け、そこをリリィさんが見つけて教会に来たという認識でよろしいですか?」


「安全を保障すると言われたから来たわけじゃないわ」


 ギラギラと目を光らせているアネモネは訂正した。シスターはサイネリア並みに厄介な子が来たなと内心肩を落としたが、そんなことはおくびにも出さない。


「わかりました。先ほどの話を神父様に伝えておきます。十中八九、教会に住むことはできるかと思いますが、期待しすぎるのも後のことを考えると問題になりかねないので、絶対に住むことができるとは言わないでおきます。あと、ここに住むにあたって、しっかりルールには従ってもらいますからね」


「ルール? そんなものがあるの?」


 アネモネは小首を傾げる。


「えぇ、もちろん」


 シスターは教会で住むにあたってのルールを口頭で語った。

 数あるルールの中で重要なものを抜粋すると、朝昼晩の食事は静かに食べること。門限は十七時、しかし、神父又はシスターが納得する理由があった場合、それ以降の行動を許す。洗濯などの身の回りのことは各自で行うこと。人の生命に関わるトラブルを起こした時、教会には住めなくなる可能性が出ること。内容としては概ねこの通りだ。少々面倒くさいが、さほど厳しくもないため、アネモネは安心した。

 

 一通り説明を終えたシスターは一呼吸をして微笑みを作る。


「ルールを守らないからといってこれといった罰もありません。しかし、ルールを守るところから協力し、絆を深めることが大切なのです。だから、何卒よろしくお願いします」


「まぁ、分かったわ。なるべくルールは守ることにするわ」


 シスターは半信半疑でアネモネのことを見た。


 そしてやはり問題は起きた。


 その日の晩御飯の支度からアネモネは注目を集めるには充分であった。手伝わないのだ。子供たちがせっせと食器を出したり、料理を作ったりしているというのに、愚妃だけは椅子に座って待っているのだ。食事は六時から。しかし、いつも六時ちょうどに食事が始まるわけではない。この日は少しだけ食事の時間が遅れている。遅れていると言ってもほんの五分やそこらである。だというのに、手伝いもしないアネモネは子供たちを睨みつけ、怒鳴るのだ。


「まだできないの? 早くして頂戴」


 何もしない奴が何を偉そうにと食堂にいる大半の人物が思った。傍若無人というか、厚顔不遜というか。とにかく勝手気ままたる姫の態度に皆の不満が蓄積されていく。


 六時を回って十五分が経った頃、ようやく晩御飯が用意された。本日のディナーはスープとパンだ。あまりにも質素な料理。アネモネというじゃじゃ馬姫が納得するわけがないのは必然だと言えるだろう。


「なによ、この料理は。あまりにも滑稽ね。こんなものを私に食べさせると言うの?」


 アネモネはスープの入っている器を弾いて地面に落とした。


「もっとマシな料理はないのかしら?」


 先ほどのアネモネの行動には我慢をすることができない者もいる。例えば、サイネリアだ。だが、サイネリアが言葉を発するよりも先にリリィが口を開いた。


「アネモネちゃん、これが教会内の食事よ。文句を言っても変わらないの」


「でも、こんな料理が私を満足させるとは思えないわ。城に仕えるコックの料理でやっと食べれるというのに、このようなものが美味しいとは思えないわ」


 アネモネはそっぽを向く。シスターや大半の子供たちがあまりにも傲慢な態度に唖然としている中、とうとうサイネリアが口を開いた。


「何が満足だよ。このスープはな、俺たちの生命線でもあるんだぞ。はっきり言って教会は貧乏だけど、こんな立派な料理を食べることができるんだよ。謝れよ!」


 しかし、少年の憤りの混じった心の底からの思いをアネモネは鼻で笑った。


「それが立派な料理だなんて。あまりにも面白い笑い話だわ」


 そう言い残し、アネモネは食堂を後にした。残ったのはシスター、リリィ、赤い顔の少年、そして子供たちである。沈黙を遮ったのはサイネリアだ。


「なんだよ、あいつ! なんであんなに偉そうなんだよ、追剥にあった間抜けの癖に」


 激怒する少年を諫めたのはリリィだ。


「サイネリア、落ち着いて。アネモネちゃんも、本当はそんなこと思ってないんだよ。今日はいろいろあったから、今だけやさぐれちゃってるんだよ」


「でもさ、どんなに機嫌が悪いからって俺たちの前であんなことを言うやつと俺は一緒に暮らしたくねぇよ」


 サイネリアの不満の声は同じく、アネモネと一つ屋根の下に暮らすことを嫌がる者たちに口を開かせた。


「そうだよ、あんな人と一緒は嫌」「あたしも」「酷い女」「最低女」


 ほどなくして、食堂には反対という言葉を何度も連呼する子供たちの集団ができた。皆の思っていることは真っ当なものであると考えているリリィはどうも強く子供たちを諫めることができなかった。見かねたシスターはリリィに変わって口を開いた。


「皆さん、今はアネモネさんがどうこうと言う時間ではないはずです。今は食事をする時間。食事は静かに食すのです。皆さんの行いは神が必ず見ています。ルールを守れない方には神のご加護はありませんよ」


「でも、あいつは守らなかったよ」


 シスターに言葉を投げたのはサイネリアだ。相変わらず、肝の据わった子だとシスターは思う。


「アネモネさんが守らなかったからと言って、貴方も守らないのですか? 誰かが窃盗をしているから、私もして良いと貴方は考えるのですか?」


 例えにしては少々大げさだが、サイネリアはシスターの言葉に渋々だが、引き下がった。時間稼ぎにもならないが、これで子供たちは黙った。全員、黙々とスープに口を付けている。またシスターに助けられたと肩を落とすのはリリィであった。


 先ほどまで行われていた子供たちの不満意見の募りを吐き出していた会と言うべきものをアネモネは聞いていた。食堂に通じるドアに背を預けて一人しかいない廊下でポツリ


「ここでも私は駄目な人なのね」


 と呟いた。しかし、特に悲しくはならなかった。そして一人、暗い廊下を歩いた。

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